2010年フランス作品。以下ネタバレあるので嫌な方は読まないように・・・
借りて来たんだけど、見る機会がなく、見はじめたら面白くて、しかし時間がぎりぎりになりーの、体力的にきついーので、TSUTYAで延長手続きをしてきました・・・(;_;)
1996年にアルジェリアで起きた事件を素にできてるってか、ほぼ実話みたい。
こちらに結構詳しいことを調べて書いて下さっています。
映画『神々と男たち』をもっと深く知るための6項目!
やっと見ることができました。
修道院は歴史があり、村の人たちとも仲良くやってきていたというかなんというか・・・働き、祈り、医療をし、村人の相談にのり・・・
1990年代から2000年代初頭にかけて軍とイスラム原理主義組織の内戦がひどくなっていた、という背景がある。
過激派の人たちとのトラブルが地域全体でひどくなっており、修道院を軍隊で守るか、修道士がフランスへ帰国するかでもめている。
クロアチア人が殺された時のミサで朗唱された聖歌。(「映画『神々と男たち』をもっと深く知るための6項目!」より)
・“PUISQU’IL EST AVEC NOUS”(我らと共にあるのだから)
暴力の時にも主は
私たちと共にあるから
いたる所に主を
夢見るのはやめよう
私たちが死ぬ所の他には
急いで行こう
忍耐をあの御方へ向けよう
苦しむ御方の元へ行こう
十字架の上で
印を示された主の元へ
復活の日の暁のように
私たちと共にあるから
あの御方を見失うことはない
流れ落ちる血と
パンを分かち合おう
めぐり来る聖杯から飲もう
自ら犠牲となった
あの御方を迎えよう
最後の時まで
私たちを愛したあの御方を
修道院長クリスチャンは軍隊を入れることに反対する。内部ではいろいろな意見がある。
夕食の時、みんなが食べていて一人の修道士さんが朗読している。聖書かと思ったらカルロ・カレットの「神は来たれり」という本だった。
弱さと貧しさを受け入れることは
力に基づかない関係を他者と結ぶという差し迫った願いだ
私の弱さを知ることで他者の弱さを自分のものとすることができる
キリストに倣ってそうした態度が我々を宣教者に変える
弱さ自体は美徳ではない
だが弱さとは根本的な現実であり
現実は絶えず作り変えられねばならない
信仰と希望と愛によって
使徒の弱さはキリストのそれに似て
復活の神秘と精神の強さに根ざしている
忍従でもなければ諦念でもない
弱さは勇気を必要とし
人間が真実と正義を守り力と権力の誘惑を断ち切るよう後押しをする
しかしついにクリスマス(イブ?)の日、原理主義の部隊に修道院は襲われる。しかしクリスチャンはなんていうか少々びびりながらも(そら銃をつきつけられているのだから)リーダーの要求は全て拒否し、言うべきことは言う。
リーダー「選択の余地は無い」
クリスチャン「ある。私は選択する」
そしてコーランを引用しつつリーダーを説得する。最後はリーダーはクリスチャンと握手して引き上げる。
それからまた危険な日々が続くのだけど、修道士はだんだんみんな残る方に意思統一していく。なお、医師のリュックは「映画『神々と男たち』をもっと深く知るための6項目!」によると
1959年に、民族解放戦線(FLN)によって、イタリア人修道士とともに追い立てられるが、彼がとても人気のある外科医であることがわかって、解放された。
ということで、これ一度誘拐されてる、ってことじゃないのかな?
ある場面でリュックが手紙を書いている。
「人類は宗教的信念によって行う時ほど徹底的に悪をなすことはない」
これはどこにしてもそうだし、私自身だって気をつけないといけない点だよな。
でそのあとほとんど最後まで坦々とした生活が続くのでこれで終わりなのかな、と思ったら、最後の最後に誘拐され、7人の修道士が殺されてしまいます。1996年の5月。
つらいよね。
ラベル:映画