※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年07月29日

7月29日(日曜日)  能縱能奪 能殺能活

 おはようございます。

 ちょっと霞んでる感じなんですが、暑くなりそう。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 趙州和尚(778年 - 897。唐末)(894年の遣唐使廃止の頃まで生きてはったんやな)はある庵主のところに行って尋ねた。
趙州「おるかい」
 庵主は拳を立てた。
趙州「水が浅くて船泊まりできんわい」
 別の庵主のところに行って尋ねた。
趙州「おるかい」
 庵主は拳を立てた。
趙州「能縱能奪 能殺能活(よく与えよく奪い、よく殺しよく活かす)」
 そして庵主に礼拝した。

 昨日の「一得一失」に似てるな。同じこと(?)をしているのに一方は認められ(?)、一方は無視(たぶん認められてない?)される。

 秋月さんは趙州の素晴らしさに目を向けるみたいな解説だけど、そうやなあ、実は相手の行動(そしてそれは言葉・コミュニケートされるものも含まれる)に全然こだわっていない、ってとこがありそう。




posted by kingstone at 09:22| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 見た目同じ行為を違って解釈しなければならないのだとすると,自閉症スペクトラムの人は禅で悟りを開くのは不可能と言うことですかね?
Posted by もずらいと at 2012年07月29日 09:48
もずらいとさん、どうもです。

|自閉症スペクトラムの人は禅で悟りを開くのは不可能と言うことですかね?

ところが、よくわかんないんですが、中国のこの時代の禅僧で、しかし自閉症スペクトラムじゃないのかなあ、という方はおられますね。悟ってるのかどうかはよくわかんないんですが。
Posted by kingstone at 2012年07月29日 10:27
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