私の関わりのある法人
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 あくまでも、私個人の意見です。

2012年07月20日

7月20日(金曜日)  なぜ礼拝をしないか

 おはようございます。

 大雨です。こわいくらい。雷も鳴ってます。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 昨日の「参得黄楊木禅」と同じところに書いてある。

 定上座(じょうじょうざ)という雲水がいた。臨済和尚(?−867)に問うた。
定上座「仏法の大精神とは」
 臨済は座から降りるやいきなり彼の胸ぐらをつかみ、一掌を与えてつき放した(てのひらを開いて要するにつっぱりをしたってことだろうな)
 定は思わず我を忘れて棒立ちに突っ立った。その時、そばにいた先輩が言った。
先輩「定上座、なぜ礼拝をしないか」
 定は礼拝したとたんはっと大悟した。

 私の解釈はめちゃ表面的で浅いのかもしれないけれど、「参得黄楊木禅」といい、今日のエピソードといい、その場その場の状況をあるがままに受け止め、それに反応していくことの大事さ、今、ここ、の大事さを伝えているような気がするんだけどね。どうかなあ・・・でそれは「花は紅、柳は緑」みたいなことだろうし、自閉症の人は自閉症の人なんだ、みたいなことだろうし・・・


posted by kingstone at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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