私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年07月04日

7月4日(水曜日)  聞声悟道(声を聞いて道を悟る)

 おはようございます。

 雲は少しありますがいい天気です。暑くなるかな・・・


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

聞声悟道(声を聞いて道を悟る)
              ー葛藤集26ー

 香厳和尚は、師の爲(これにさんずい)山(いさん)の提出した
「父母未生以前の自己の面目は如何」
という問いに、どうしても答えることができなかった。彼はついに泣いて師匠に教えを乞うた。
爲山「私が説き得るのは私の悟りだ、それが君の悟りになんの役に立とう」
と爲山は説かなかった。
 苦しんだあげくに香厳はこの世で悟ることは諦めて、徳を積んでよい素質を得て生まれ変わって次の世で悟ろうと考え、南陽の慧忠国師の墓守をしていた。ところがある日、山中で草木を刈り除いているとき、小石が竹に当たったカチンという音を聞いて豁然として悟った。

 「私の悟りはあなたの悟りではない。あなたの悟りは私の悟りではない」ってのは確か。また「説く」ことのできるもんでもないやろな。まあしかし悟りではなく「こうやったらいいかもしれない」は理由つきで説けるかも。

 また禅で言えば「座る(座禅を組む)」はいい修行方法だけど、典座教訓の話にしても、ここに出てくる墓守にしても、日々日常の暮らしそのものが悟りの道なんだろうと思う。(でも、こないだ見た映画「禅 ZEN」でも典座をしてはる人は「修行ができないのではないか」と悩んではったけど)

 しかし香厳和尚、輪廻転生を信じてはったんやなあ・・・

posted by kingstone at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック