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2012年06月24日

6月24日(日曜日)  釈迦弥勒是他奴 且道他是阿誰

 おはようございます。

 曇です。



ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

釈迦弥勒是他奴 且道他是阿誰
              ー無門関ー

 中国臨済禅中興の祖、東山法演の語。
 過去仏釈迦も未来仏弥勒も他(彼)の奴僕である。他(彼)とは誰か。「無相の自己」である。

 ふ〜ん。無相の自己とかなったら、えらい、えらくない、身分の上下とかなくなって「奴僕」とかいうのも無くなるような気がするが・・・まあ、当時そういう人たちがいたからそれへのアンチとして出てきた言葉、っちゅうことか。

posted by kingstone at 09:37| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 「誰」の位置は韻を踏むためにここにあるとしても「是」の後に続いて,しかも倒置されてないので,疑問型にならないはずなんですよね。「一方で道(ことわり)の他は誰かである」みたいな訳になるはずで。
 ただ,ネットでいくつか検索しても同様の訳ですので,シナ語の慣用表現を日本人がもっともらしく間違えて訳しているような気がします。
 毛沢東を「傘をさして道行く孤独な僧」と訳したのは有名な間違いだそうで。毛沢東は「俺なんか坊主が傘をさすだから」と言ったのですが,これは坊さんなので髪がなく,傘をさしているので天が見えない「無髪無天」を意味し,口で言うと「無法無天」とほぼ同じになります。つまり「決まりも守らなきゃ神仏なんかも気にかけない=やりたい放題」というチャイナではごく普通の言い回しだそうです。
Posted by もずらいと at 2012年06月24日 19:17
もずらいとさん、どうもです。

|ネットでいくつか検索しても同様の訳

いつもおつきあい頂いてありがとうございます。

|ごく普通の言い回し

その時その時の、その地方での「当たり前」「普通」の言い回しが他地域や後世では全然違った意味にとられることは多そうな気がしますね。

Posted by kingstone at 2012年06月24日 20:02
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