※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年06月18日

6月18日(月曜日)  世界什麼広闊 因甚向鐘声裡被七条

 おはようございます。

 曇り。だけど日差しあり。暑そう。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

世界什麼広闊 因甚向鐘声裡被七条
                ー無関門ー

 パソコンで出なかったので嘘字が2つ。「什」は本当は「任」の下に「心」。「被」は本当は「てへん」

(せかい いんもに 広闊(こうかつ)たり、なんによってか、鐘の音、裡(り。うち)に向かって七条をきる)
 世界はこんなに広く大きいのに、合図の鐘が鳴ると、なぜ七条の袈裟を着けて出なければならぬのか。

 雲門和尚(864年 - 949年)の語。これだけ読むと「もうめんどくさいなあ。そんなのどうでもいいじゃん」と読めるのだけど、「世の中はそういうもんだ。そうあるべき」と読む感じ??秋月さんの解説では

 古人はこの則に世語(古則公案を批判鑑賞して日本語をつけた語)をつけて、「お手が鳴ったらお茶もってこい、またもなったら煙草盆」といった。間、髪を容れぬ、「本来の面目」の働きが問題である。

と書いてはる。高級クラブ(私は行ったことが無いけど)で、お客様がタバコを持った瞬間にライターが出てくる、みたいなこと?あと沢庵和尚の言葉を紹介し

「石火の機と申すも、ピカリとする稲光の速きを申し候。例えば『右衛門』と呼びかくると、『はっ』と答うるを不動智と申し候。右衛門と呼びかけられて、何の用にてかあるべき、などと思案してあとに、何の用か、などいふは住地煩悩にて候」

とのことですが・・・

 これも状況によって変わってくるかな。子育て中の親御さんはお子さんから呼びかけられて間髪を容れずに、まだ言ってもいない要求に答えちゃだめだろうし・・・

 でも「鐘の音」で生活を律するのは、それはそれでいいことだと思うけどね。で、スマートフォンのリマインダーを使ったりするわけだしね。





 
 
posted by kingstone at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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