まず公式ホームページはこちら。こちらの制作には私はいっさい関わっていません。
「自閉症の子どものクラスルーム・研究科」公式ホームページ
なお先に書いておくと、現在は活動していないと思います。
たぶん、1997年10月に行われた朝日新聞社厚生文化事業団主催の「自閉症の子どものクラスルーム」という会に私は参加します。早い話がTEACCHの2日間セミナーでした。しかし広報のチラシにはTEACCHと入ってないものもあり、入ってるのも小さく1か所だったり・・・まあノースカロライナのTEACCH部がやってるわけじゃないから、ってのもあるけど、ひょっとして「これは書かないほうがいい」という判断が働いていた??当時の世の中の状態とかを考えると十分ありえることだと思います。私も後でTEACCHという名前を出してえらい目にあったことは何度もありますので・・・でも私は最初から「TEACCHから学んだ」と言い続けましたけど。自分が参考にした先行事例の名前を言うって当然でしょう??そんなもん隠すようなもんか?まあ話が横へそれちゃうな。
で、私は1日目からすごい!!と思ったわけです。1日目、特性とかの説明があった後、実際に自閉症のお子さんが来られ、「私たち」に構造化(見てわかるようにする)した上で関わらせて下さり、あることが「できる」わけです。「できない」時は再構造化について参加者で話し合い、またやってみる。誰か「すごい人」がやってくれるんじゃなくて「私たち」ができるわけね。
一泊二日だったので、その夜、廊下でうだうだと話をしていた時、主催者の新聞社の方、スタッフとして参加しておられた親御さんと3人で、うだうだ話をしていました。
新「ほんま先生っちゅうのは勉強しよらん」
親「そやそや」
私「(沈黙・・・周囲を見ていてその通りやと思っているし、しかし私もその一人だし、何も言えない・・・しかし教師が「勉強してない」わけでなく、教師に教える指導主事や大学教授がめちゃくちゃなことを言っていたのだから、現場教師を責めるのもなあ・・・という思いもありましたが・・・教師、「勉強してる」んですよ。えらい人の言うむちゃくちゃなことを・・・)」
新「先生が勉強する会、作るべきや思わへん?」
親「そやそや」
私「欲しいですよね(ほんと、会に参加して私はびっくりしたけど、さてしかし、学校で何をどうやったらいいのか全然わからない。だから継続的に勉強する場は必要だと思った)」
新「あなたが作りよ」
親「そやそや」
私「(実は私相当うつも来てたと思う。だから「自分で作る」というか「代表」になるとか言うのは絶対嫌だった。表だって動いたり、「責任」をとったりするのは無理と思えましたので)ええっとじゃあ「新」さん代表して下さい。事務連絡は私が全てやりますから」
ということで勉強会を作ることになりました。最初の案内(私が作り、私が郵送した。まだメールを使う人は少ない時代)は確実に「新」さんを代表として出しています。また勉強会の会場も「新」さんが探しだしてくれました。
そうして「自閉症の子どものクラスルーム・研究科」という勉強会が発足することになりました。私は「長い」のと「研究科」という名前はちょっといやだったのですが・・・なんか「研究なんちゅうもんとちゃうやろ」という思いもあったし。
「新」さんはめちゃ忙しい方だと思うのに1回目の勉強会に来て下さいました。駅で待ち合わせして会場に向かう道すがら
新「あんなあ。あの会場、この市の人間が代表やったら会場費タダやねん。私はこの市に住んでないし、名前だけでもあんたが代表になりぃ」
私「ええぇぇ・・・(しかしお金の問題はすごく大きな問題だったので(もちろん会費は取ります。そしてちゃんとお金を払って外部講師にも来て欲しかった)・・・うう、じゃあやります」
でそのまま会場事務所で代表交代の手続きをしました・・・書類の名前を書き換えるだけですが・・・
でね・・・実は「新」さんの言われたこと・・・ほんまやったんやろか?と疑っています。今まで会場に確認したことは無いのですが・・・その後、いろいろな会の代表者会議というのにも出たことがありますが、結構他都市の方もいらっしゃるし・・・
で1997年末から活動を始め、私が2001年3月まで代表。
で2001年4月から私はどうしても自閉症児託児活動「れもん」をやりたくなって研究科代表は別の方にやっていただき、(これは勉強会に親御さんにもたくさん来て頂きたいから)その後は「れもん」の代表に。(「研究科」と「れもん」は別組織です。それぞれ独立採算です)
しかし2003年頃からうつがひどくなってきて、2003年4月からは親御さんが「れもん」の代表になって下さいました。
その後、私はだんだんとネタキリに突入していき、「れもん」も「研究科」も2007年頃か2008年頃か自然消滅したのかな・・・私もネタキリになり、外へ出ていかなくなったのでよくわからないのです。
なお、私は1980年代始め頃からカウンセリングの学習と体験を続けていて、その中で「自分の学びたいことは自分で言い出しっぺになって参加者を募る」「当然会費は払う」「お金を払って外部講師を呼ぶ」というあたりは、自分としては当然のこと、という感覚があります。
このあたり「たいていの学校の先生」の場合は感覚が違う場合は多いですね。
「公的な研修でなければダメ」
「だいたい公的なのは信用できるけど民間なんてダメ。信用できない(「特殊教育学会?それ民間やろ。文部科学省のちゃうやろ(特殊教育学会をご存知無かったのもすごいけど、文部科学省の研修じゃないからダメ、というニュアンスで言われたのもすごい・・・)」と言われた特別支援学校のリーダー的な先生もおられた・・・)
いやまあそれはそれでいいのですが、でありながら
「公的研修は動員ばっか。忍耐研修とか。実際には役立たない」
とか文句もおっしゃる。
そういやなあ・・・私、少なくとも特別支援学校時代は校内研修でも上(研修部とか)から決められた研修内容や名前を強引に「私が勉強したいテーマ」に変えてしまったこと何度もあるなあ。でもなかなか難しいことだとは思います。
ラベル:自閉症 特別支援教育