※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年05月28日

5月28日(月曜日)  天上天下唯我独尊

 おはようございます。

 とてもいい天気です。
 昨日もちょっと暑いくらいになりましたが、今日もかな?


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

 「てんが」だと思っていた・・・
 また、私は「この世の中でただ私だけが尊い」という意味で、すげえ傲慢不遜な言葉やなあ、と思っていました。しかし秋月さんの解説によると、この「我」は「自己がなければ、すべてが自己」「自他不二の自己」の自覚であり、「天地と一体・万物と同根」で平等一如・自他不二の「我」が尊い、ということであるらしい。

 なるほど、なら「傲慢不遜」ということはなくなるな。

 しかし・・・ほんまかなあ・・・

posted by kingstone at 07:54| Comment(3) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 「てんが」だと思っていた・・・

 「上下」を「じょうげ」と言いいますね。「じょう」も「げ」も呉音なのです。漢音は「しょう」と「か」。
 ただ、我々は日本人なんですから「てんが」でも「てんか」でも「あめしも」でも良いのです。「こう読みならわさなくてはならない」と言うのは愚かな話です。
たぶん、そういうことをしたり顔で言う人の大半は「孔子」を「こうし」と読むでしょう。そう読むようになったのは明治以降で、江戸時代までは呉音の「くじ」と読みならわされていました。
 また、呉音にせよ漢音にせよ現代チャイナの人には通じない点で等価です。
「tian shang tian xia」(インピンは、表記が面倒なので省いてます)と読まないと通じません。
Posted by もずらいと at 2012年05月28日 21:36
もずらいとさん、どうもです。

|「孔子」(中略)江戸時代までは呉音の「くじ」と読みならわされていました

びっくり!!
Posted by kingstone at 2012年05月28日 22:28
源氏物語の「胡蝶」の巻では「恋の山には孔子の倒ふれ」というのがあり「くじ」と読んでいます。「孔子」と「籤」を引っかけている表現も結構あります。ダジャレで有名なチャイナのものは「孔夫子搬家(孔子の引っ越し)」です。その心は「負けてばかり」。孔子の引っ越しはたいてい「書」だろう。「負け」は「輸」でどちらも似たような発音なのです。「輸」に「負け」の意味があるのは漢和辞典で確認できます。
Posted by もずらいと at 2012年05月28日 23:10
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