しかし・・・いつもわからなくなるのですが「ラジオ関西」と「AM神戸」は何がどうなっているんだろう??
私は時間が無かったので11時半集合という「大輪田泊コース」へ。
10時半頃に集合場所の兵庫駅南側広場に行ったら、既にテントはありました。
駅前のパン屋さんでコーヒーを飲みながらWi-Maxをつないで少し仕事をし、11時半に行ったら長蛇の列。
しかもその列が全然進まない。理由は自分の番が来てわかりました。なかなかいい地図を下さったのですが、その地図にあるスタンプや最後に抽選会がある説明をいちいち口頭でやってる。また、そうなれば相手の人もわからないところがあれば質問しようとしますよね。それで全然進まなかったのです。その地図に書いておくか、説明を書いた別紙(A5とかA6とか、もっと小さくてもいいと思う)をパッパッと渡せばいいだけのことだと思いますが・・・
でもって、案内して下さる方なんてどこにもいない(;_;)
後でわかりましたけど、何人かいらっしゃったみたいですが、バラバラ進む小さな集団をそれぞれが作り、全体への最初の案内も無し・・・いえ、無いなら無いでいいですし、100人200人固まってなんて無理ですけど、それならそれで最初に説明が欲しかった。Webページに出てるような人、どこにも見かけなかったぞ・・・
しかし、地図が良かったのと、それでも人の流れはあるので、それについて行けばなんとかなりました。
福海寺。禅宗と書いてありますが、何禅になるんだろう?
平清盛公遺愛の時雨の松の石碑の説明。松そのものは無い。
蛭子神社(えびすじんじゃ)の鳥居。いわゆる「やなぎはらのえべっさん」(正月に福男を決める西宮のえべっさんとは違う)
社殿。
これは柳原の天神さん。地図には名前はあるけれど、丸数字はつけてもらっていない。
天神さんて牛さんがいるよね。
それから同じ境内がお寺も兼ねているのかこんな看板が・・・
時宗。一遍上人が開祖の宗派ですね。で、後でわかりますが、一遍上人入寂のお寺もあるし、このあたり時宗のお寺がたくさんありました。
次は能福寺。
天台宗のお寺。TENDAI SECT(テンダイ セクト)って言うんですね。で、このお寺の名前は知らなかったのですが、なんや兵庫大仏さんや。
このマンションとの対比がシュールです。で、この日はこんなパフォーマンスも。
またこんなリムジンも止まってました。強面の警備員さんもいました。これはいったい何をねらっていたのかな?
このあたり食べるところが少ない感じですが
ビリケンさんを店頭においた食べ物屋さん。ビリケンさんは通天閣のが有名ですが、神戸新開地あたりでも有名です。
この日はお客さんでいっぱい。途中、座れる所が少ないからねえ。確かホットコーヒー300円だったかな。お寺とかでも、出ている店でも300円くらい。ちょっとお値段高めだと思いましたが・・・まあ普通の喫茶店だと350円は当たり前の世の中ですが、専門店でなければ200円くらいで出してくれたらいいのになあ・・・
須佐野公園。
須佐野公園にある「和田の笠松」の看板。昔はこういう「松の木」とかがランドマークになっていたんですね。目立つ建物とか少なかったんだろうな。
須佐野公園の南にある「真光寺(しんこうじ・・・まひかりでらではない)」の門の前にある「一遍上人示寂之地」の石碑。この真光寺で1289年に満50歳で亡くなっています。当時の方としては人生50年、そんなもんだろうなあ。そういう意味では、平清盛は道半ばにして亡くなった、というイメージを持っていましたが、享年64歳(数えかな?)ということですから、ある意味大往生なのかも。
で一遍上人が「どのようにして食べて行ってたか」というのはすごく興味深いとろこです。芭蕉なら曽良と二人ですから地方に行っても食べさせて下さる人がいたとして不思議は無いですが、一遍上人の場合、絵巻を見ても集団(時衆)ですから・・・一人の歌手なら食べられてもバンドはたいへん、というのと一緒で、あれだけの人数を食べさせることができるだけの力ある人々(しかもたぶん食っていけない人がたくさんいる頃)がそんなに数居たのだろうか?
それとも各地でレイブをやる感じで、人や物が集まったのかな?
本堂。
お墓のピラミッド?結構迫力ある。
境内にある井戸。平清盛が真光寺に弁財天を勧請した時に、僧がこの井戸の水でお茶をたてて献上したと。水はまだあり、そこに顔を映すと美人になるとか・・・
立て札。
他のお寺でもこんなふうにいろいろやってはるところもありました。
清盛塚。しかし、発掘調査(?)をしたら遺骨とかはなかったらしい。
この住吉神社の境内に清盛塚はある。周囲は
こんな感じの運河地帯。
薬仙寺。このお寺も時宗。
これは薬仙寺の前にあった表示だと思うのだが・・・しかし、平清盛が後白河法皇を幽閉したのは氷室神社じゃなかったっけ??氷室神社に平教盛の別邸があり、後白河法皇が幽閉されていた、という看板があったけど。こちらの記事にあります。
この井戸は後醍醐天皇が1333年にこのあたりに来た時に病気になられ、この井戸の水をさし上げたとか。北条氏が滅んだ時やね。(いちみさんざん北条氏)
由来の看板。
お寺の壁にかかっていた寿老人の説明。寿老人は鹿をお供にしているのだけど、「その鹿の肉を食べると二千歳の長寿を得る」って・・・そもそも寿老人のお供の鹿を食べる、という発想がすごい。
中の島交差点のあたりから山側を見る。私も神戸で育っていて、「山と海の狭間、傾斜地」のイメージがあるのですが、このあたり埋立地とはいえ、山までの距離があるのにびっくり。
このあたりで私は次の予定が詰まっていて、離脱。あとは通りすがり。
中央市場。
歴史館というやつ。時間が無かったので中は見られなかったので、また今度。
300円だし。
ラベル:清盛 大河 神戸