薄日はある感じですが曇です。
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー
一糸文守(いっしぶんしゅ)和尚(1608-1646)は秀才で片っ端から古今の公案を透過し、十九歳でもう天下に師とする者なしと自負した。沢庵和尚(1573-1646)が堺の南宋寺にいると聞いて参じた。そしてとくとくと点検を乞うた。
一糸「諸方の長老のもとでこれこれの公案を見得した」
沢庵「(大笑し)そんな仏法はわしの所にはない。閑葛藤(無駄な思慮分別)を並べて仏法の切り売りをするようなことはわしはせぬ。わしの仏法はただ一粒だ。一粒の丸薬がよく万病を治すのだ」
こののち一糸は真剣に沢庵に参じたが、沢庵はついに彼を認可しなかった。天皇の口添えもあったのだが。
沢庵が堺にいたのはWikipediaの記述から見ると堺にいたのは1度目は1594年以降のどこか。1604年に沢庵の号を得た。1607-1609年は大徳寺にいたが、大徳寺第154世住持となったが3日でやめ、堺に戻り、1620年に出石(生まれ故郷)に戻る。一糸文守和尚と会ったのは1609-1620の間か。1627年紫衣事件が起こり出羽国上山に流罪。後の大赦で江戸や大徳寺・出石などに住み、最後は江戸で。
沢庵の遺偈は「夢」
これは小理屈並べる奴に「そんなもんちゃうぞ」と言ったという感じやな。もし「これこれを解いた」とかたくさん言わず、自分にとって一番大事なひとつだけを深く言ったらどうだっただろうか?
ラベル:挨拶 天気 禅語