雨です。
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー
臨済「われわれのこの肉体の中に一人の無位の真人がいて、つねに眼耳鼻舌身意を通じて出たり入ったりしている。すなわち君たちが見るところ、聞くところ、思うところに、生き生きとして働いている。まだそれを自覚体認しないものは、心眼を開いて見よ見よ」
僧 「無位の真人とは、どんなものですか?」
臨済「(イスから降りて僧の胸ぐらをつかみ)言え、言え!」
「(いきなり僧をつき放し)無位の真人のくせに、なんという糞かきべらだ(役立たずの鈍物め)」
臨済はさっさと方丈へ帰って行った。
赤肉団上 有一無位真人 しゃくにくだんじょうに むいのしんじんあり
ー臨済録ー
「赤肉団」というのが人間か。
結局無位の真人というのは「よきもの」「あしきもの」とかなく「ただそうあるだけ」のものなんだろうな。
でも、結局、そんなこと考える時点で間違っているのかな?
それこそ「言葉にこだわるな」というやつかもしれない。
ラベル:挨拶 天気 禅語
亡くなった立川談志は「ちゃんとした型を持っていてあえてそれを超えるのが『型破り』。型を持っていないのに崩れるのは『形無し』」と言ってました。禅宗がメジャーにならなかったのは「形無し」を大量生産したからかと思います。
|「ちゃんとした型を持っていてあえてそれを超えるのが『型破り』。型を持っていないのに崩れるのは『形無し』」
これはよくわかります。
まあ、私も「形無し」かもしれません。