私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年03月18日

3月18日(日曜日)  まあおあがり

 おはようございます。

 細かい雨が降っています。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 玄沙和尚(835-908)は韋将軍と菓子を食べていた。将軍が問うた。

韋「古語の『日に用いて知らず』というのはどんなことですか」
玄沙「(菓子を取って)まあおあがり」
韋 菓子を食べた。
韋「『日に用いて知らず』というのはどんなことですか」
玄沙「それ、それ。それが『日に用いて知らず』じゃよ」

 ここに秋月龍aさんは「物を食うところ、水瓶を動かすところ(これは「古仏過去久」のエピソード)、そこに真人(臨済が、仏陀すなわち自覚者を独自の禅語で表現した言葉)の働き、古仏の在処(ありか)があるというのだ」と書かれています。

 う〜〜ん。「食う」「動かす」に「ある」のかな。「ない」と伝えたかったのじゃないかな、と思うのだけど。つまり「言われるがままに動く。そんなところに『悟り』(古仏や「日に用いて、それを知っている」ということ)は「無い」と言いたいのじゃないだろうか。たとえ言葉を発した相手がどんな「権威」のある者でも。

posted by kingstone at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック