私の関わりのある法人
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2012年03月13日

3月13日(火曜日) モウナイをもらってこい 

 おはようございます。

 うすい雲が刷毛ではいたように浮かんでいますが、いい天気です。


ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー

 釈尊の従弟で、のちに釈尊の十大弟子中、天眼(衆生の未来の生死を知る天人の眼)第一と謳われた阿那律尊者は、幼少の頃に友だちと物を賭ける遊びをして、いくら賭けてもみな取られた。そのたびに召使いに命じて母の所にねだりにやる。母は一包みずつのお菓子を渡したが、たび重なってきりがないので、「お菓子はこれでもうおしまい、あとはもうない」といってやった。それもたちまち取られてしまったが、阿那律坊やいっこうに困ったふうもない。召使いに「早く行って母様にモウナイという物をもろうてこい」といい、友だちに向かっていばっていったものである、「今度のはお菓子じゃない。モウナイというすてきなものを賭けるから」

 syunさんは昔から「何かを選択する権利」「それを実行する権利」「失敗する権利」それを自閉症や発達障害の人はさせてもらってない、と言ってました。そしてそれらを含めて「自己責任」と呼んでいたのですね。小泉純一郎さんの言う自己責任とはちょっと意味合いが違うような・・・

 で、実は肢体不自由の方も同じようなもんだったのですが、自立生活運動などを通じてだいぶ変わってきました。

 で、この自己責任、漢字にするとえらく難しげですが、そんなことはないんですよ。

 例えばここにオレンジジュースと牛乳がある。2つを示して選んでもらうと、A君はいつもオレンジジュースを選んでおいしく飲む。たまたま今日は牛乳を選んだ。すると提示していた人(この場合、状況からしておかあさんが多いかな)が「あんた何言うとん、牛乳嫌いなはずでしょ。こっち飲み」と言ってオレンジジュースを渡してしまうことが多い。でも、ここは「黙って」牛乳を渡せばいいんですよね。
 で、A君は牛乳をひとくち。やっぱりまずかったらしくいや〜〜な顔をしました。で後は飲みませんでした。
 ここで周囲の人が「ほらやっぱり」なんて言う必要はありません。A君は「牛乳は(A君にとって)まずい」というのをしっかり味わえばいいだけです。それが選択であり、自己責任です。

 例えばお金を使うこと。自分の財布があり、そこからお金を出して自分の物を買うこと。そうやってこそ「自分のお金」というのがわかっていくし、また「財布の中にこれだけのお金があるから、どの値段の物を買えばいい」というのもわかってきます。
 それをいつもお母さんや周囲の人の財布から出していれば「自分の物を買う時はあそこからお金が出てくる」と覚えます。本人にとってはそれが当たり前になっちゃいますね。上のエピソードの阿那律尊者と同じことです。

 特に自閉症や発達障害の人は「見てわかる」に強いのだから、「お母さんの財布」「周囲の人の財布」からお金が出てきて「自分の物」が手に入れば、そりゃあしっかり「そういうもんだ」と覚えてしまいます。

 別に賭け事だってやっていいわけですが、その時賭けるのは「身を切るような自分のお金」だ、ということが、ちゃんとわかってないとダメですね。

「ちづる」 自閉症の人が主人公のドキュメンタリー



posted by kingstone at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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