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2012年03月04日

「ジョブズの怒り」と創造性 という記事について

WIRED の記事。

「ジョブズの怒り」と創造性

 なんか面白いです。
 ジョブズの話は枕に過ぎず、あとはいろいろな実験の話になっています。

容赦ない怒りを爆発させることは、ジョブズ氏の経営手法において、常に重要な位置を占めてきた。彼は失敗にためらいなく向き合い、否定的なフィードバックを控えない。米Apple社のリードデザイナーを務めるジョナサン・アイブによると、同社のグループミーティングは「残酷なまでに批判的」なのだという。

 ひとつ思うのは、特別支援学校なんかで、例えば子どもをパニックなどに「させて」いるのにもかかわらず、それを「取り押さえた」ということで「俺達、頑張ったね」と褒めあったりすることはよくあるわけですが、それはそれ以前の段階のことに「怒り」「批判」を向けなければならないのではないか、ってこと。

研究チームが最初に行った単純な実験では、創造性を要する課題において、怒りを感じているときは、少なくとも悲しい気分のときやニュートラルな気分のときよりも、「形にとらわれない思考」が生まれやすい、という結果が出た。

 へえ。

むろん、だからといって、怒りは万能であるとか、否定的感情は常によいアイデアを生む、というのではない。何しろ怒ることは疲れるし、「リソースを枯渇」させる行為だ。実際、怒っていた被験者は、初めのうちこそたくさんアイデアを出したが、能力が落ちるのもあっという間だった。

 これはよくわかります。後でグッタリきます。

この結果は何を意味しているのだろうか。怒りは非常に刺激的で、活力を生み出すものだと筆者は思う。怒りによるアドレナリンの噴出は、もう少し深く掘り下げて考えること、いつもの薄っぺらな思いつきから抜け出すことを可能にする。反対に、ニュートラルな気分や、満足した気分でいるときには、よく知らない可能性に賭けてみたり、知的なリスクを冒したり、斬新なアイデアに取り組んだりする気にはならない。批判を受けないでいると、われわれはいつまでも同じところにとどまってしまう。怒っているときのほうが、いつもと違う発想が生まれやすいのはそのためだ。

 やっぱり、私がいろいろ動いた原動力って、「現場で行われている理不尽なこと」に対する「怒り」だもんなあ。

 で、たぶん私は小さい時からあまり他人には怒らない人だったけど(母親には当たり散らしていたらしい・・・(^_^;))精神的にまいってきたころはもう「怒鳴る」ようになっていた。

自尊心を大切に

とか。

 で、だんだんウツがひどくなり、ネタキリになり、怒ることも泣くこともできなくなってしまいました。

 丁度2年くらい前から、ドラマとか見て号泣することができるようになりました。で、今は結構怒ってることもある。

 最近、いろんなところに営業やプレゼンで行った時、結構「瞬間湯沸かし器」状態で怒り出すことがあります。
 相手は何で私が怒っているのかわからないかもしれません。
 でも、それも「悪い」ことばかりでもないようです。

 そういやつい先日妻と話し合いました。妻が見たテレビ番組でどっかの「先生」が「褒める子育て」を講演して人気だそうだとか。で、それに円広志さんが「そやけど怒ることも大事でしょう」とツッコんだら、「それももちろん大事です」とおっしゃったとか。で相手を思う気持ちが大事だとおっしゃったとか。

 そやろか??

 それって相手をコントロールしようとしてないか?神様やないねんから・・・

 私は「怒り」の感情が出てきたら、出してもいい場合があると思っています。しかしそれは「自分が怒りたいから怒っている」だけで、他人のためなんて言ったらおこがましいと思う。

 それは相手にちゃんと伝わるかもしれない、伝わらないかもしれない。でもそれでええやん、と思います。

 もちろん、普段の生活はお互い褒め合えるほうがよっぽど楽しいと思うけどね。

posted by kingstone at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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