曇りです。
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変え
彦根藩主織田信茂は、原の松蔭寺に白隠和尚(1685-1768)を尋ねた。
織田「仏教では地獄・極楽ということを説くが、はたして地獄だの極楽だのというものがあるのであろうか」
白隠「貴公は武士ではなかったのか」
織田「いかにも武士でござる」
白隠「武士なら武士らしくすればよい。なんで地獄だの極楽だのと騒ぎめさる。さては貴公、地獄が恐ろしいか」
織田「(むっとして)失礼でござろう。真剣におたずねしているのに」
白隠「お、怒ったの、腰抜け武士」
織田 満面朱をそそいで、思わず刀の柄に手をかけた。
白隠「(破顔一笑して)それ、それが地獄というものじゃ」
織田 はっとして手をついてわびた。
白隠「それが極楽じゃよ」
む〜〜、わからん。怒った状態、感情の激した状態、それはあまりあって欲しくない状態だけど、それ「地獄」かなあ?
で、はっとして手をついた、ってことはここは穏やかな心の状態になっていると思うけどこれが「極楽」?
まあ「極楽」は近いかなあ、と思うけど「地獄」は全然違うと思うなあ。
ラベル:挨拶 天気 禅語
ということはプライドを汚されたのでその対象をなくしてしまおう
という、我欲に支配されている状態と言うことなのでしょう。
>はっとして手をついてわびた。
のはそこから解き放されたという理解なのでしょう。
Twitterでも他の方からお返事を頂きまして、やはり「我欲に支配されている」というところが問題との指摘を頂きました。
で「禅」ではそうなのかもしれませんね。
私は「我欲ばりばりでいいじゃん」と思ってしまうので、地獄と言われてピンとこなかったみたいです。
(もちろん、本当に切ってたらえらいことですが・・・で、それで後悔の念に苛まれるとしたら、それは地獄やろなあ)