出所後に自立困難な高齢、知的障害者支援へ研修会
社会福祉士会の研修を公開して頂いたようです。ありがたいです。
私は「地域生活定着支援センター」というものがあるのも知りませんでした。
パネルディスカッションでは、支援に携わる専門家らが報告。知的障害者らに交付される療育手帳や生活保護を受けるなど一定の福祉支援があっても、事件を起こすケースが少なくない実態が紹介され、「一律的ではなく、本人の特性に合った支援を考えなければならない」との意見が出た。
う〜〜ん・・・特性という言葉は出なかったような気がするのだけど。出たかな・・・
で、ある「地域生活定着支援センター」で1年間に支援した人の数。
知的障害19人。身体障害7人。精神障害21人。発達障害2人。高齢者19人。不明3人。計71人。
ということです。これはたぶん手帳の有無だと思うのですよね。診断??
まあにしてもこの中の知的障害・精神障害の中にも自閉症・発達障害の人は多数含まれてるんじゃないかな。まったくの推測ですが。
で、最後の質疑応答の時に、意見として「おめめどうはコミュニケーションサポートに強みがありますんで、また何かありましたら声をかけて下さい」とお願いしました。これ「意見」でなく「営業」か??
なお、この記事中の写真、丁度しゃべってはる講師の先生は、ホームレスの人の支援を昔からしてきはり、今もやってはる方。パワーポイントの資料の中にやってきたことを見出しだけ簡潔に書かれたスライドがあり「今日は時間が無いので『やってきたこと』の部分は説明しません」とおっしゃいましたが、そこに書かれてあるちょっとした言葉を見れば「ああ、この方、ほんまにやってはる」というのがよくわかりました。
私は丁度、この写真の左側、切れてる部分に座ってました。
ラベル:支援 知的障害 自閉症 発達障害
「生涯被告「おっちゃん」の裁判 600円が奪った19年」を読みました。
有名な「累犯障害者」で一行だけ出てきた600円の窃盗で一生被告だったろうあ者の物語です。
引取り人が盲人だったんです。
見えない障害と聞こえない喋れない障害。この二人の間のやりとりが温かいです。
療育の歴史には早い遅いがあり、視覚障害が最長兄、生意気な次男が聴覚障害、あと肢体障害、知的障害、精神障害と続く、最初の物語。と思いました。
「おっちゃん」が、ぬるくなった獄舎の牛乳を2つとっておいてくれてくれるんです。握らされてわかる。
二人で一緒に寝起きして、名前を覚えさせようといろんなところに名前の張り紙をするんですが、すぐはがしてしまう。ゴミとしてしか映らないのに無理をさせても仕方がない。
(^_^; ちょっとだけ身につまされました。
テレビに字幕を、という活動をしていたくせに、私は今テレビを見る習慣がつきません。
映画館に行ってマイナーなテーマを選んで、ひとり泣いています。
「ゴミとしてしか映らない」
これはありそうです。自分にとって意味ある情報じゃないとね。
視覚支援は万能ではない、っておっしゃっていたのはこのあたりに似てる話かも、
と思って想像してました。
さて、私、このコメント限りでブログをおいとまします。
きっと勉強は続けますが、他にも可能な限り表舞台から消えます。
私がここに来てお話しするようになった理由はね。
前から障害児教育フォーラムの名奉行と言われていたKING STONEさんとお話し
してみたかったのです。
私はもともと「一番辛辣な人をそばに置きなさい」という父の教えに従って、
もずらいとさんのところに来ました。
もずらいと先生は本来甘やかされて無礼者が多い聴覚障害者をほぼ全般的にお嫌いな方だったようで、著作権争議で気になった後、ご縁を取り結ぶのに数年がかりで時間がかかってしまいました。
そのもずらいとさんが片時も離さず気にかけて
いる方と聞いてKING STONEさんに初めて興味を持ちました。
いろいろ書いてきた内容に後悔はありませんが、
やはり書きづらかったのです。その理由をゆっくりとさかのぼっていたのですが、
「自慢話」のように読めると思うのです。
自分の出会ってきた体験の自慢話。子育ての自慢話。自閉症だけでなく縦横にいろんな
障害の話、歴史や書籍を引っ張って持ってくること自体。
私自身はどこにも肩書きのないダメ人生なのにって。
実は新聞の読み方も知らないことを正直に告白したことがありますよ。(^_^;
もずらいと先生に教わってるって。じゃー、どうしてこうも偉そうかってそら思うわな。
たとえばね、
>大平光代さんに私はとても期待しています。
>おそらくダウン症児のみめかたちまで変えてしまう人です。
こう書くと、今現在ダウン症児を育てている親御さんはみやびさんってやっぱり
失礼極まる、と思ってらっしゃると思います。
それでこれをまず申し訳なくて書き足そうと思っていました。
ごめんなさい。お詫びします。
最近とても気にかけていたのが障害者の社会性のことです。
私も足りませんが、最近急速にまともそうに見えるようになったようです。
でもたくさんの人間が入り乱れた関係では失敗しつづけです。
今ちょうど、その核心をKING STONEさんが相談に乗ってくださっている状態なんです。
これが数年前でしたら、挙動った難聴者の私しか会ったことがない人が何人かいる
でしょう。「文章のわりにはたいした人間じゃない」と今でも固定的に言う人がいるでしょう。
東田直樹さんが「話しかけられても適切な返答の言葉をかえせない」という
事例を何度か書かれていたと思いますが、
実は私もそうでした。何を話しかけられても反射的に「はい」と言ってしまって、
自分が何を本当は選びたいのかを想起することさえ難しいの。
聞きとるだけで(読唇だけで)必死で頭いっぱいになっちゃうんだよ。
それで東田さんの悩みが似てるなぁってよく思うことがあります。
そのままでよいと思ってなかったから。
すごく努力してここまで自分を上げてきたんです。
このあいだ明石でお会いしたときに「全聾でこれだけ喋れるのはすごい」と
おっしゃってくださって嬉しかったです。私、小2で失聴したあと、声が崩れていた
んですよ。価値観もそのまま狭いままで就労のイメージも貧弱でした。
だから失敗したのです。
結婚するときに夫と約束したことがあります。
「私の声は聞き取りづらいと知っています。
でもきこえたふりだけはしないでください。
何度聞き返されても怒らないから、夫婦で話してくださいね」
って。
夫はこれを忠実に守ってくれました。また、約束していたとおりに手話サークルに
通って手話を学んでくれました。
でも、最初は指文字ばっかりで(^_^; 私が根気強くそれを笑顔で読み取りながら、
「そこは手話でこうやるの」
ってナビゲーションしてるうちに、今、わりとなめらかに手話を使っています。
逆に読取りが苦手でちょっと変なのですが、こうやってお互いを育ててきました。
娘を育てるときも、トイレトレーニングから指文字を。
手話も育てなくてはいけないんだけど、これは私が怠け者で私自身が声で喋って
しまうから、
私が修行に出ることにしました。
小さな手話サークル月300円を引き受けていて、これは続けますが、
私自身が手話を学ぶために、ろうあヘルパー2級をとりにいきます。
ずっと再開を待っていたんだけど今年限りかもって募集が立ったので、今ならって。
私より苦労が多い人生だったのに、明るいろうあ者のおばあちゃんおじいちゃんたちから
人生の経験もいただいてこようと思っています。
昨年一度、ディサービスのような手芸サロンに利用者として参加して、
お話がどうやら大阪市ろう学校のABCシステムのようなのですが、
お連れ合いよりもほんの少しだけ耳がよかったという自慢話を、何度でも否定しないで
聞いてあげたいと思ったの。
聞いていて、甘酸っぱい想いでいっぱいになりました。
私の社会性を育ててくれたのは。
いろんな障害を持つ先達のみなさんで。
聴覚障害は逆に少なく、
脳性麻痺、ポリオやウェルトニッヒホフマン症とか筋ジストロフィーの車椅子の
お友達、自立生活運動の闘士のみなさん、
娘にホットケーキを焼いてくれるような、一緒にお花見をしてくれるような
知的障害のお嬢さんがた
視覚障害やパニック障害などやさしい人たち、
苦労の多い人生のヘルパーさん、
難病や寝たきりの重度障害児のお父さんお母さん、
可愛いこぐまちゃんのような自閉症児のお母さん、
統合失調症末期でしょう骨と皮ばかりになって死んでいった私が食事介護していた女性、
そんな方々でした。
私の人生で誇れるのは障害がネガティブイメージではないこと。
人生とは戦うものだと教えてくれる人たちがいたこと。
娘もまたそう思って誰にでも心に垣根がないということ。
まだ数年の子育てです、尾についたばかりですがそれだけは後悔しないでいます。
「人は人によって育ちます」と言ってくださった手話通訳士さんがいます。
ああこれか、と思ったことがあります。
それは個人差がありますが、障害者だと身繕いの仕方を教えてくれた人もいないような
貧しい身なりの人がいること、それから戸の開け閉めなど細かい気遣いを教えてくれた
経験もないようであることが結構あるのです。
障害者運動で、周りの支援者をこき使って偉そうで実際には嫌われている話も、
ヘルパーさんが少し一緒に過ごす工夫を提案しただけで怒ってしまう障害者や、
ご家族の話もありました。ご家族もまた地域に長く壁をつくっていたせいか、
コミュニケーション能力が低いのです。
そういうことをずっと心にとめてとりあえず自分の反面教師にしかできなかったのだけど、
私も未熟なのです。日々努力です。
ろう者でも、能面のような無表情や粗野な野暮ったさ一方で、
綺麗な女優さんも出てきています。これは聴覚障害児教育が半世紀ぐらいで劇的に
進歩した結果の差だと思うのです。
ダウン症は兄弟のように似ていると言います。それ以外に気にするところというのは、
多分ダウン症本来の特性ではないと思います。
最初から「ダウン症だから」「自閉症だから」と決めつけた世間が作っている容姿だと
思うのです。
関わることを諦めた世間こそが作ってる。世間が価値を認めて大切に育てれば、
内側から輝き渡るように美しく変わるでしょう。
それで、今はとても無礼者の私ですが、
いつかどこかで自閉症やダウン症の人のおともだちとして
一人の人間として出会う私になりたい。
私はそういう夢をずっと持っていて、
それで小1の時までダダ父通信の言葉がけを手本にして健常の娘を育てました。
きっとバカだと誰もが思うと思うんですけど、それでなくってもろうあ者の子育てって大変
なのにって。
でも、当時欝で体調も最悪だったときに飛び回る娘と一緒に街を歩く辛さは、
多動のお子さんに手を焼く自閉症児の親御さんの苦労を思えばどんなにでも耐えられたから。
ずっとそう思っていました。
だから、3年前、袖ヶ浦特別支援学校で無理心中があったときに、
私の一番大切なものが壊れてしまったぐらいのショックだったのです。
自閉症の子育てはとてもたいへん。
わかっていることですが、社会の誰かとつながる夢を持たせることを、
まず親御さんが諦めて地域に壁をつくっていることが辛かったの。
私なら、私が自閉症の子を授かったら、
たとえパニックを起こしておとなりに迷惑をかける時もあるとしても、
自分から手作りのおすそ分けを持って行って笑顔で頭を下げにいくでしょう。
自閉症のわが子にほんの少しからでもいいから料理を教えて、一緒に作って、
「パニックでご迷惑をおかけしてすみません。
でも二人で心をこめて作りました」って持っていくな。
そういう、人とつながる才能を私の両親、特に父は教えてくれました。
施設内虐待は、おそらくオンブズマン制度でも虐待防止法でも防げません。
精神科虐待も防げないのです。どうしてかというと抜き打ち審査ということが公務員に
はできないのだそうです。
必ず期日の予告がある。ものをいえそうな人をバス旅行で連れ出して糊塗する。
その人自身に何かぜひとも尊重したいと思えるような、光り輝く何かがいるのです。
また施設を閉ざさない。社会に開けて社会が入り込みたくなるように。
赤ちゃんのようにかわいらしいまんまで、
院内で絶大に愛されていたおそらく40歳以上の女性にも会ったことがあります。
親御さんきっと無念のうちに手放すまで心をこめて育てていたのでしょう。
そういう才能を持たせてくださいって障害児の親御さんにお願いしたいです。
どんなに重い知的障害があっても、まず親御さんが世間に負けて人を愛することを恐れないでって。
それが私はうまく言えませんでした。
私は3年間ずっと忘れられなかったのは、
「悲しいのね、悲しいのね、泣いてもいいですか?」って、出先からお母さんの許可を
ヘルパーさんと電話で求めてきた自閉症のお嬢さんです。とってもいじらしかったの。
お母さんが大好きなんだなぁって、お母さんのために特性の限界まで我慢して。
彼女を通じて現代社会には刺激物、刺激音がたくさんありすぎることを学びました。
いろんなところでこの聴覚鋭敏感覚過敏の話をして、
少しでも自閉症にお味方ができるように種をまいています。
今まで隣が工場で難聴になったと気づいたというソーイングカフェのオーナーが、
重度脳性麻痺のにいちゃんが、なるほどって頷いてくださいました。
親戚に自閉症児がいたそうです。
脳性麻痺特有の声が苦手という自閉症者に会ってきたそうです。
それで、お暇します。
障害児教育フォーラムの一切から下がろうと思います。
私の存在は、たぶん、男性としても、女性としても傷ついている親御さんにつらいと
思います。
ごめんなさい。KING STONEさん、ありがとうございました。
「自閉症者にやさしい社会は、だれにでもやさしい社会」って言葉の意味を、
これからも少しづつ勉強します。実現できるように、どこかでがんばりますね。
|気にしないでやってください
爆笑\(^o^)/
もずらいとさんはああおっしゃってますが、とりあえずみやびさんからのご希望があったのでコメント削除していきます。
でも、結構時間がかかったり、削除し残しが出るかもしれませんが許してね。
もずらいと先生ともうひとかたに諌めてもらっていました。(汗)
軽はずみですみません。
もずらいとさんに指摘されて書き足します。
袖ヶ浦特別支援校の無理心中は自閉症ではなく、肢体不自由に軽度知的です。
もちろんわかっているのですが、それを話題にしていた方が障害児教育の親御さんと療育者の面々でした。さらに、やめておけばいいのにうっかりmixiニュース日記一覧を表示させてしまったんです。
こういった心中があると。
親御さんに対して同情は集まるけど、障害児自身の人生を思う人はほとんどいないということが辛かったのです。
「母よ殺すな」もそれが縁で読みました。
もう一つは、こういう時はどんどんブログが更新されて行ってしまうから。
相手を選んで、実際にいろいろ失敗してみるべきだ、ともずらいと先生はおっしゃいました。失敗を恐れて何もしないのがいけない、と。
そういう意味ですよね?もずらいと先生、ごめんなさい。
KING STONEさんは何度も「ここはもずらいとさんと三人だけで話しているわけではないから」と、他の人のことを書かないようにとうちうちでおっしゃいました。
私なりに自分以外の存在のプロフィールの消し方というのを考えてみるのですが、うまくいっていないこともたくさんあるようなのです。私の世界観だと正確に伝えねば、と思ってしまう。
実は別件でも失敗をしている気配があって、
どういう書き方がよいとむしろ文例で直していただけたほうが、私もなんとかなりそうです。
たいへん厚かましいですが、よかったらお付き合いお願いします。
眼の前の会話だけでもやっとの思いで創り上げてきた私は、
今集団での会話が一番わかっていません。
わざとやっているわけでもないので、相手の方が機嫌を損ねて
永遠に私を恨んでいらっしゃるだろうことを想像するといちばんつらいです。
難聴運動、ろうあ運動でもそういう支援者との溝の現場を
私は見てきているのです。
私は噂でそれを聞けるぶんマシな方で、私自身の会話力はまだ低いままでいます。
|相手を選んで、実際にいろいろ失敗してみるべきだ、ともずらいと先生はおっしゃいました
さすがもずらいとさんです。
世の中、失敗してもいいんです。
もちろんその責任は引き受けなきゃなんないけど。
それが大事だよね。
で、失敗してみる相手としては私とかもずらいとさんとか最適かも。
「屁」とも思わないから。
このエントリにあるコメントは消しません。(みやびさんから希望があればまた別)
以前のはゆっくり消して行ってます。
>
>そういう意味ですよね?もずらいと先生、ごめんなさい。
おおむね良いですよ。「ごめんなさい」は要りません。kingstoneさんが厳しくなりつつあった時のATACでLEOさんがkingstoneさんを心配しておられた流れの話で「もずらいとが鬱病にかかるとしたら...、恐竜が絶滅した原因は鬱病だな」というのがありました。これは言い得て妙ですね。私の育った地域はスラムに近く、あの地域では鬱病になんてなる人は希でした。犯罪者になる人はいくらでもいても(^^;)。私は鬱になるくらいなら犯罪者になっているでしょうね。
相手を選ぶのは重要です。みやびさんは相手を選別せず同じアプローチで対応して失敗しました。私のような底辺育ちは逆にTPOに敏感です。Kingstoneさんは私よりは「打たれ弱い」ですから、その点は気をつけるように。私?挑戦する人は自殺も選択肢に入れるくらい完膚無きまでにたたきのめします。自殺を「悪」と私は思ってませんから。水木しげる先生の「自殺できるなんてすばらしいじゃないですか。戦中は自殺したくない若者が自殺同然を強いられたのですから」と言っているのを100%支持します。
私、方々でコミュニケーションの失敗をしていますが、その一つをさかのぼってここに懺悔します。
LEOさんに、コミュニケーションに悩んでいるのでアスペルガー症候群のソーシャルスキルトレーニングを受けてみたいと言ったんですよ。
アナオペさんの助言を律儀に守って、いろいろ探したんだけどろうあ教育業界は逆に鈍かったの。手話通訳者が裏で愚痴をいっているような業界だったからです。
それで、「ろう者のトリセツ・聴者のトリセツ」という本と、難読症の少年マジシャンの漫画「ファンタジウム」の一巻だけを送ったのです。
この時、間違って二回同じ内容を送ってしまい、orz 余ったものは研究生にでもさしあげてください、とお詫び申し上げました。
その後が問題です。
私はLEOさんの発言が苦手です。アナオペさんと似ているのですが、異常に空気を読ませる。「裏に何か真意を隠してるしょ?」と深読みしてしまうのです。
その失礼を詫びるような意味で、
その前にもくるみボタンマグネットをお誕生日に。
その前にもお嬢さんのお祝いに沖縄のお米マイスターからだっこ米を二袋、
私の色鉛筆画で。
みやびのままでいいよ、みやびの宝物だから娘を大事にそだてて、という言葉を前半と後半でさらに詳細に質問分離仕分けたのが失敗でした。
前半は「SSTはいらないという意味か、ただの返信か」
後半は「私の子育ての反面教師は障害児の親御さん。障害児療育は流行り廃りの激しい新興宗教だから、父母恩重経「芥子の実」「鬼子母神」を読ませとけば。LEOさんやさしすぎる」
と言ったのです。
すみませんー。こんな無礼者に教えてあげようはずはないです。orz
私が悪かったです!
謹んで自分を晒し者にします。
LEOさん、ギャラリーの皆様お笑いください。ごめんなさい。m(__9)m
ちょうどいいからこのコメントを練習台にしてみるね。
ええっと、私ともずらいとさんはまあ言えば「肝胆相照らす仲」と言ってもいいくらい。
みやびさんともずらいとさんもそうであるらしい。
で、このブログは私のだし、もずらいとさんはしょっちゅうコメントをつけてくれてはるから、読んでくれてはるのは確実。だから「私」「もずらいとさん」は「ここにいる人」と言ってもいい。で書いてることが違ってたら「違う」って私ももずらいとさんも書くしね。
でもLEOさんは読んでるかもしれないけど、読んでないかもしれない。
で、よくわかんないけど、みやびさんは自分のことを書くつもりでLEOさんの「講演など公開の場で言われたこと」ではなくて、個人的なやりとりを書いてるみたいだよね。そこんとこ私にはよくわかんないけど。
つまり、これって私が言った「私ともずらいとさんはまあいいとして、その他の人のことを書いちゃいけないよ」と言う、「その他の人のこと」になっちゃうわけ。
もちろん個別のLEOさんは全然気にしないかもしれない。
でも、これが他のコメントではLEOさん以外の人にも広がっているよね。
で、書かれた内容が「いいこと」だったり「ほめたり」してるのなら、許してもらえる確率は高いけど、そうでない場合はいろいろとまずいことが起こりがちになるわけ。
「もうつきあうのやめよう」だとか、下手したら「訴訟しよう」になっちゃうわけ。
で、まあ、私の場合はそういう危険も覚悟して書いてるわけね。
複数いろんな案件があって、
午前中は読み聞かせサークルで組み木の持ち場。
「しまひきおに」で満州国崩壊の犠牲を思い出して泣いてしまい、たくさんもらい泣きをさせてしまいました。
午後は自閉症の知識の持ち寄りと組み木を練習。
自閉症の動物学者・テンプル・グランディンの「テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている」から、歴史の障害者の偉人まで。
ヘタでヘタで先輩の方々の厳しいご指導を笑顔でお礼して学んでいました。パッタンがうまくいかないで、
あとは寝付くまでお母さんをしていました。
やっと今頃です。ごめんなさい。
たくさん考えて決心しました。
私は何者か、ということです。
私は、どう考えても理想が高すぎます。世間と折れ合わない理想のために生きると決心したら、全面的にお礼尽くす一人で戦う生き方しかないです。
ごめんなさい。
私は、障害者フォーラムの伝説のSYSOPが私にしてくれたことをよく覚えています。
講義保障がない愚痴を書いたら、自立生活運動の闘士が車椅子を逆走させてカードを出すのをパトカーで送るありがた迷惑の話をしてくれたのです。
私、真っ赤になって電話回線をぶったぎったのを覚えています。
18歳ぐらいのことでした。
私はその程度の底の浅い女でした。その後の地獄めぐりは自業自得です。
夫は人生のすべてが運動だ、って呆れられます。当年42才にあいなります。
でも、夫に出会えました。
娘を運命が授けてくれました。
梨木香歩の「西の魔女は死んだ」にちなんで、
「魔女は自分で決めるんですよ」と言い交わしました。
この板でどうしようもない非礼を働けば、もずらいと先生が私を瞬殺すると思います。そして、かまいません。私も水木しげる先生の意見、今は同感です。
私の理想の父は、鬼太郎の父ちゃんです。
死んでしまえばいいと思っていたのはこの世に生を授けた恩知らずの底の浅い考えでした。
あとは、自分で実際に失敗してなんとかするしかないと思っています。
このトピを見て、10年20年私を恨む人がいたとしても、恐れません。
ごめんなさい。私、一生かけてご恩送りの種を蒔いて、
その方が大切にしたかったけど大切にしきれなかった後悔を大切にします。
では、ここで一度離れます。KING STONEさん、ありがとうございました。
キャッシュの彼方に去っても、どうかこのまま晒してください。
私、しっかりネットから離れていろいろがんばってきますね。
またきっとお会いします。
|キャッシュの彼方に去っても、どうかこのまま晒してください。
晒すって・・・(^_^;)
いや、もちろんネットで意見を書くってことは「晒す」ってことに間違いはないんだけどね。
まあその危険を知っておく必要はあるし、その自覚があれば「他人を巻き込まなければ」何を書いてもいいとは思っています。
ほんま気合入れ過ぎないで、ぼちぼちやってね。