※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年01月27日

「絆」 人権作文 崔玄祺(チェ ヒョンギ) 内閣総理大臣賞

 これはカテゴリは特別支援にしようかどうか迷いましたが、やっぱりラグビーやな。

 1月25日に出た「ラグビーマガジン3月号」を買いました。



 帝京大学・天理大学などへの取材もしっかりされてて読み応えがあったのですが、その中に見出しが

「わかってる。」

という記事がありました。

法務省人権擁護局・全国人権養護委員会連合会主催 第31回全国中学生人権作文コンテスト

内閣総理大臣賞受賞作文

「絆」(PDF注意)

福岡県・九州朝鮮中高級学校 中学部3年 崔玄祺(チェ ヒョンギ)君が書いた文です。

 だいたい言っちゃ悪いが人権作文なんて、しょーもないのが多い、と思って読み始めて・・・モスバーガーで大泣きしてしまいました。

 これは転載しても怒られないでしょう。改行は私が適当に入れました。

「絆」

福岡県・九州朝鮮中高級学校 中級部3年 崔 玄祺(ちぇ ひょんぎ)

 大人は皆,同じ言葉をぼく達に発した。

「ちゃんと全員でフォローしてやらんね。」

 ラグビーをするぼく達にとって,それはチームプレーとして当たり前のこと だけど,その言葉には違う意味も込められていた。
 健太のことだ。
 健太には右手首から先がない。生まれつきだとぼくは聞いた。病気のせいで そうなったと。だから成長も遅い。
 健太とは小学校の時から同じラグビースクールで共にプレーしてきた。体も 小さく,体重も軽い健太だが,厳しく辛い練習に弱音も吐かず,寒い日も暑い 日も一緒にラグビーボールを追いかけてきた。
 自分で出来ることは自分でやる。ぼく達も,そんな健太を当たり前のように 待つ。手が不自由だからと特別扱いなど決してしなかった。だから,健太のミ スには遠慮なくダメ出しもするし,本気で言い合いになり最後はケンカになる こともあった。健太は言い出したら引かない。小さな体で喰いついてくる。ど んなに言い争うことがあっても,練習や試合が終われば,ぼくも健太も笑顔に 戻るのだ。
 中学にあがってからの健太は,病気のせいで背骨が歪曲したまま成長してい るそうだ。
 痛みとの闘いが始まった。顔をゆがめて,悔し気にグランドの隅で練習を見 学する健太の姿を見ることが多くなった。
 それからは,グランドだけの健太ではなく,身の回りの細々したことも手助 けするようにと,周りの大人達は以前にも増して言うようになった。
 それは本当に健太の望んでいることなんだろうか・・・。
 健太が頼みもしないのに,彼のやるべきことを先取りした時の,少し淋しそうな健太の

「ありがとう・・・」

をぼくは知っている。大人達の心配も分かる が,ぼく達が必要以上に健太を手助けすることは,彼を少しずつキズつけて, 彼の居場所やすべきこと,そして生きる力をも奪っているようにしか思えないのだ。 ただ,このことを健太本人に面と向かってたずねたことはない。 でも,ぼくにはわかる気がする。共にグランドを走りまわり一つのボールを追いかけて,パスをつなぐと健太の考えていることが。 今年の梅雨明けを待たずして,ぼく達は夏のジュニアラグビー福岡県大会で敗退した。 どしゃぶりの試合が続いた中で,こんな場面があった。一進一退の激しい攻防が続く中で健太にパスがつながった。その瞬間,ボールは健太の手からこぼ れ落ちた。

「ノックオン」

 嫌な空気が流れてもおかしくない場面だった。だが,次の瞬間ぼくは死にも の狂いで次の展開へと走り出していた。

『健太が落としてしまったのなら仕方 ない。あいつが中学三年間,絶対に妥協することなく常に全力でラグビーに取 り組んできたことは他の誰よりも知っている。だから必ず取り返してやろう。』

 後になって,チーム全員が同じ気持ちで駆け出していたことを知り,嬉しか った。
 それは決して健太の右手が不自由だからではない。かけがえのない大切な仲間だからだ。
 県大会のノーサイドの笛がグランドに響きわたった時,小さい頃から紡いで きたぼく達のチームは解かれ,高校で新たなチームへと別々の道を進んでゆく ことになった。小さい頃から通っていたラグビースクールの引退式を終え,皆 で遊びながら進路のことを健太と話し合っていた時,ぼく達の前で言った。
「高校でもラグビーするよ。」 決してゆらぐ事のない決意だった。 健太とパスをつなげばわかる,本当に大切なことが。



 いやあ、いま編集してても涙が出てきます。特に

「ノックオン」嫌な空気が流れてもおかしくない場面だった。だが,次の瞬間ぼくは死にも の狂いで次の展開へと走り出していた。

 これやなあ。

 ラグビーマガジンにはこの全文とともに、崔玄祺君と森勇太君(健太君の本名)の二人の素敵な写真も大きく出ています。

 この話、今年の花園で森元総理が話したということだからもうみなさんご存知かもしれませんが私は知りませんでした。

 また記事中、勇太君のお母さんが勇太くんのラグビーは中学で終わりだろうと考えていたけれど、この作文を読んで「それは息子の決めること」と気づいた、という話も出てきます。

posted by kingstone at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ラグビー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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