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2012年01月03日

プロバガンダについて

 もずらいとさんが

近代広告の誕生 ポスターがニューメディアだった頃 竹内幸絵著

についてつけて下さったコメントに対して、思ったことなど。

> しかし機材の進歩もあるけれど、第一次大戦時のポスターの量産といい、第二次大戦時の広告表現の飛躍といい、やはり戦争は大きく関わっていますね。

 うまかったのは、機材としての工業製品の品質が良かったドイツで、なにせPK(Propaganda Korps「宣伝中隊」)なんて独立中隊を持っていたくらいですから。我が国は「戦ふ兵隊」という国策映画を帝国陸軍全面協力の下で製作したのですが、ドキュメンタリー風に撮影したら「貧乏くさい烏合の衆のような兵隊たちが嫌々戦っている」という感じになってしまい、上映されませんでした。

>「プロバガンダ」という言葉は戦前は「広告」とか「広報」「宣伝」というだけのことで、決して「悪い意味」は付与されていないことがわかります。

 「プロパガンダ」という言葉のイメージが悪くなったのはナチス政権でヨゼフ・ゲッベルスが「国民啓蒙・宣伝省(Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda)」の大臣になったからでしょう。共産主義国家でもあからさまに「宣伝省」という役所は作らなかったのでは?


 YouTubeに「戦ふ兵隊」の抜粋動画がありました。これは本当の短い抜粋なのでどうのこうのはわかりませんが、少なくとも音楽は物悲しいですね。あんまり戦意高揚にはならなさそうだ。



PK(Propaganda Korps「宣伝中隊」)なんて独立中隊

 要するに「広報部隊」ですよね。

「国民啓蒙・宣伝省(Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda)」

 これも日本の「内閣官房」(?)とかアメリカの「報道官」みたいなもので・・・確かに「省」まではいかないか。でもどう考えても重要な部署だなあ。なんていうか「広報」「広告」「宣伝」「プロパガンダ」が悪いわけではない・・・で、ナチスのプロパガンダにしても、ユダヤ人や周囲の国にとってはとんでもない思想のプロパガンダだったけれど、ナチスの人たちは信じていた(?)

 やっぱり「やらせ」問題と一緒で「だまして」はいかん、というのがあり、ナチスの主張「アーリア人が素晴らしい」というのには根拠が無かった、というのが問題なのか・・・でも根拠があるから人を殺していい、というもんでもなさそうだ。

 Wiikipediaによると

最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、カトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide)

 でもともとは「繁殖させる」意味だとか。

 結局「権力」と結びついて他人を迫害したり、他の情報の流通を「抑圧」したり、ってことになったらダメってことかな。
posted by kingstone at 22:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>PK(Propaganda Korps「宣伝中隊」)なんて独立中隊
> 要するに「広報部隊」ですよね。

 すいません。ドイツ語間違えてました。「Propaganda Kompanie」です。他国の「報道班」との決定的な違いは,歩兵としての訓練を受けていて,拳銃レベルではなく,場合によっては重機関銃のチームを「自前」で編成しているところです。

>「国民啓蒙・宣伝省(Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda)」
> これも日本の「内閣官房」(?)とかアメリカの「報道官」みたいなもので・・・確かに「省」まではいかないか。

 「省」として独立させるあたりがドイツ人の生真面目という教条的というかを表していますね。ゲッベルスは「国民をナチ色に染める」ためにはそのような「情報統制機関」が必要だと思っていたのでしょう。戦争中のプロパガンダよりは,焚書や退廃美術展にその特質が現れています。

>ナチスの人たちは信じていた(?)

 どこの国も同じで勝ち戦の時は信じています。ただ,我が国と違い,之もドイツの生真面目さなのかもしれませんが,「負けた戦」は過小評価ながらも「負けた」と認めているのですね。そのあたりのウソは「ごまかした方が損」だと思ったのでしょうね。スターリングラードの降伏報告なんかが有名です。

 でも,特に民主主義の思想が広まった二十世紀以降は政治にしろ経済にしろ「プロパガンダ」というか「プレゼンテーション」が決定的な役割を果たしますよね。ケネディ VS ニクソンはそれまでニクソンが圧倒的に有利だったのに,「テレビで討論するのに化粧なんて必要ない」とテレビの怖さを理解しなかったニクソンは素で臨んで,「若い新しいリーダー」というプレゼンで臨んだケネディに負けたという話もあります。
Posted by at 2012年01月04日 12:44
 いかん,また「お名前」を忘れた。
Posted by もずらいと at 2012年01月04日 14:45
もずらいとさん、どうもです。

|「負けた戦」は過小評価ながらも「負けた」と認めている

これ、大事なことですよね。
報告する方もされる方もむつかしいですが。
Posted by Kingstone at 2012年01月04日 23:47
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