私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年12月30日

12月30日(金曜日) 人間好事節

 おはようございます。

 とてもいい天気。
 そんなに寒くないので窓拭きしやすくて良かった。


人間好事節 にんげんの こうじせつ

 私の考えたこと。 「人間」は私たちの使う人間という言葉とは違って「人と人の間」かな。「好事魔多し」って言うからうまくいってる、ということか。人と人との間がうまくいっているのは節(竹の節みたいなもの。壁かな)があるからだ。お互いがうまくいくのは壁(境界面)があるからだ。

 解説。 夏は暑い、冬は寒いと嫌なところばかりに目を向けていたら、せっかくのすばらしい季節も楽しめないまま、あっという間に過ぎ去ってしまいます。いつだって、すばらしい時なのですから、それを楽しめるような気持ちで毎日を過ごしましょう。

 節は季節の節か。
 ??解説の通りなら「人間」って言葉がいらないような気がする。

posted by kingstone at 10:06| Comment(4) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 道元の言葉のようですが、禅の話で「人間」だと「じんかん」、つまり「世の中」という意味だと思うのですが。でもネットで調べた範囲ではそれ以前に情報が少なくてわかりませんでした。
Posted by もずらいと at 2011年12月30日 14:33
もずらいとさん、どうもです。

|ネットで調べた範囲では

いつもありがとうございます。
勉強になります。

|「人間」だと「じんかん」、つまり「世の中」

なんかそっちの意味と思うのですが、以前の

「人間本来無一物」

ってのだと「にんげん」ですかねえ。
Posted by kingstone at 2011年12月30日 23:54
 「人間万事塞翁が馬」も「じんかん」がデフォルトですね。で意味も「人の世というのはすべて塞翁と馬の関係みたいなものだ」ということです。「個人としての人間」という意味ではありません。織田信長が好きだったという「敦盛」の「人間五十年 下天の内をくらぶれば」は「人生(人の世。仏教の世界観では俗世間は双六の上がりである仏界とは違う、仮の世界なので今の人生とは感覚が違います)わずか五十年、下天と比べれば些細な年月でしかない」ということでこれも「個人という意味での人間」の意味はありません。
 「人間」を「person」の意味で使うようになったのは明治以降でしよう。ですから、「人間本来無一物」も「人の世」という意味でしょう。
 
Posted by もずらいと at 2011年12月31日 08:37
|「人間万事塞翁が馬」も「じんかん」がデフォルトですね。で意味も「人の世というのはすべて塞翁と馬の関係みたいなものだ」ということ

ははあ。これはわかりやすい。
Posted by kingstone at 2011年12月31日 09:52
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