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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年12月29日

知的障害男性押さえつけ死亡 施設職員4人に略式命令 という報道について

msn.産経ニュースから
2011.12.29 02:03

知的障害男性押さえつけ死亡 施設職員4人に略式命令 東大阪

 転載します。

 東大阪市東鴻池町の障害者福祉施設「クリエイティブハウスパンジー」で平成21年11月、暴れる知的障害者の男性=当時(22)=を押さえつけ、誤って死亡させたとして、東大阪区検は当時の職員4人を業務上過失致死罪で略式起訴し、東大阪簡裁が今月5日付で罰金70万〜50万円の略式命令を出していたことが28日分かった。起訴状によると、4人は21年11月8日午後0時半ごろ、興奮状態で暴れ続ける男性を作業室の布団の上にうつぶせに倒し、頭や背中などを押さえつけて窒息させ、搬送先の病院で死亡させたとしている。

 まず亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
 
 記事にある通り事件は2年前、2009年11月のものです。

検索をかけたらこんな記事も。

障害男性拘束され死亡 東大阪の作業所職員4人略式起訴

「09年11月8日午後0時35分ごろ」とのことですね。夜中やな。

 おおもとの施設や法人のホームページがありますが、2007年で更新が止まっています。いろんな事情があったのでしょう。直リンクは貼りませんが、ホームページには大きく「自分で決める」と書かれています。また法人の理念などを読むとすごく一生懸命あれこれとやってはったことがわかります。

 「布団の上」ということを読めば、職員さんはいろいろな配慮をしていたと想像できます。

 まあ、この亡くなった方は自閉症と考えてまず間違いないでしょう。他の疾患の方でも暴れることはありますが「知的障害の男性」と書かれていますから。

 2009年で22歳の方と書かれていますから、だいたい1987年生まれ。1993年からたぶん2005年まで12年間学校に通っていたと考えられます。その間に何をどうしてもらっていたのかな・・・

高機能自閉症児を育てる 第1〜2章 高橋和子著
高機能自閉症児を育てる 第3〜5章 高橋和子著

に出てくるTさんと同じ世代になると思います。ですから出生後かなり後まで確定診断もつかず、いろいろたいへんな思いをしてこられたのじゃないかな。高橋さんの場合は探しに探して木島幼稚園とい稀有な幼稚園にTさんを入ることができたのですが。

 私は1996年に知的障害特別支援学校に赴任しましたが、当時、内地留学などして「専門的に」学んで来た人に「あのお子さんは自閉症だろうか?」と尋ねても「さあ??」と答えられるような時代でした。

 私自身は1997年から自閉症について学び始めます。なお、当時、公的研修で「役に立つ」ものはありませんでした。当時の研修と言えば教育委員会の講演会でも2時間ひたすら「指差しの意味」について語るようなものとかでした。

 ショプラー氏を招いて日本で初めて行われたTEACCHの東京セミナーは1989年です。私は1997年の終わりごろまではそんなことも知りませんでしたが。

 下のは1997年度の終わり頃か1998年度の終わり頃のエピソードです。

就学前施設で 

 これが「制度の整った」ある市の就学前施設の園長(施設長)さんの実態でした。こういう方がえらくなっていく形だったわけですね。だから、この死亡された方も(亡くなった施設は東大阪市だというだけで、育った所がどこかはわかりませんが)たぶん、あまり適切な対応は取られてこなかったのじゃないか、と思われます。

 それでも2000年頃からは随分と風向きが変わってきたのですが。実践障害児教育には何度も特集が組まれていました。そして視覚支援というか「写真を使ったスケジュール」とかは私の周囲では2002年頃から「常識」になっていきます。「TEACCHが大嫌い」という人でも取り入れるようになっていきます。そして「あえてTEACCHと言わず」取り入れるという感じかな。まあ、それ自体は自閉症の人に快適な環境になるならばどうでもいいとは言える。

 しかし、肝心要の「本人の意思はどんなだろう」(となると必然的に「選択」は入ってきます)がわかるような手立てをとることはどうなってるかな?で、本人の選択(まさに事件の起こった施設のスローガン「自分で決める」です)を有効にするためには、まず「周囲から本人にわかる手立て(カレンダーやスケジュールやその他その他)」が必要になります。それがあってこそ、本人が考え、判断し、選択することができるのですから。

 そして本人が表現できる手立てが必要になります。

 そして表現した時に、それが実現できる環境(学校であるとか教師など、周囲の人の「これをさせたい」という思いとは違っていても)が必要であったり、それが無理な場合は本人と交渉する手立てが必要になります。

 さて、それを(これは行かれていたかどうかわかりませんが)就学前施設時代、また当然行っていたであろう学校時代、探してもらっていただろうか?

 成人施設に比べて就学前施設・学校は圧倒的に人手があります。ちょっと過去のことになりますが、私が現役時代だと。

就学前施設  教職員1 児童4
特別支援学校 教職員1 児童・生徒3(法律上。また国立の学校などは厳しくこの通り)
       教職員1 児童・生徒2(いろいろと運用して地方の学校だとこうなっている)
       教職員1 児童・生徒1(規模の小さい学校ではこうなる。また大きな学校でも必要な場合こうすることも)
特別支援学級 教職員1 児童・生徒9(これは最大。たいていは1担任3くらいのことが多い)

成人施設    職員1 成人7

だったと思います。これが入所施設などの場合、夜は1対20というようなことも起こりえます。

 今回の記事の事件だと、夜中に1人の入所者に4人かかっていますね。ある意味よくそれだけ人手があったものだと思いますが。

   追記
     私、勘違いしていました。
     夜中の0時半だと思って、真夜中によく4人も人手があったものだ、
     と思っていたのですが、午後0時半と書いてあるので、正午頃の話
     なのですね・・・

 このように、就学前施設や学校では成人施設に比べ圧倒的に人手があるのです。

 だからこそ就学前施設や学校において「どうやったらこの人の意思がわかるのか」「どうやったらこの人は落ち着けるのか」「どうやったらこの人は(人手をかけなくても)活動に参加できるか」を探らないといけないわけです。人手があるからこそ「人手をかけない」方法を探れるのに、その人手を「それ無理ちゃう」という活動に参加「させる」ことに使ってしまってるのじゃないか、ってのはよく思いました。例えば下のエピソード。

成人施設から研修に来た指導員さんの感想(高度なことをやっておられますね)

 もし学校時代までにその人なりの手立てを見つけていれば、成人施設に進む時に「こうやったらうまく意思疎通できました」ということを伝えられるから、成人施設も随分楽になるはずなのです。もちろん「こんなことは無理でした」もこみでです。

 しかし、現在の就学前施設でもお子さんに視覚支援をして欲しいとお願いしても断られることがあります。もちろん必要なお子さん、必要でないお子さんいろんなお子さんがおられるでしょう。しかし私がお話をうかがう限り、緊急に必要なお子さんです。

 現在でも「えらい先生」が教師向けだか保護者向けだかの講演会で「カードなんかで決められたことなんかやるの嫌でしょう(だから絵カードなんか使うなというニュアンスで)」おっしゃることがあるようです。そんなところで「勉強」した教師や保護者がどう思うでしょう。もちろん「周囲が決めた」ようにだけやることなんて御免こうむります。しかし、それは本人の選択をどんどん取り入れていけばいいだけのことです。言うにことかいて「本人にわかるように伝える」ことまで否定してしまってはいけません。教師や保護者がすごい勘違いをしてしまうでしょう。

 私自身、体格のいい青年に出会った時にこんなことがありました。その青年とは初めて会います。「自閉症」という情報は入ってたかな?明確には入ってなかったかもしれません。しかし周囲の状況や、その青年の様子を見ていたらぱっと見て「自閉症」とわかる方でした。私はやはり心のなかに「まず人間(音声言語を含めた)挨拶やな」というのがありました。

 私は青年の70cmくらい前に立ち「ニコニコ」しながら音声言語で「こんにちは。kingstoneです」と挨拶しました。とたんに彼は私を襲い暴れ始めました。私は彼を抱きとめようとしましたがなすすべがありませんでした。かなりの出血を伴う怪我をしました。周囲にいた体格のいい職員さんが3〜4人がかりで彼を別の場所に連れて行き、とりあえず落ち着かせました。しかし最終的に彼が落ち着くまでには2時間くらいかかったと思います。

 振り返ってみると、私が声をかける前の時点で彼はかなり苛々していました。それまでの時間に「わからない」状況におかれていたと思います。その彼に私が最後の一押しをしてしまったのですね。

 もちろん人によって、状況によって、全ては変わってきますが、まず相手の方が自閉症とわかったら、そして苛々しているとわかったら、そうっと近づき(場合によっては近づかないほうがいい場合も多い)、で本人にわかる手段を探りつつあれこれしないといけないなあ、と身にしみました。

 その後、また青年と会う機会が何度かあったのですが、視覚支援しつつ、いろんな意思疎通しつつうまくお付き合いすることができました。

 「視覚支援を取り入れません」という就学前施設の職員さん、視覚支援を否定する「えらい先生」・・・いろいろ身にしみてないんちゃうかなあ。特に小さいお子さんだったらパニックになってもまだまだ力で抑えられるし、職員さんはあんまし被害受けへんしなあ・・・

 ほんま自閉症の方への支援に携わる方はちゃんとした知識・技術を持って欲しい。で「障害では人を見ません。みな人間なのですから」とか美しげなことは、まあしっかり勉強して、実践して、成果を出してから言って欲しい。



 
posted by kingstone at 19:29| Comment(3) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 はっきりしていることのひとつは「暴れる知的障害者はお断り」という施設が増えることでしょうね。薬物中毒の人と同様、知的障害者は「ためらい」がないので暴れると数人がかりでないと押さえられません。視覚支援は万能ではありません。わからない人はわかりませんし、わかっていても押さえられない人は押さえられません。薬物投与しか現実的な解決策はないでしょう。
 自立支援法になってね施設は「うけいれをことわる自由」を持っています。学校教育の時代に「暴れても納められる方法」を誰も真剣に考えてこなかった(TEACCHもそう。なにせ信奉者は「TEACCHで養育すればパニックなぞ起こすはずがない」だから。)のが最大の原因でしようね。
Posted by もずらいと at 2011年12月29日 21:33
もずらいとさん、どうもです。

|暴れても納められる方法

私はこの方法(知識・技術)を持っていません。
暴れない環境設定をしていくほうが平和だし。

就学前施設や学校の先生方はこじらせないようにして頂きたいと思います。

もちろん私のエントリを読んで頂ければわかるように視覚支援「だけ」で全てができるとは一言も書いていません。
Posted by kingstone at 2011年12月29日 22:01
>私はこの方法(知識・技術)を持っていません。

 クールダウンの部屋を作って、モニタか何かで外部監視でということでしょうね。これならすごい専門性やスキルがなくても対応できます。それを「非人間的」という保護者や当人はその施設割り要しなければいいだけの話です。

>暴れない環境設定をしていくほうが平和だし。

 それは無理ではないですが危険です。「暴れない環境」で「普段、とってもおとなしい人」が何かのはずみで「暴れた」方が周囲は冷静さを失います。「あんなおとなしかった○○さんがぁ!」と偏見を植え付ける実例をたくさん知っています。
 「暴れる」理由には「見通しや指示されている内容がわからない」場合と「我慢できない・暴れるということを聞くという誤学習」の場合があります。前者では「暴れない環境設定」は比較的容易ですが、後者は難易度高いです。
Posted by もずらいと at 2011年12月30日 13:10
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