2011.12.26 14:26
目撃者いるのに…支援学級教諭の「行きすぎた指導」奈良市教委、体罰と認めず
記事を転載します。
奈良市立小学校の特別支援学級の男児(12)が元担任の男性教諭から暴行を受けたとして、男児の保護者から市教委に相談があり、暴行を目撃した教諭がいたにもかかわらず、市教委が「体罰や暴力ではなかった」と保護者に報告していたことが26日、わかった。
市教委によると、当時の校長ら学校側が提出した報告書では、元担任が昨年5月、休み時間の教室で、男児が別の児童に筆記用具を投げつけたことを注意した際、この男児からほおをたたかれるなどしたため、足を払ったとしていた。
しかし、男児の保護者は、男児が注意された際に元担任に顔を殴られ、体を蹴られたと市教委に相談。別の教諭も元担任の暴行を認めた。市教委は「行きすぎた指導はあった」として当時の校長や元担任を指導したものの、「体罰や暴力ではなかった」と保護者に報告していた。
市教委学務課は「別の教諭からは体罰ではなかったという意見もあり、双方の主張を聞いて総合的に判断した」としている。
まずね「休み時間の教室で、男児が別の児童に筆記用具を投げつけたことを注意した際、この男児からほおをたたかれるなどしたため、足を払ったとしていた」ということですが、これをもってして学校・市教委側は、「その子が悪いことをしたから止めた」と言いたいのかな?「罰を与えた」と言いたいのかな?
このお子さん、「筆記用具を投げた」「(教師の)ほおをたたいた」とありますが、そういう「問題になる行動」この時が初めてやないやろ、と思うのです。それまで教師はいったい何をやっていたのか。そして市教委はこの先生にどんな研修を受けさせていたのか。(受けさせる、という書き方をしましたが、教師が楽になり、そして子どもが楽になる研修ですから、教師側が感謝するような研修です。決して「あああ。公的研修やから受けなしゃーない」と思われるようなものでなくて)
で、この教師は、ある意味で「その場の意味がわからず」子どもを「足払い」するしかなかったのでしょう。
その意味が、この教師・学校・市教委にわかっているのか?あるいは市教委に指導・助言している専門家にわかっているのか?大学の先生などもたくさん関わっているだろうに。(私はあまり現場の教師を責めたくはない。教師を教える立場の人(大学教授やお医者様も)たちが本当にタコであった歴史を考えると、現場教師には、もう仕方のない面がたくさんあるのだから)
いろんな環境を整えて、本人からの表現を大事にして、ってやってれば「足払い」せずに、そしてお子さんも「筆記用具を投げ」たり「教師を叩いたり」しにいく必要も無かったのじゃないか?
奈良市教育委員長は中室雄俊氏。こちらの記事によると2009年からされています。
奈良市教育長に中室氏 - 内部登用人事案 2009年3月26日
奈良市教育委員会の「教育スローガン」PDFファイル 平成21年(2009年)5月に策定されたもの。
教師に対しては
「教育の専門家としての豊かな力量」
「教職に対する強い情熱」
「豊かな人間性や社会性といった総合的な人間力」
素晴らしいじゃないですか。それでこうなるわけですね。
で、「足払い」というのを見た時に、この事件、以前あった「奈良市役所の自殺騒ぎ事件について」と同じ事件じゃないかと思いました。
しかし、中をよく読むと、「自殺騒ぎ」の方は授業時間になった時にボールプールへ行こうとしたのを止めて起こった事件でした。ってことは別なんだ・・・ってことは奈良の特別支援学級ってこんなんばっかなの?
なお、こちらのブログ記事では中室氏は
「保護者の強い不安により、このようなことになり大変申し訳ない。男児の支援が十分にやり切れたのかと思う。」
と述べてはりますね。
相談支援従事者は、いろんな支援をして下さる機関の人を集めてケア会議を開くわけです。で、その時に「みなさんで知恵を出しあい」協力することが大事と言われます。敵を作らない、ということも。もちろん大事なことです。しかし、この事件に関連したようなみなさんとケア会議を開くとしたら、「いや、あなた間違ってまっせ」ということは教えてあげないとしかたないでしょう。そして相手がこちらを「敵」とみなしたって、それはそれで仕方がない、ってこともあるんじゃないか。(繰り返しますが、あんまし現場の教師を責めたくはない。その人たちを教える人たちがタコだっただけです)
(むっ?タコさんを差別してる??)
この産経新聞の記事も前に出たという毎日新聞の記事について。
暴行?:「教諭が児童に、校長隠す」同僚が証言 という報道について
ラベル:体罰 暴力 特別支援教育
同じですよ。
産経は不十分な取材ですので、26日付けの毎日新聞朝刊を
ご覧ください。
毎日にスクープされたから、慌てて産経が夕刊に間に合わすよう、
適当な取材をされて掲載・ネットにもアップされています。
探してみました。この記事ですね。
「暴行?:「教諭が児童に、校長隠す」同僚が証言−−奈良・特別支援学級」
http://mainichi.jp/universalon/clipping/news/20111226ddn041040014000c.html
教育委員会も「行き過ぎた指導はあった」と認めているわけだ。私にとってはこれで十分。そうであるならどうしたらいいか教育委員会も学校も考えなさいよ、ということにつきます。
教えて頂いてありがとうございました。
その記事です。お調べ頂きありがとうございました。
私は、この保護者様とお子様を存じております。
保護者様は、お子様のことでいろんな相談機関を利用し、
また、ペアレントトレーニングを受けたりと、
積極的にお子様の障害のこと、また将来のことを考え頑張っておられます。
それは、今年1月の事件以降ではなくて、お子様の障害を疑いお母様が、
一人で必死になっていらっしゃった4〜5年前から現在に至るまでです。
私たちの間では、あの事件に触れるのはやめようということになっております。
お母様は、もうブログを閉鎖されていますし、それはお子様のこれからを考えて、
前向きに生きていこうとされているお母様の主張だと、聞いております。
お母様は、決してモンスターペアレントではありません。
それは、身近で見ている私たちが一番良く知っています。
どうか、温かく見守って頂けたら幸いです。
もう、書かれた内容からだけでもいろいろと目に浮かびます。
|私たちの間では、あの事件に触れるのはやめようということになっております。
|お母様は、もうブログを閉鎖されていますし、それはお子様のこれからを考えて、
|前向きに生きていこうとされているお母様の主張だと、聞いております。
これはたいへんいいことだと思います。
是非ともお母様や、お子さんを、そっと支えてあげて下されば、と思います。
私は公開された情報の中で思い浮かぶことを「勝手」に書いていきたいと思います。
なお、奈良市教委様と発達障害支援センター様にはFAXさせて頂きました。
>お母様は、決してモンスターペアレントではありません。
残念ながらあのブログは、世間の人に「モンペ認定」と誤解させるに十分なものでした。魚拓が残っていて今でも閲覧できます。一時の憤りで公開するというのは危険だということです。
世間の方から見たら、確かにそうでしょう。
あのブログが書かれた経緯は理由があるんですよ。
私が明かすのはいけないのでやめておきますが。
偏見の目で見るのではなく、どうしてここまで追い詰められたのか?
心ある人間なら、考えられると思いますが。
まぁ、ネット上の相手がわからない議論は、下手に言い合いになったりしますので。
すみませんでした。
インターネットで調べものをしていたら、このブログを見つけました。
僕は、新聞記事に書かれている小学校を卒業しました。
特別支援学級の男児という子は、僕の友達です。
この子は、3年生くらいから特別支援学級で勉強するようになりました。
でも、そこの先生たちはみんないつも怒鳴るし叩くし蹴ったりするし馬乗りになったりするし、
廊下を引きずりまわしたりしていました。
この子はいつも大声で怒鳴られてて叩かれたりしてかわいそうでした。
特別支援学級にいる違う子も怒鳴られたり叩かれたりしていました。
僕の友達もみんな知っています。僕たちは子供だから先生に何も言えませんでした。
怒鳴られて叩かれて泣いているその子を、休み時間にサッカーを一緒にしたりすることしか
できませんでした。
その子のお母さんはいつも、○○が迷惑かけてごめんねと言っていたのを覚えています。
5年生の時の運動会の練習で組み立てがあって、その子のお母さんからクラス全員に
手紙をもらいその子の障害のことを初めて知りました。
みんなと仲良くしたいけど仲良く遊ぶのが苦手とか教えてもらいました。
その子は、別に意地悪することもないしいつもニコニコして優しい子です。
クラスで一緒に勉強するときは、教室の中を歩きまわっていましたが、みんなのじゃまを
することもなく、それがその子の特性だとみんなで話し合って理解していました。
僕は、先生が一番悪いと思います。毎日怒鳴ったり廊下を引きずりまわしていて、ほかの先生も
知っているのに、誰も見て見ぬふりをしていました。
先生は、その子を人間として見ていないと思いました。
僕は、そんな先生のような大人にはなりたくないです。
友達もみんな先生が悪いと言っています。
僕はその子と同じ中学校に行くので、これからもその子と友達で仲良くしていきたいと
思っています。
|これからもその子と友達で仲良くしていきたいと思っています。
互いに言いたいこと(伝えたいこと)言いあえて(伝えあえて)
一緒に喜んだり、時には喧嘩したりしながら、友だちでありつづけられたらいいよね。
いや、友だちって何はなくとも友だちなのかもしれない。