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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年12月15日

アインシュタイン、神を語る



 著者ウィリアム・ヘルマンスのプロフィールが

「ドイツ生まれの詩人」!!!

 詩人・・・

 いや、社会学で博士号を収め、戦前のドイツで社会運動をし、アメリカに亡命しOSS(合衆国戦略事務局・CIAの前身)に勤務し、大学で教え、ということで実生活ではなかなか現実的に生きた方だと思うのですが、プロフィールの一番に「詩人」なんかめちゃめちゃ怪しい・・・

 また、本文の中にもちゃんとヘルマンス氏本人の言葉で出てきますが、基本的には無名の人(ヘルマンス氏)が有名な人(アインシュタイン)を自分の社会運動のために利用しようと近づいて来る、また自分の宗教(?)に勧誘しようとしている現場のやりとりです。

 まあアインシュタインも、困惑しつつも楽しんでいるようでもあり、またなかなかいい言葉もたくさん出て来ます。お二人ともユダヤ人で、ナチに迫害され(アインシュタインは3万マルクの懸賞金をつけられた)亡命しています。

 今日は、ここまで。引用は明日。

 ウィリアム・ヘルマンスの紹介ページがありました。

William Hermanns: Life and Works

 1921年、ヘルマンスは40か月の(第1次世界大戦で)フランス抑留から戻り、国際法と社会学を学んでいた。ベルリンでのアインシュタインのチャリティ・バイオリンコンサートで初めて会う。

 1927年、ゲッペルスがベルリン地方長官になる。

1930年3月4日
 
 アインシュタイン 50歳 ヘルマンス 35歳

 今Wikipediaを見てみたらアインシュタインはノーベル物理学賞を取ったのは1921年度の賞なのですが、受賞の知らせを受け取ったのは、1922年に入ってからです。で、相対性理論ではなく「光電効果」で受賞しています。これは、アインシュタインがユダヤ人であるから相対性理論も「ユダヤ的である」という批判が強く、その批判を避けるために「光電効果」のほうになったと・・・

 まあ、いずれにしても1930年の時点ではアインシュタインは世界的に有名には違いない。ヘルマンスはベルリンのラジオ放送局で、アインシュタインをヒトラーの対抗馬として担ぎ出そうとしていた。それでアインシュタインのアパートを訪ねる。

 アインシュタインは、この時、既にナチスから「国民の敵ナンバーワン」と名指しされ、すくなくとも7度は命を狙われていた。

 ヘルマンスが訪れた時、丁度ストーカーと言うか、勝手に原稿を送りつけて来て「あの原稿はどうなった。有名なところに紹介しろ。紹介しないってことは原稿を勝手に使ったのではないか。刺してやる」みたいな人がウロウロしている時。作家とか有名人になるとよくありそうな話です。

 ユークリッド幾何学からリーマン幾何学に置き換えたのですか、という質問に対して

「どんな幾何学体系であろうと、人の心の産物であって、現実とは無関係のものだ。だから幾何学には、現実には存在しないような心的秩序がある。現実は幾何学に公理をもたらさないいんだよ」

「われわれは思考経験を観測経験に照らして評価している。こうして現実世界に秩序をもたらし、それを一般化している。しかし、数学法則を現実に合わせるほど確実性が失われる。逆に確実であろうとすれば現実に合わないということを忘れないようにしなくてはいけない」


 遠くから青年達が威勢の良い(たぶん「愛国的」な)歌を歌いながら行進している音を聞きながら

「ドイツの若者が、こんなふるまいをするのも不思議ではない。私の恩師がポケットから長い錆びた釘を取り出し、『こんな釘でユダヤ人たちはキリストを十字架にかけた』と言ったのが忘れられない。当時、私はまだ子供だったが、すでにユダヤ人であることの悲劇を肌で感じていた。そこはカトリックの学校だったので、プロイセンの学校の中でも、よけいに反ユダヤの気風が強かったのは想像がつくだろう」


「ヒトラーが権力を掌握すれば、ヴァチカンは支持にまわることだろう。コンスタンチヌス以来、教会は洗礼を授けミサを行うことが許可されさえすれげ、独裁国家を好んできたんだ」

 この二人の会話の時、二人はストーカーからの被害を避けるために近所の警察署に駆け込んでいます。しかしそこで二人が相手にされなかった様子が描かれています。ということは逆に言うと「一般レベルの警察」ではそれほどアインシュタインをどうにかしてやろう、みたいな気持ちは無かったのではないか、と思います。

 ヘルマンスはその後、1934年、ゲシュタポに追われてフランスに逃げる。3年後アメリカ市民になれた。

1943年8月

 アインシュタイン 64歳 ヘルマンス 49歳

 ヘルマンスは当時国際警察(インターナショナル・ポリス・フォース)を作る準備をしていて、そこのみこしにアインシュタインを担ごうとし、まと信仰治療について意見を聞きたい、とアインシュタインを訪ねる。

 パイプを何度かふかしてから、アインシュタインは言った。「うん、君をヴェルダンで枚った神は、いまだに霊験あらたかだ。ねえヘルマンス博士、私は古いユダヤ人だ。律法と正義の神を信じている。ドイツはこの戦争に勝てるわけがない」。彼は肩をすくめ、ため息をついた。「でなければ、この世は無意味だ」彼はくすくす笑った。「私はヒトラーの公敵ナンバーワンだった」

 彼は大笑いしてから言った。「律法は、とりわけ民族などを扱う場合には統計公式には馴じまない。律法を作った神は、なおさらそうだ」


 ヘルマンスがアインシュタインが辛くも追手を逃れた時、ナチの突撃隊がカーブスの家を捜査し、ナチの新聞には「機関銃、爆弾など共産主義者が支配するために用いる兵器が発見された」と書いていたことを告げます。

 ヘルマンスがアインシュタインの考えが変わってきているのを指摘し

「平和主義に対する考えを変えるたびに多くの敵をつくってきたのは十分わかっている。クエーカー教徒しかり、バートランド・ラッセルやガンジーの信奉者しかりだ。しかし、原則は人のために作られるのであって、原則のために人があるのではない」

 聖書の奇跡についてのやりとりで

「神は、ご自分が創造したものを否定するのに超自然的な力を使うようなことはなさらないさ」

 物質の存在などについてのやりとりで

 彼は髪の毛を引っ張った。よい言葉が見つからないか、私を説得できないのでイライラしていたのだろうか。「世界は不思議なものだということを認めようじゃないか。自然は、完全に物質的でも、完全に精神的でもない。人間も血と肉だけの存在じゃない。そうでなければ宗教など、あるわけがないじゃないか。原因の背後には、またべつの原因がある。すべての原因の始まりも終わりも、まだ発見されていないんだ。しかし、これだけは憶えておかなくちゃいけない。それは原因なくして結果はなく、法則なき創造はないということだ」

 なんかこのあたりで鈴木教授という名前が出てきます。たぶん鈴木大拙のこと。

 ヘルマンスが、イエスが奇跡的治療(信仰治療)をした、という話を持ちだしたので

「ときどきイエスがいなかったらよかったのに、と思うことがあるよ。その影響力ゆえに、これほど悪用された名前もないだろう!」

 1933年7月20日、ヒトラーとローマカトリック教会との間に政教条約(コンコルダート)が結ばれた。

「われわれユダヤ人は、ほぼ二千年の間、辛酸をなめてきた。だが、どんなことをされてもユダヤ人の神に対する概念はゆるぎなかった。中世には、聖体を冒涜するために盗んだとの疑いで、どれはどのユダヤ人が撲殺されたことか。そして英国では今なお殉教者としてあがめられているリンカンのヒューの奇跡なるもののために、どれはどのユダヤ人が死んだことだろう。井戸に毒を投げ込むとか疫病とか、その他思いつくありとあらゆる災いがユダヤ人のせいにされた。すべてはユダヤ人が三位一体の第二者としてイエスを認めなかったからだ。われわれは一神教の創始者だからね。ユダヤ人たちは、カリグラ帝に自分を崇拝させるための彫像を建てさせるぐらいなら、イェルサレム神殿でさえ犠牲にする覚悟をもっていたんだ」

 「井戸に毒を投げ込む」という流言飛語は関東大震災を思い起こさせます。

1948年9月14日

 アインシュタイン 69歳 ヘルマンス 54歳

 この時は何をしに行ったのか??ハバードにチャーチルが来る、ということで国際警察を作るため?またプロテスタントの牧師さんも一緒に行っています。何か「我々と同じ信仰に」と勧めに行ったようでもある。

 訪問した部屋に椅子が足りなかったシーンで

 彼はかけたまえという身ぶりをした。しかし、椅子が一つ足りない。おまけに秘書はドアを聞けっ放しにしていた。私たちに信用がおけないのだろうか? 全員がつっ立ったままだった。私は一人で来るべきだったのかもしれない。しかし、ジェームズ師や甥たちを置いてくるのは不義理というものだろう。アインシユダインは何もしない。どうしようもない人だ。立ったまま話そうとでもいうのか? 彼は気の毒そうに私を見ていた。
 どうぞお座りくださいと私が言うと、アインシュタインは困ったような身ぶりをして、「だけど椅子が足りないんだよ」と答えた。


 何か面白い。

 ヘルマンスとのやりとり。決定論(?)について

「アインシュタイン先生はショーペンハウエルの『人は望み通りのことができるが、何を望むかは意のままにならない』という言葉が最も深遠な言葉の一つだ、とおっしやっていました。それなら決定論を信じるということです。これは、ドイツが自らの罪に責任を負えないということを意味するのですか? そして、あなたが帰依するスピノザは、『空に投げられた石は、それを投げた手のことを忘れるならば、自分か自由だと思うだろう』と言っていました」
 アインシュタインは答えた。「われわれは、普段気づかない内なる力によって動かされている。だから、自由意志について云々するのをためらうんだ」
「政治的プロパガンダに影響されやすく、一般市民の潜在意識下の願望によって培養された国家意識というものがあるようですね。ヒトラーが悟ったように、『われわれドイツ人は血で考える』のです」と私は言った。
「そのとおり」とアインシュタインが言った。「ドイツ人は自由意志を持っていなかった。教育や環境や軍隊的思考に支配されていたからだ。しかし戦争(第1次大戦)に負けたとたん、その伝統はおそらく滅び、新たに自由意志が育ち始めたんだ。で、彼らはそれをどう使ったかというと、ヒトラーを選んだのだ。そろそろユダヤ人に三つの借りがあることを学ぶときだ。すなわち、道徳律、ギリシャ論理学、それに彼ら自身の言語の洗練だ。聖書がなかったらルターもなかっただろう。ドイツ人は本当の宗教感覚を育てたことがないのではないか、と思うよ。彼らは強大な権力者を生んだが、道義的責任は育てなかった」


 話の中に「シュトレーゼマン」って人が出てくる。のだめの先生と同じ名前だ。

 牧師さんがあの世の審判(最後の審判)を持ちだしたのに対して

「そう信じている人は、それで結構。自分の肉体の死後については何も想像できない。たぶん、すべてがおしまいになるのだろう。自分か今ここにおり、そして永遠の神秘的な一部であることを知っているだけで私は十分満足だ。若い頃から、いつも家族や友人や世間から離れていたので、私の死も気楽なものだろう。もし生き続けるとしても、あの世はこわくない。私が善行を少しでもつんだとすれば、それが自分自身からの解放に役だつんだ。善のためではなく、宗教があの世で賞罰が待っていると教えるから善を行うのだとしたら、人間とは何ともつまらん生き物だよ」

「みんななぜこう、私を自分たちの信仰に引き入れたがるのかね」

で、それにヘルマンスが答えて

「あなたの名が、いい宣伝になるからですよ」

 いやあ、率直。

 私はたずねた。「次に原爆が使われたら、私たちはみんなおしまいなのでしょうか?」
「そうは思わない。世界の人口の三分の二以上は死んでしまうだろうが、もう一度やり直すのに十分なだけの人間が生き残るだろうね」


1954年

 アインシュタイン 75歳 ヘルマンス 60歳

 この時はアメリカのカトリック大司教シーンが反ユダヤ主義に対する番組を作ろうとしていたので、それへの協力をして欲しいのと、友人の長男でハーバードで物理学を学んでいるパトリックを連れて行っている。パトリックは、人生の目的が定まらず、挫折感を持ち、勉強する気をなくしていた。

 敗戦の時にゲッペルスが妻に6人の子どもを毒殺させ、親衛隊に自分たち夫婦を射殺させた話で、イエズス会の門下生からヒトラーの弟子になった、という話をし、ゲッペルスの先妻の子は父の罪を償うために牧師になったという話を聞き

「山上の垂訓の意味を父よりも重く受けとめたならいいんだがね」

「今、国家主義が危険なのは、ロシアよりもアメリカだと思うよ」とアインシュタインが言った。「合衆国を共産主義から防衛するという口実で、非米活動委員会は魔女狩りの手段に訴え、先の大戦で功績があった何人かの将軍でさえ槍玉にあげる始末だ。この共産主義への恐れは、心理的偽装工作のように思える。それは、ヒトラーが、身内から自分の権力を守るために外の危険を強調したやり口だ。共産主義であれ、キリスト教であれ、私はいかなる全体主義体制にも反対する。私は人間の心の幅の広さを信じ、その自由な発展のために身命を賭している。心の自由な発展は、慣行に縛られず、人が理性の統制力を信頼したときにこそ、はじめて可能になる」

 まああんまし「理性」っちゅうやつは信じられないのですが・・・

「アハハハー。じゃ神について言おう。教会の権威に基づく神の概念は、いかなるものでも受け入れられない」。アインシュタインの目に暗い炎がくすぶっていた。「覚えているかぎり、私は大衆教化には憤りを感じてきた。盲目的な信仰における生や死への恐怖などは信じないのだ。人間的な神は存在しないと証明することはできない。しかし、その神について語るならば、私は嘘つきになってしまう。勧善懲悪の神は信じない。私の神は自分が創った法則に、そのすべてを任せている。彼の宇宙を支配するのは、人間の甘い願望などではなく、不変の法則なのだ」

 パトリックは積極的に話に加わるタイプでは無かったようです。しかし、パトリックとのやりとりはすごくいい感じです。

 パットは、おずおずと言った。「信じる価値のあるものなんて、存在するのでしょうか?」
 アインシュタインは前屈みになった。「たぶん、あるさ。私は人の友愛と個人の独創性を信じている。では、それを証明しろと言われても、むずかしいな。君は全生涯をかけて、信じるものを確かめてみることができる。そして説明をつけるかもしれないが、それはまったく無益だろう。とはいえ、信念とは、われわれのこの存在みたいなもので、それは事実なんだ。まだ信じるものを見つけていないのなら、自分が何を感じ、何を望んでいるのか知ることにつとめてごらん」


 だが、「経験は真実をもたらすのでしょうか?」とたずねたパットの方は、ずっと現世にいたのだ。
「そいつは、むずかしい質問だ」とアインシユダインは暖かい、父親のような調子で答えた。「ものを見るとき、真実という点から考えてはいけない。というのは、真実は思考の上だけに存在する概念であり、概念を扱う命題のかたちで表されるからだ。まず実在に触れることから始めなくてはならない。次に、それを取り巻く理論を構築することによって、実在の知的イメージを形成する。最初に観測し、それから数学的手法を使って観測したものを具体化するということだ。実在するものは、こんなふうにして真実となるわけだ」


 パトリックが「人生の生きる価値」について悩んでいるとビルから聞いて

 パットの方を向くと、こうたずねた。「光の原子と波動の二面性の問題には興味はないかな?」
「すごくあります」
「それなら、どうして『自分はなぜ物理学を専攻するんだ』と疑問をもつの? 一生頭を悩ますほどの問題ではないんじやないか? 自分の直観を信じなさい。むろん、いろんな考えが出てくるだろうが、その一つひとつを注意深く吟味していくんだ。君には選ぶ自由があが、小説家の真似はしないように。そうじゃなくて、クロスワードパズルを解くようにしなさい。そうすれば、ただ一つ、ぴたりと合う一片が出てくる。たとえば、幾何学の方程式にはいろいろあるが、自分の感覚に合う方程式は1つしかないようなものだ」
「正しい道筋で考えているかどうかは、どうやってわかるのですか?」とパットが聞いた。
 アインシユタインは椅子にもたれていたが、急に前に身を乗り出した。「なぜ疑問に思うのか考えないように。ただ疑問のおもむくままにすればいいんだ。答えが出ないからと悩む必要はない。わからないものに説明をつけてしまわないことだ。好奇心には、それなりの理由がある。永遠の神秘、生命の神秘、そして実在の背後にある驚くべき体系の神秘を思うとき、畏怖の念を覚えないかね? そして、見たり、感じたり、触れたりするものを説明する道具として、そうした体系や概念や公式を用いることが人の心の不思議なところなんだ。毎日、少しずつ理解するようにつとめなさい。聖なる好奇心をもつことだよ」


「そう」とアインシュタインがつけ加えた。「誉められてだめになることを避ける唯一の方法は、仕事を続けることだ。人はどうしても手を止めて、そういう声に耳を傾けがちになる。耳を貸さず、仕事を続けることが一番だ。仕事、それしかないよ」

 エピソード。

 毎日昼食後になると、ある小さな女の子がきまってノートを持って姿を消し、聞かれても算数の勉強のお手伝いをしてくれる男の人に会いに行っていると言うだけだった。心配した母親がある日、あとをつけて見ていると、彼女は公園に入り、ベンチへ腰掛けて、ある男にノートを広げて見せた。
 母親は自分の目が信じられなかった。「アインシュタイン先生、娘が毎日お勉強をみてもらっていたなんて、ご迷惑でしたでしょう?」
「なあに、かまいませんよ」アインシュタインは言った。「それどころか、いつもクッキーまでいただいてしまって」


 1955年4月18日没。



ラベル:宗教 本
posted by kingstone at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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