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2011年11月28日

困ってる人 大野更紗著



 めちゃ面白かったです。

 書評とか読んでいて、難民援助に向かった先で病気になり、そちらの医療で苦しんだ、という話かと思っていました。違いました。

 大野さんは、ビルマ難民援助(支援?)の活動を日本でされていたけれど、日本にいた時から体調が悪くなり、タイにいた時に本格的に悪くなり、帰国されたのだけど、どこでも診断がつかず、やっと診断が降りた病院で長期入院となり、まともに動くこともできなくなったけれど、そこから言わば「自立生活」を始めるまでのあれこれを書いた本、ってとこかな。

 2008年秋から調子悪くなり、膠原病ではそこそこ有名な病院に行っても診断がつかず(しかし全身の状態は相当にやばい)やっと2009年9月末にたどりついた某大学病院で、ハーバード出のプロフェッサーに辿り着き、やっと診断(がつくまでがまだまだ長いし、とんでもないたいへんな検査が続きます)及び治療が開始されます。

 プロフェッサーにその下のパパ先生・クマ先生・イケメン先生とたくさんのお医者様にお世話になるわけですが。主治医はクマ先生。

 どのお医者様もお医者様としては素晴らしい方のようです。本当に身を粉にして熱心に働いてはる、というか。

 でもどの検査も相当に負担がかかる。経済的にもですけど、肉体的ダメージがすごい。なんせ麻酔なしで筋肉を切り取るオペとかあるのですから。中で内視鏡が出てきます。私がやったことがあるのはこれだけかな。私はめちゃくちゃダメージを被りました。でも内視鏡検査なんて大野さんのやってこられた検査の中では「へ」みたいなもんであるようです。

 で、長い検査のあと「皮膚筋炎」「筋膜炎脂肪織炎症候群」という診断がおります。そして治療に入るわけですが、どうもなかなか身動きするのもつらい、そしてお尻が1リットルも崩れて穴が開くというような事態になったりします。多額の費用がかかりますが、2009年の12月からは難病認定がおり医療券が使えるようになります。しかし、この申請についても書類の作成がたいへんだったよう。

 しかし、安心して入院生活を続けられる、という状態でもなく、例の病院は長期に入院していると儲からなくなるので強制的に出される、という制度で途中二度ほど退院しつつしかし入院生活を過ごしておられました。

 そんな中、ソーシャルワーカーさんにもあれこれ話を聞いてもらってたようですが、(別にこのワーカーさんが冷たいというわけではなく、制度とかでの解決以上に悩み相談みたいになってたみたいですが)ちょっと見離されるというような事態にもなったようです。

 で、2010年1月末、身体障害者手帳2級を取られます。私の母は今はもう自力では家の外に出られませんがそれでも4級です。2級というのは相当重いわけで、また使える福祉制度も3級以下では相当に少ないそうな。

 で、2010年4月ってことは入院半年後か・・・なんかこのまま入院生活で(でも今の制度だったらできないですけど)みたいな雰囲気の中、大野さんは突然「自立生活」に向かって驀進することになります。きっかけは「恋(?)」

 しかし、まあお医者様も「診断」「治療」には長けてはいても「暮らし」「生活」あるいは「制度」「気持ち」にはうとい様子も描写されています。もちろんそれはそれでいいのかもしれません。なんていうか別の業務の人がいる、ってか。

 また大野さんは、ついつい友達に(そのつもりがなくても)頼ってしまい、ついに友達が「もうできない」と悲鳴を上げる様子も書かれています。でこう書かれています。

 まず病気になる以前の卒論から

"今一番感じていることは「開発」「援助」、それらの言説そのものへの疑問である。「住民参加」や「住民主体の開発」という言葉の裏には、援助する側、援助される側、の権力構造が見え隠れする。
 ビルマの難民キャンプで暮らす人びとにカネやモノを援助し続けることは、確かに一時的な凌ぎにはなっても、彼らの苦境の根本的な原因を取り除くことにはならない。
 最も周辺化され、最も援助を必要としている人びとにとっての最良の支援は、政治的な構造を変革することなしには実現し得ない場合が多いのではないのだろうか"


 そして今回の気づきとして

 じゃあキャンプの中で、ビルマ難民が頼っていたものは何だったっけ、と、記憶をよみがえらせてみる。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の援助米。NGOの急ごしらえの病院。IMO(国際移住機関)のバスに乗り、外の世界へ出られない難民キャンプから公的に脱出する唯一の方法である、第三国定住プログラムで欧米へ出国してゆく姿が、脳裏をよぎった。
 つまりそれって。「国家」。「社会」。「制度」。特定の誰かではなく、システムそのもの。
 ひとが、最終的に頼れるもの。それは、一社会」の公的な制度しかないんだ。わたしは、「社会」と向き合うしかない。わたし自身が、「社会」と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実にただ愕然とした。
 だが、その肝心の日本の社会福祉制度は、複雑怪奇な「モンスター」である。真っ向からのデスマッチを実行するためには、健常者でも音をあげるに違いない、尋常でない延々の気力と手間とマンパワーが必要であることは、この時点ですでに悟っていた。
 どの制度をどうやって使えばいいのか。そもそも、申請できる、使える制度があるのかどうか。あったとしても、膨大な書類、手続き、何十回はるか遠くの役所まで行き来しなければならないのか。何百枚書類を用意しなければならないのか。どこに住んで、どうやって暮らしていけばいいのか。


 で、まあ大野さんはやり抜かれるわけです。2010年6月末に自立生活に入られます。

 なお、その時、自立生活のために病院の所在地である、東京都のQ区に住民票を移すわけですが、ここの役所の対応とか、ケアマネジャーさんとか、ケースワーカーさんの助けは素晴らしいものであったようです。

 ほんまなあ。もちろん引越しの時とか、再び知人・友人が大挙して手伝ってくれたようだし、そんな知り合いとかも大事だし、またそーゆーのでない制度とか、仕事で関わってくれる人も大事だよなあ。

 いろんなことを考えました。




 

posted by kingstone at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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