雲ひとつない、っていう天気です。
気持ちいい。
不雨花猶落(あめならずして はななおおつ)
私が考えたこと。「雨も降ってないのに花が落ちるよ」ただそれだけなんだけど、花も美しい。風景も美しい。
解説 花が咲いたら散るというのは自然の摂理です。咲いた時から、散ることは前提となっています。どんなものでも終わる時はいつかやってくるのです。
そして花は散っても、次の年にはまた花を咲かせるか、あるいは種になり次の世代へと受け継いでいきます。万物は終わらず、少しずつ形を変えながら循環していくのです。あるがまま、自然のままに任せてみるのも、ひとつの方法ではないでしょうか。
そこまで読むかあ。
今日から3日間、フルタイムで研修です。びびってます。
さて補聴器の威力は出るでしょうか。
ラベル:挨拶 天気 禅語
不雨花猶落 無風絮自飛
「雨は降らなくても花はいずれ落ちる 風が吹かなくても柳の綿毛は自然と飛んでいく」
というのが訳です。「猶予」のように「猶」には「いずれ(不定期)」の意味を取ることがあります。
解説者の二段落目は解説者の解釈です。しかも、たぶん禅と離れています。これの意味は、類推ですが「雨も降らないのに花が落ちるとか、風も吹かないのに綿毛が飛ぶとか、物事を因果関係とか理屈で捉えるな。そんなものは運命として元より定められているのだ。仏門に帰依したいのなら理屈とか常識を捨てろ」ということだと思うんですが。
うむむ。
風が無かったら柳の綿毛は飛ばずに下に落ちるやないかあ、っちゅうのは理屈っぽすぎるのだろうか・・・ (^_^;)
(元の詩に突っ込んでどうすんだ、という話ですが)
まあ運命は定まってるんだろうけど。
そしてこの語はもずらいと先生向きだと思った。
「幸も不幸も自分で選んで決めればいい。」と突き放す考え方、かな。
(すみません、私の要約だからご不快をおかけするかも。)
KING STONEさんとか私はあまり承服しがたい、かも。
すごく人に関わろうとする、からかも。
もう、自閉症の勉強なんてやめようかなぁと思う時がある。
私は自閉症の人の世界観そのものとか素直で生真面目なところに惹かれるんだけど、
こういうブログを読んでいるのはきっと親御さんとか療育者さんとか。
私はすごくウザいと思う。自覚はあるんだけどえーとごめんなさい。
|KING STONEさんとか私はあまり承服しがたい、かも。
へっ?私は少なくとも禅語に関してはもずらいとさんに承服しているよ (^^)
「風が無かったら柳の綿毛は飛ばずに下に落ちるやないかあ」って、
虐待を見過ごせない実にKING STONEさんらしいつっこみだと思ったのに。
今、虐待防止セミナーの話をはじめたところです。
ずっと憧れていたのでドキドキしてます。CP者さんだよ。
千葉の知的障害者への虐待の話も出てきてます。
いゃ、そりゃ最終的にはどこかの土に落ちるでしょう。「風で強制的に吹き飛ばされなくても、自然に飛ぶんだよ」ということです。逆に、すぐ土に近づきたいなら綿毛なんて進化はしないでしょう。