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2011年10月29日

映画「ショパン」 ジョルジュ・サンドとの恋とか



「ショパン」2002年ポーランド映画・英語


ーーーーーーーーネタバレーーーーーーーー

 1830年から話は始まります。
 ワルシャワ公国って、少なくともこの映画では「悪代官」みたいな「大公」に支配されていて、でまた民衆としてはロシアからコントロールされているという思いがあり、しかし大公は「ロシアから守ってやっているんだ」と言ってました。しかし、暗殺計画がバレた士官たちをシベリア送りにしていたから、ロシアと協力関係にはあったのだろうな。で、民衆には反大公的・愛国的ムードが高まっていてショパンもその中にいたので、パリに行かなければ殺されていた可能性もありそう。

 1831年にパリに行きますが、この時、パリはコレラが大流行で人口が半分に減ったなんて話もありました。ふむフィクションですけど、JINー仁ーで仁先生が江戸時代に行き、コレラの大流行を見るのは1862年でしたから、約30年後。1831年ではパリでもコレラに対応できなかったわけだ。ゼンメルワイスが産褥熱への対応を考えてやってみたのがまだこの後年の1846年頃からですから。

 ショパンとジョルジュ・サンドの恋は知っていました。しかし、ショパンはマジョルカ島でサンドに見守られつつ死んだのだ、と思っていました。違うんですね。

 何と言うか・・・サンドの息子との関係が悪くなったり(ここには子どもの独立の葛藤が出てきます)娘とは・・・なんかよくわからないのですが、映画の中ではショパンと娘との間に子どもが産まれたような(今パンフレットを確認したら、ショパンの愛を獲ようとしたけど、それは果たさず、彫刻家と結婚し、その結婚をサンドは嫌っていたけどショパンは応援した、ってことみたい)・・・で、サンドと別れてからショパンは死んでいます。

 結構ぐちゃぐちゃな話でした。

 でもってサンドはショパンと出会った頃はリストと恋仲で、またショパンと別れたあと、マルクスとも交流(恋仲とは書いてなかった)があったって。(Wikipediaより)

 なんか、へっへーと思うことが多い映画でした。

ラベル:映画
posted by kingstone at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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