私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年10月28日

10月28日(金曜日) 鉄樹花開二月春

 おはようございます。

 すごくいい天気です。
 朝晩寒いようですが、これが季節としては平年並み当たり前だそうですね。


 鉄樹花開二月春(てつじゅはなひらくにがつのはる)

 私の思ったこと。(鉄樹っていう木が)花が開いたよ。二月、春のことだよ。(美しいし、これから暖かくなるなあ。気持ちいいな)

 解説 「鉄樹」とは、生命力を失った古木のこと。そんな老木でも、厳しい冬を越えた後に花を咲かせることをあらわしています。たとえ今の状況が厳しく、月日だけが流れていくと感じていても、なすべきことをしていれば、きっと花が咲く。途中で投げ出していれば、この花は見られなかったはずです。

 なるほど、もう枯れたように見えた「古木」なんや。

posted by kingstone at 08:05| Comment(7) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 「鉄樹」という言葉は知りませんでしたし、辞書にもありませんでした。ググると「梅の古木」をそう言うことがあるようですね。時期的にも一致するのでそうなのでしょう。でも、チャイナの人が「鉄」を梅であっても「古木」の例えに使うかどうかは怪しい気がします。これは日本人の感覚かと類推します。
Posted by もずらいと at 2011年10月28日 19:18
>もずらいと先生はとても厳しくて、知的障害者を下に見ることで優位を保とうとするろう者がお嫌いです。
>ろう学校に転籍するとしたらどうか、と私が聞いたら、気乗りがしない、と。
>怒鳴りつけるために手話は覚えると思うが、それよりも「おはようございます、と言ってみましょうね」と言ったら、「お、は」とか言葉
>にならないような言葉が帰ってくる最重度の知的障害児と接するときに「生かされてる」と思うのだそうです。

 いくつか間違っています。「私は障害を持っているけど知的障害じゃない」という障害者は全員嫌いです。前任校で「私の行く通所施設は肢知併設なんで知障がたくさんいて嫌なんです」という生徒に「そうだろうなぁ、お前みたいに体が不自由だって言うばかりで努力もしないような奴と一緒にされたくないよと知的障害の人は思うだろうなぁ」と言ったら黙りこくってしまいました。
 大学のゼミの後輩が「私は耳が聞こえないだけです」と、つまり、暗に「私は知的障害ではない」と訴えている学生には「耳が聞こえないのではない。お前は心が聞くのを拒否しているんだ」と言って、そばの手話通訳に「一字一句間違えないように訳せ」とすごんだことはあります。でも、忠実には訳せなかったようですね。涙目でしたから。でも、そんな覚悟で手話通訳をやってはいけないのです。「聾者の味方」なんてお笑いぐさです。そんなのは「自分はいい人」という「自分だけ大事」な人なんです。
 「言葉にならないような言葉が帰ってくる最重度の知的障害児と接するときに『生かされてる』と思」ってはいません。しかし、「最重度の知的障害児」を安易に切り捨てる今の風潮には断固として反対しているのは事実です。私はよく「盲腸」の例を出します。今では初心者向け手術の盲腸ですが、百年前なら死んでもおかしくない難病でした。盲腸レベルの病気で生きることができたのは現代医学の恩恵を被っているのです。自分は助かっても当然だが障害児が生きるのはおかしいなどという奴はバカなのです。
 近代医学の恩恵を得る以上、障害者問題は真摯に当たらないといけないのです。そのあたりを分かっていない「知的障害でない障害者」には今後も罵詈雑言を浴びせます。
Posted by もずらいと at 2011年10月28日 20:34
みやびさん、もずらいとさん、どうもです。

|字幕RTの著作権争議では最悪の初対面だったもずらいと先生と今なんで仲が良いのか

爆笑

|ググると「梅の古木」をそう言うことがあるよう

あっ、そうかあ。印刷の辞書も、検索も、そして類推も。
やっぱりあの手この手を使ってはるんですね。
そうだよな。
そうでないといかんよな。

|私はよく「盲腸」の例を出します。今では初心者向け手術の盲腸ですが、
|百年前なら死んでもおかしくない難病でした。盲腸レベルの病気で生きる
|ことができたのは現代医学の恩恵を被っているのです。自分は助かっても
|当然だが障害児が生きるのはおかしいなどという奴はバカなのです。

このご意見はもずらいとさんからうかがうのも初耳です。
新鮮です。



Posted by kingstone at 2011年10月28日 21:13
もずらいと先生、KING STONEさん、おはようございます。

もずらいと先生、すみません。私のことなんであえて焦点を絞るために肢体も病弱も未練がないというお話は外しました。

そして、それをしみじみと思ってました。

今からもう3年ぐらい前になってしまうのか、袖ヶ浦の心中事件のお母さんの心理をずっと探していたのです。

肢体障害に加えて、少し知的障害があると分かった小1のお嬢さんを、お母さんが殺めてしまったのです。

私はとてもショックで。
むしろ、それをとりまく親御さんや療育者の心理のほうが残酷だったのです。



普通、虐待死があれば、親をひどいと責めるものです。
でも、障害児を殺めたら「お母さんがかわいそう、責めるな」と世間は言う。

その言葉の裏は「あんな面倒なものを背負いこまされたら私だってやってられない、死んでしまえばいいと思うだろう」という意味のことで、


私はそれが耐えられなかったの。
凍死者が出るほど、過酷な差別の中で、「お母さんはどうして私たちを捨てたの」と恨んだ気持ちがこみ上げてきて。



それから、ずっと障害児のお母さんを許せる考え方というのを探しているのです。いくつか見つけたと思うのですが、例えば小林正観さん。知的障害のわが子が天から持ってきたやさしい価値観を持って、ホスピタリティアドバイザーをしてる方がいらっしゃいます。世界一強いお父ちゃん、ディック・ホイトとか。
http://www.gankokuhuku.com/can.htm
レインボーおやじさまもその系譜の人でしょう。


袖ヶ浦の事件のお母さん、
たぶんこういうことだと思うのです。障害があるとわかったとき、公園の自然発生的なママ友の輪に入れないので、

療育の親の会でやっと自分の居場所を見つける、ということが多いのだそうです。障害児療育と医療事故が専門のコミュニケーション心理学者さんに教えてもらいました。

でも、そこでも差別がある。知的障害を下に見ることでバランスを保とうとしている親の会の中で、

自分が再びはじき出される、とわかったときに子供に刃を向けたのではないか、と。

脳性麻痺のお兄さんがいる友人がいます。
その兄と母が、知的障害を下に見ることでバランスを保とうとしてるところがある、と教えてくれました。「もっと他のものでなんとかしないか」とじれったく思うそうなんですが、

でも、そのお兄さんは友人以外の姉妹の結婚式に参列を許されなかったそうなのです。そんなに辛い差別が周りにあるのに、

高潔さを保て、というのも無理な話です。
私は誰かを恨むことができず、大きな世間の成り立ちの方にずっと怒っていますが、

直接的には母を恨んでしまうんだよね。
母も辛かったとは思うのですが、私がどんなに母や弟の不安定な心理を守ろうとしていたかなんて、気づいてくれなかったんだと。


いろいろ感情が吹きこぼれて止まりません。

まだ機会があったら語りたいことはあります。
例えば、自閉症のわが子をあずかってくれる優しいヘルパーさんをみつけた。
その人を「誰が」送ってくれるのかということ。


本当はそんなに差別されてるわけじゃなくて、
黙って掛ける言葉もなく見守ってくれてる人だっています。
こいつ差別者だと直感した人が、実は言葉がうまくないだけで何かせずにいられないからしゃにむに話しかけてきた善意の人ってことだってあります。

私が30年障害児者を生きて、そういう実感を生きています。
Posted by みやび at 2011年10月29日 08:51
みやびさん、どうもです。

|こいつ差別者だと直感した人が、実は言葉がうまくないだけで
|何かせずにいられないからしゃにむに話しかけてきた善意の人
|ってことだってあります。

うん。よくあります。
「虐待」をしている人が実は「何とかしたいと苦悩」している人だったりとかも。
誰の心の中にだって「愛」はある。
それを発現できる世の中にしていきたいです。
Posted by kingstone at 2011年10月29日 10:23
KING STONEさん

本当は、もずらいと先生のようにその一瞬を強く打って羅針盤の歪みを正すのが教師として正しいのだと思います。
たとえ親が決めた施設以外に当面行き場がなくっても、心がけの清い人ならいつかささやかな幸福をつかむでしょう。

上記の結婚式の参列を拒否される話につき。
思い出したのは昔読んだ絵本です。

大好きなお姉ちゃんの結婚式に出席を楽しみにしていた障害児の女の子。
「不吉だから結婚式に出ないで」という言葉に大泣きします。

でも、お姉ちゃんの門出を祝ってあげたい。
それで不自由な手で一生懸命「浴衣」を縫ったのです。

結婚式に出席が許されて、お姉ちゃんはお色直しにその「浴衣」を着てくれました。そういう大団円です。

障害児者であっても、自ら輝いて誰かを幸せにしようと生きるべきだと、
その絵本は教えてくれます。

私が必要なのは、たぶん恨みを捨てることから。(ごめん、とても難しい。
悲惨な話がたくさん入ってきます)
Posted by みやび at 2011年10月29日 17:24
>「虐待」をしている人が実は「何とかしたいと苦悩」している人だったり

よかったらこれどうぞ。ディスレクシアの少年マジシャンのお話です。
私、とりあえず3巻まで読んでとてもよかったです。

長見良くんはお父さんの弱さを許してるんだよ。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/fantasium.html
Posted by みやび at 2011年10月29日 18:59
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