※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年09月29日

大学の講義に潜り込んできた

 ある大学の近所まで行ったら

「映像情報学」という講義がある、という話を聞き、面白いかな、と潜り込んでみました。

 遅刻して入ったら大教室が満杯。
 で後ろの床にベタッと座って聴講している学生もいる。
 連続講義の1回目ということもあるのかもしれませんが、みんな真面目なのね・・・
 でも、3人がけにだいたい2人座ってるから、「すんませんが座らせてもらえます?」とお願いすれば座れるんだけど。(私はそうやって座った)

 で、映画とか報道写真とかの話かな、と思ったら今回はマンガについて。

 しかし大きな内容としてはマンガの主人公の変遷が

1.スーパーヒーロー(赤胴鈴之助など。アメコミにはこの系統が多いとも)
2.アンチヒーロー(ノラクロ・おそ松君)
3.アウトサイダー(明日のジョー)
4.テクニカルヒーロー(釣りキチ三平とか料理マンガとか)

ってのは・・・

 うむむ・・・もうちょい一作一作への考察があってもいいかな、と思いましたが。
 そんならお前が喋ってみい、って言われたらなかなか難しいですけど。もうちょっと「物語」を抽出する方向に行きたいかなあ・・・カインとアベル、オオクニヌシと兄たち、そこらへんからタッチとかまでとか。ちょっと「映像情報」からは外れちゃうかな。でも、ヒーロー像の変遷も「映像情報」というわけでもなさそう。

 ところで私の周囲をちょっと見回しただけでもずううっと机にふせって寝てる学生が5人いましたが、出席をとる講義でもなさそうだし、眠るならもっと寝やすいとこで寝ればいいのになあ、と思いました。



posted by kingstone at 20:21| Comment(3) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> しかし大きな内容としてはマンガの主人公の変遷が

>1.スーパーヒーロー(赤胴鈴之助など。アメコミにはこの系統が多いとも)
>2.アンチヒーロー(ノラクロ・おそ松君)
>3.アウトサイダー(明日のジョー)
>4.テクニカルヒーロー(釣りキチ三平とか料理マンガとか)
>
>ってのは・・・

 マンガ家崩れのもずらいとです。もしマンガ家に進んでも今程度の年収はあったと思います。必要経費はもっとあって実質の生活は苦しかったでしょうが。
 で、概説だったらそんなものでしょう。「2」の「のらくろ」はイレギュラーです。あのマンガは「下士官・兵ごときが大活躍しては士官の沽券にかかわる」という第二次世界巣大戦を敗北に導いた大日本帝國陸海軍の「バカ」どもにより終始圧力をうけ1941年に内務省からの指導で除隊とさせられたマンガです。戦時中の日本が他国と大きく違っていたのは「ヒーロー」の扱いです。連合国も枢軸国も「庶民出自のヒーロー」をまず取り上げました。ところが我が国だけは「皇族、もしくは上級士官以外のヒーロー」を爆弾三勇士以外は認めませんでした。坂井三郎は日本の撃墜王ですが、海軍航空隊は対外的に彼を無視し続けました。「庶民」が「生きたまま」ヒーローになっては困るという理屈です。

 で、元に戻ると大雑把ではありますが間違ってはいません。「おそ松くん」がマンガの転換になったというのは多くの人が言っています。

> ところで私の周囲をちょっと見回しただけでもずううっと机にふせって寝てる学生が5人いましたが、出席をとる講義でもなさそうだし、眠るならもっと寝やすいとこで寝ればいいのになあ、と思いました。

 私も不思議なんですが、彼等にとっては「その講義に出席している」というのが重要なのだそうです。
Posted by もずらいと at 2011年09月30日 20:11
もずらいとさん、どうもです。

|概説だったらそんなものでしょう

なるほど、そうなんですね。

|「2」の「のらくろ」はイレギュラーです

確かに。ってか他の言及されたマンガは戦後なのに、のらくろは戦前だから時代を遡るじゃん、と思いました。

|「庶民」が「生きたまま」ヒーローになっては困るという理屈です。

それはまたなんじゃらほい、な理屈ですね。

|彼等にとっては「その講義に出席している」というのが重要

出席をとる講義ならものすごくよくわかるのですが・・・

Posted by kingstone at 2011年09月30日 20:28
>|「庶民」が「生きたまま」ヒーローになっては困るという理屈です。
>
>それはまたなんじゃらほい、な理屈ですね。

 国民的英雄というのは上級士官(少佐以上)からというのが旧軍の感覚だったようですね。つまり、「兵、下士官や下級将校がヒーローになったら上官がやりづらい」という理屈ですね。ただ、実際には幼年学校からエリートコースの「少佐殿」も金鵄勲章を叙勲された部下には一目置かざるを得なかったのですが。「畏れ多くも大元帥たる天皇陛下から叙勲された」実績を持っていネールわけですから。
 ただ、他国だとそういう「庶民でのヒーロー」は死んでしまったら失望を与えるので、前線から離して後任の育成に当たるのが普通です。ドイツではそれを嫌って「前線にいられないくらいなら騎士十字章(通常の範囲で最高位の勲章)なんかいらない」という猛者がたくさんいました。
 日本はそういう人材を前線でやたら消耗しました。特攻隊なんかも海軍兵学校を出たエリートはほとんど参加しておらず、たたき上げのパイロットや学徒出陣の学生上がりが動員されました。日本が負けたのはこのような硬直的な官僚的感覚によるところが大きいのです。なにせ、戦いに負けても上は責任を取らないのですから。ミッドウェイ海戦なんか戦略の失敗によるものですからね。機密保持を徹底し戦略目標をぶれなければ勝っていたはずです。もっとも、当時生産量で10倍以上の差があった米国を相手に戦った時点で「負け」は確定していました。唯一可能性があるとしたら、不意打ちではなく、「民族自立」をたてにフィリピンからの撤退やハワイからの撤退を求めて「それを拒むのはルーズベルトだ」という雰囲気を作ることでした。そして「日本に対する原油の輸出を止めたのは、ルーズベルトが日本を挑発して、あなた方の息子たちを戦争にかり出そうとしているからだ」というプロパガンダを徹底すれば、ルーズベルトは失職し、モンロー主義の大統領によりフィリピンの放棄くらいは達成できたはずです。

>出席をとる講義ならものすごくよくわかるのですが・・・

 それは我々の感覚であって、彼等にしてみれば「その講義の場にいた」というのが取っても大切なようです。
Posted by もずらいと at 2011年10月01日 03:39
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