で、kintaのブログさんのエントリから
特殊教育学会1日目
この中でkintaさんは自主シンポジウムなどで考えたこととして、特別支援教育にAT(Assistive Tecnology 支援技術)を活かせていくための提言として以下のことを上げてはります。
・教員を支援するためのATスペシャリストなどの専任の人を養成すること。
・保護者からのニーズをうまく広あげていくこと。
・障害者の権利条約が変わってきているのでの考え方を十分に浸透させること。
・個別の指導計画を米国のIEPと同じような位置づけをしその中でATを明記すること。
・実践をまとめて次の世代につなげられる形を作ること。たとえばジャーナルや学会など。
・誰もが知っているような状況になること。
私が1993年に特総研の教育工学短期研修に行った時、終わった後、教育委員会に出す報告書に以下のようなことを書きました。
「特別支援学校の中で機器利用に関する専任者が必要である。私の年収が500万になっても(当時650万くらいだったと思う)いいからやらせて欲しい」
あほかいな、そんなことできるわけないやろ、と言われました。
まあそうなんです。学校内に教諭以外の(普通の教師の役回り以外の)者を入れようとしたら、その地域の議会を通さなければならない。これはよほどのことが無い限り無理。これは相当の政治力が無いと・・・
でもそんな専任者を置くと、子どもも教師も楽しく、楽になると思うんですけどね。でもそういうことはできない。だから今現在普通に教師をやってる人のリテラシーを上げよう、という方向に行くわけですが、例えば先日のTogetterでもこんなのがありました。
#今となっては使われないパソコン用語をいった奴が優勝
1993年当時だと、ここに出てくるSASIだSCSIだRS-232Cだとかいう言葉を覚えないと、少なくとも肢体不自由のお子さんや他の同僚に使ってもらうシステムを作ることはできなかったと思います。それってある意味「教師にとってはどうでもいい知識」だし・・・
そんな知識をまんべんなく多くの教師に持ってもらうのって非現実的じゃないかなあ。
ところで同じエントリにkintaさんが
自閉症の教育については同じように20年前にはとても不十分だったにもかかわらず,今は「自閉症って何」といったことを研究するようにはなっていません。もちろん,自閉症を知らない人もまだたくさんいますが,どう広めるかなどといってレベルの話は終わっています。
と書いてはるんだけど、確かに20年前は「(診断名としてすら)自閉症という言葉を使ってはいけない」という時代だったし、特別支援教育担当教師でまともに自閉症の人ってどういう行動をする人か、どう関わったらいいのか、を知ってる人は私の周囲にはいませんでした。今、さすがに「(診断名としてすら)自閉症と言ってはいけない」っていう人はいないだろうし、こういう行動を取る人が自閉症と呼ばれる、というあたりまでは広まってきていると思います。でもなあ、「どう関わったら」の部分はここ最近あれこれ見聞することが多くなってくると、「広まっている」とは言えないような気になるなあ。
ここらへんは様々な障害の人に対するATの普及の低さと同じかな。
特殊教育学会2日目から
文部科学省の調査では肢体不自由特別支援学級に学ぶ小中学生は4000人あまりいます
結構な数、いはるんや。
ICTやAT関係で書かせてもらうと,半数のお子さんは学年の教科指導をされているので,コミュニケーションの支援というよりも教科学習への支援が求められています。
でもって、当然あれこれノートをとったりプリントをしたりするためにATを使わないといけないこと、多いような気がするのだけど、そのあたりどうなってるかなあ。
コンピュータの利用率も意外と少ないです。これは,使わなくても大丈夫なのではなく,情報が得にくい環境にあったり,使える機器が少ないというコメントが多くあるので,そういった状況を改善しないと,必要な子どもに必要な機器が届かないという事になります。
ちょっと私の身の回りでも気になることがあって。こういう状況じゃないかなあ、と思います。
Twitterは参加していませんが私も日本特殊教育学会に行って、発表していました。
> そんな知識をまんべんなく多くの教師に持ってもらうのって非現実的じゃないかなあ。
そのとおりです。日本のおかしな点はICTにしろ医療的ケアにしろ「教師主導」という理屈で、行政も反体制も思っているという滑稽さにあります。私は肢体不自由特支にいた期間、ずっと「我々の年収が一割減っても良いから医師・看護師を充実させるべきだ」と言ってました。初年度に訴訟騒ぎの死亡事例がありましたからね。医師とか教師で「医療的ケアを教師が行うのは当然」なんて言う輩はバカです。そいつらに「AACとAT機器も教員が作るのが当然ですからあんた作ってください」と言ったらたぶん100%「それは教員の仕事じゃない」と言うでしょう。「医ケア」は教員の仕事じゃありません。私が長研で某大学の大学院にいたとき、交流校のアメリカの大学から来た先生は誰も理解できず「crazy」と言ってました。それが正しい理解です。日本は「キチガイ」なのです。
> 自閉症の教育については同じように20年前にはとても不十分だったにもかかわらず,今は「自閉症って何」といったことを研究するようにはなっていません。もちろん,自閉症を知らない人もまだたくさんいますが,どう広めるかなどといってレベルの話は終わっています。
これは講師の言です。つまり「自閉症とは」みたいなところから今は話をしないよね。自閉症を当然として「どうする」となるよねということです。
> と書いてはるんだけど、確かに20年前は「(診断名としてすら)自閉症という言葉を使ってはいけない」という時代だった
あっ、それただの「地域差」ですから。私の勤務する自治体では20年前は「自閉症は知的障害ではない→養護学校の対象ではない→統合教育へ」で「自閉症」は大ブームでした。兵庫県の一角を標準にしてはいけません。
>特別支援教育担当教師でまともに自閉症の人ってどういう行動をする人か、どう関わったらいいのか、を知ってる人は私の周囲にはいませんでした。
それも当時兵庫県がレベル低かっただけです。「TEACCH」を基本とすれば全国共通ですが、動作法とか抱っこ法とか箱庭療法とか行動療法とかいろいろありました。でね。「およそ教員という人間が情熱を傾けて誠心誠意指導」すれば、どんな療育法でも効果上がるの。これがTEACCH絶対主義者には理解できない。あんなヤンキー文化を無批判に導入する奴は私に言わせれば「お前ら自閉症の人を売国奴にしたいの?」てなわけです。
> ここらへんは様々な障害の人に対するATの普及の低さと同じかな。
あっ、違う違う。絶対数の問題なだけです。
> ICTやAT関係で書かせてもらうと,半数のお子さんは学年の教科指導をされているので,コミュニケーションの支援というよりも教科学習への支援が求められています。
>
>でもって、当然あれこれノートをとったりプリントをしたりするためにATを使わないといけないこと、多いような気がするのだけど、そのあたりどうなってるかなあ。
だって「コミュニケーション」なんて誰も「大切」にしてないじゃん。「九九を覚えました」といって感謝してくれる親はいくらでもいますけど「あいさつできるようになったんですよ」って言って誉めてくれる親マイナーだもん。
> コンピュータの利用率も意外と少ないです。これは,使わなくても大丈夫なのではなく,情報が得にくい環境にあったり,使える機器が少ないというコメントが多くあるので,そういった状況を改善しないと,必要な子どもに必要な機器が届かないという事になります。
ちがうよ。親も教員も「必要ない」し、それどころか本人も「必要ない」んですよ。アメリカ文化のように「自己決定」を「必須」としていない国なんですから。「それでいいです」の方がすごしやすいの。kingstoneさんは違うでしょうけど。もずらいとも個人的には日本の文化はあまり好きじゃない。しかし、零細工場の息子として生まれ育ったので「それはそれで仕方ない」ってのが身に付いてるんですよ。私を批判するひと敗倉でもいますが、リアル世界で私以上にプライドを捨てられる人は「いない」と思いますよ。私は必要なら土下座もできるし尻も舐められますからね。そんな奴はまだ見たことがない(^^;)。
|「教師主導」という理屈
これってかなり苦しい場面があるような気はします。
|「コミュニケーション」なんて誰も「大切」にしてないじゃん
いやあ、もちろんコミュニケーションは大切にしたいですが、コミュニケーションっていう以前の問題で。
例えば九九ができたとして、ノートやプリントに残して初めて周囲の人間にわかる、ってことがあるじゃないですか。
まあ音声でゴニョゴニョ唱えてればOKってことなのかな?
|尻も舐められますから
私ゃそれはようせん・・・
|私も日本特殊教育学会に行って、発表していました
何を?
>
>これってかなり苦しい場面があるような気はします。
当事者の教員たちは全くそう思っていません。「教員以外のものが我々の領域に関与するなんて許されない」という「選民意識」に毒されています。
>例えば九九ができたとして、ノートやプリントに残して初めて周囲の人間にわかる、ってことがあるじゃないですか。
そんなの気づくわけないじゃないですか。それをわかるのは、親と違って「たくさんの障害児を見ている教員」だからです。
>|尻も舐められますから
>
>私ゃそれはようせん・・・
じゃ、絶対「起業」してはいけません。その覚悟がない人は経営者になってはいけません。私は親父の不手際を取引先から散々言われて「お前の親父のおかげでこんなことあったんだよ」と、正確には損失額なんかも含めて言われるわけですが、そのときたかだか20歳前後で「すいません。親父が至らなくて、本当に申し訳ありません。」とヘラヘラ言えるかどうかです。ネット上の私の発言では信じられないでしょうが私はそういうことが「できる」のです。