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 あくまでも、私個人の意見です。

2011年09月15日

自閉症のお子さんの係に任命されて(小谷実可子さんの記憶)

 週刊文春9月15日号
「新家の履歴書」から

 記事全体はシンクロナイズドスイミングに打ち込んだ青春という感じですが、小学校の思い出として。


 小学校の思い出というと、クラスに自閉症の子がいて、私はその子の担当に先生から任命されていたんですよ。すごく世話好きの性格だったんで、クラスメイトや先生との間の橋渡し的な役割をしていて、その子も私には心を開いてくれていたんですね。泣いて学校に行けないその子を毎日迎えに行って一緒に登校していました。帰ってから遊ぶのも一緒。でもある日、その子の相手にすごく疲れてしまって、私もみんなと一緒にどうしても遊びたくなっちゃって……今日は家に帰るって嘘をついて、バイバイをしたんです。でも、今日はどうしてもダメなのって言ってもずっと彼女は私の家の前の壁のところに座り込んで私を待っている。凄くつらかったけど、私は振り切って、裏口から抜け出しました。それからほどなくして彼女が養護学校に転校しちゃったというのが私の中での次の記憶・・・・だからすごい罪の意識が今でもありますね。小学校時代の私の中のいちばんの痛みです。

 やっぱり「◯◯ちゃん係」とかいうのは作っちゃだめだと思う。

 教師としてはどうやったら「◯◯ちゃんとみんながやりとりできるのかな?」とか「人手に頼らず◯◯ちゃんに、わかって、やってもらうにはどうしたらいいかな?」とか考えないといけないだろうし。

 もちろんいろんな子との自然発生的なやりとりは(ネガティブなものでなければ)おおいに歓迎だけどね。もちろん「こうすれば◯◯ちゃんはひとりでできるから、手伝わないで待っててあげよう」なんてのも先生は周囲の子どもたちに伝えることも大事だろうし。

 このエントリを書く元になったTogetterまとめ

自閉症(他障害でも)のお子さんに◯◯ちゃん係を作っちゃダメ




この記事へのコメント
> 教師としてはどうやったら「◯◯ちゃんとみんながやりとりできるのかな?」とか「人手に頼らず◯◯ちゃんに、わかって、やってもらうにはどうしたらいいかな?」とか考えないといけないだろうし。

 こう言えちゃうのは、障害児教育にかかわったからだと思いますよ。普通学校の先生になるためにそのような知識技能は必須とされていないのですから。むしろ普通は「感動体験」的になって仕方ないと思います。
 私とkingstoneさんの一番の違いはここです。kingstoneさんは「こうならなきゃあかん」と考え行動する。私は「仕方ないよね。さて、どういたしましょうか」と策略する。この先生はたぶん「善意」で行っているわけです。その「善意」を否定したどんな助言に耳を傾けるでしょうか。また「◯◯ちゃんとみんながやりとりできる」かの方策を示すことができないスキルの教員なら「◯◯ちゃん係」の方がまだ有効かもしれません。
 kingstoneさんに限らず「頭の回る」人は「自分ができたのだから他人もできるはず」って考えるんですよね。それ。無理ですから。
Posted by もずらいと at 2011年09月15日 22:09
もずらいとさん、どうもです。

|こう言えちゃうのは、障害児教育にかかわったからだと思いますよ

そう。
で、私がここで頭に描いているのは、特別支援学級在籍で、通常学級に交流に行っているお子さんね。当然特別支援学級担任が通常学級担任や、通常学級の周囲の子どもたちにある程度のことを言える立場なわけ。それがやられずに、特別支援学級の担任が率先して「感動体験」と思っている。そら間違いや、っちゅう話です。

なんか特別支援学校でも、最近は「◯◯ちゃん係」的なものがある場合もあるらしい・・・(障害の程度がいろんな意味で重くない児童・生徒がたくさん来てるから)

Posted by kingstone at 2011年09月15日 22:36
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