この動画は1998年〜1999年頃のkingstoneの実践ビデオです。決して「良い例」ではなく、いろいろと試行錯誤をしています。
C君は表現の少ない(というか表現手段がわからない)、いつも眉間にしわをよせて不安そうな顔をしている自閉症のお子さんでした。口の中に唾をため出すこともできず飲むこともできず苦しそうにしていることもありました。
この動画は主としてC君の表現コミュニケーションの獲得の過程に関するものを集めています。
私は1996年4月に知的障害特別支援学校に異動したものの1997年末頃までの私はまだ自閉症の人にどう関われば良いのかわかっていませんでした。当時の学校の様子は
知的障害養護学校に異動した時
知的障害養護学校での違和感
給食の思い出1
特殊教育学会へ
C君とは1997年4月から同じクラス(学年)になりました。
給食の思い出3
これは1997年の秋頃ですね。この時食べさされようとしていたのはA君です。
撃沈
これはC君が相当に嫌がって食べている感じがする、しかし教師は「食べ!」と言ったり、スプーンを押し付けたり突っ込んだりして食べさせている。だから「残してもいい」という対応をクラス打ち合わせ(学年打ち合わせ)で提案した時のエピソードです。私は名目は「学年主担」(クラス主担)でしたが全然発言に重きは置かれていませんでした。
1997年10月25日・26日にあったTEACCHの2日間セミナーに行って、初めてTEACCHというものが少しわかりました。そしてその時私が強く感じたのは、「自閉症の人にも伝わる」「自閉症の人が自分で考え判断して行動する。それを信じていいんだ」ということです。それまではTEACCHのことが書かれた本を読んでも何もわかっていませんでした。
そして1997年の11月頃からC君と自立課題学習に取り組み始めます。本来その時間は「威嚇の上手な超ベテランさん」がC君の担当でしたが、頭を下げて担当させて頂きたい、とお願いしました。
2日間セミナーから帰って来て2
スケジュールや移動をひとりでできること、についてはまだ全然取り組めませんでした。C君は指差しや他人の動きを見て動いている状態でした。
TEACCHセミナー3回目
上のエントリには記憶違いがあって、2回目だったですね。こんな経緯(学校から追い出されてもいいから私の思う通りやらせてくれ)1998年9月からクラス(学年)全体を巻き込んで「自立課題学習」「スケジュール」「場所をわかるようにすること(構造化)」(これらは受容的コミュニケーションの力をつける、とも言える)「表現コミュニケーションの獲得」などに取り組んでいきます。
上の動画の最初は表現ではありませんが、「ひとりで掃除を開始する場所に移動する」映像です。もうだいぶいろいろわかるようになっている頃のものです。1999年2月23日のもの。
画面に出てくる上下白の服を着た先生から場所を示すカードをもらうと後は引っ張られもせず、他の指示を出されることもなくわかって進んでいきます。(逆に1998年9月以前は例えば「朝の会終了後体育館に行く」というのがわかってできていると思っていたのが、実は周囲の人を見てついて行ったり、教師の指差しや軽く押すなどで行けていたのだ、というのがわかってきます。それまでは「わかってできている」もんだとばかり思っていました。またたまに行き先のカードを渡すのを忘れた時に、すごく不安そうな表情でうろうろしだすのを見て、「わからなくて不安だったのだ」というのがわかりました。視覚支援をするまで私は気づくことができませんでした)
ここにある掃除の手順を見ることによって指示なしでひとりで掃除ができるうようになりました。ちなみにC君はこういう手順を使う以前は「さぼり」「なまけ」と思われ、「怖い顔」で「やれ!」と指示されていました。ただ単に「やることがわからない」だけだったのです。
このような「見てわかる」もので伝えてもらうことがあってこそ「見てわかる」もので伝えようとしてくれます。
次の映像は「自立課題学習」の手順を示すもの(ワークシステムの一部とも言えるし、子スケという言い方もできる)と、「掃除」の手順を示すものです。この「掃除」のところに先ほどのC君は行ったわけです。
次はC君に「自立課題学習が終わった時に教室に帰るかプリントをするか選んでもらおう」とした手順。「プリント」の写真とこの時「教室へ戻ってね」の意味で使っていたゴールドカード。1999年3月末に撮影。
これを始めた頃はC君には「選ぶ」ということはわかっていませんでした。ゴールドカードを持ってきて「じゃあC君、教室に行ってね」と押されて行き、プリントのほうをうらめしそうに見ている、なんてこともありました。
この取り組みでも本当にわかったかどうかはわかりませんが・・・しかし私たちは「選択活動」を取り入れていこうとはしていました。後ろに出てくる「注意喚起の授業」(肩とんとんの授業)でもプリントを2枚出してどちらをするか選んでもらっています。
1998年の9月から表現コミュニケーションの手段として名刺サイズのカードを使ってみました。しかし、全然使えるような気配もありませんでした。それまでC君には「指差し」という行動もほとんど見られませんでした。
1998年の11月。新人AさんがC君と「こそばしっこ(くすぐりっこ)」を楽しそうにしているのを見て「こそばして」「ギュッして」「やめて」のカードを作ってみました。これで初めて「カードを使うと自分にとっていいことが起こる」がわかったようです。その時のエピソード。
過去の記事116(こそばしっこにカードを使うのは? C君の意思表出)
なお、この議論をした時の新人Aさんの1月も経たないうちの心境の変化。通知票(あゆみ)を書いた時のエピソード。(通知票は12月初旬には文を書きますから)
過去の記事146(通知票の表現 うれしいことがありました)
そして1998年のクリスマスに初めて他の先生に向かって「トイレに行く」を使えたようです。
過去の記事170(クリスマスプレゼント C君の意思表出 A君のそうじ)
1999年の1月8日から「てつだってください」をつけてみました。1月14日に初めて自分から使えました。
過去の記事205(てつだってください C君の意思表出)
そして次の動画は、自立課題学習の時間にC君が寄ってきて、私の肩をとんとん(しようとしたけど、ほとんど私には触れてなかったみたいです)し、「てつだってください」のカードを見せる映像です。1999年1月28日。最初、私は気づいていません。
次は実際に使っていた名刺サイズのカードです。カードリングにとめています。最初は名刺サイズのカード1枚に1つだけ書いていたのが、いろいろできるようになったので2段に分けて書いたりしています。
そして「伝えられること」「伝えて欲しいこと」が増えてきたのでA6サイズのシステム手帳のコミュニケーションブックにしました。しかし今の私の目からすると「教師が言わせたいこと」がまだまだ多すぎ、「C君本人が言いたいこと」が少ないです。
次は1999年3月の注意喚起の授業です。コミュニケーションブックの伝えたい部分をつまみながら肩トントンをしてくれています。私以外の人にもできるようになりました。
プリントを2枚の中から選んでもらっているシーンもあります。このような取り組みの中でアイコンタクトや指指し(C君の場合は腕さし)が増えていきました。
次は1999年6月の給食風景です。コミュニケーションブックを使って「食べるよ」とか「おかわり」とか伝えていることがわかります。
しかしこの動画はたぶんC君が「これ食べてもいい?」みたいに尋ねてくるのを何とかしたいなあ、何かヒントはないかなあ、と思って撮影したのだと思います。
1998年3月まではここに映っているC君もBさんもスプーンを口に突っ込まれて食べていました。1998年9月からクラス(学年)の取り組みとして「スプーンを無理に突っ込まない」「食べたくないものは残すことができる」という取り組みを始めて10か月後です。C君に関しては「残します」の表現もしてもらえたらなあ、と取り組んでいます。給食関係はこちらにまとめています。
食器 給食指導・偏食指導のことを並べてみた
このように「表現する手段」「見てわかるもので伝えてもらう」をやっていたC君ですが、2001年度の担任(前年から担任。前年は私がいたので言えなかったのだと思う。通常中学から特別支援学校に異動して来て6年目。十分にベテランと周囲から見られる。校内でもリーダー的存在)が懇談会で「お母さん。社会に出たら視覚支援なんて無いの。やめましょう」と言ってすべての視覚支援を取り上げます。
なお2002年度から学校そのものが「写真などのスケジュール」を使い始めます。しかし、それは「好きでもないこと」を「やらせる」ものになっていたのではないかと私は勝手に推測しています。
こんな視覚支援では困る
そしてC君は「動けない人」になりました。
実は「見てわかる様々な支援をなくされたこと」と「動けない人」になったことの間に「科学的な因果関係」を証明しろ、と言われてもできません。
しかし本人が「やりたいこと(選択したこと)を表現できる」「それが実現できる」など、キモのところがわかっていなければどんなに「視覚支援」しているように見えてもそれは支援にはなっていません。
なお、ありがたいことに学校卒業後C君は日々良くなっているそうです。
私が特別支援教育担当教師や支援者に「もっと勉強してね」と言うのは「まちがい」なのでしょうか。「上から目線」なのでしょうか。
ご判断は動画を見られた方にお任せします。
昔、ATACで発表した時の資料が出てきました。PDFにしてA4で1枚にまとめています。
tesasi.pdf
テレビの「光とともに」の最終回みたいですね。視覚支援以外も取り組もうというのなら分かりますが「やめましょう」はすごいな。ただ、以前書いたと思いますが、構造化やTEACCHの手法でできることが増えた人が卒業後施設に行ったら、そんなものは用意されていなく、問題行動などが復活してしまい行政・施設・学校で話し合いを持つことになったそうで。で、行政と施設から「そんな学校の中だけで通用するような指導するからこうなるんだ。施設は指導者も学校よりはるかに少ないんだ」と「TEACCHなんてものをやるからいけない」という結論になったという日本特殊教育学会の大会発表を見たことがあります。
構造化を講じればむしろ施設側も楽になるはずですが、導入のための初期コストを時間的・マンパワー的・金銭的にまかなうゆとりがないのだろうなぁとは感じます。「必ず成功する」という保障は、確かにないですからね。
> なお2002年度から学校そのものが「写真などのスケジュール」を使い始めます。しかし、それは「好きでもないこと」を「やらせる」ものになっていたのではないかと私は勝手に推測しています。
指示のための絵カード、指示のためのスケジュールはむしろ標準化しているのではないかと思うくらい広がっています。10年以上前ですが、アメリカのシンボルを使った授業では「次の授業を受けたい?」に「Yes」「No」が用意されていて「No」を選んだら本当にうけなくて良い、それは自己決定だ。それで「実は次の授業では後半にパーティーがあって軽食を食べられるけど、授業を受けない人はその恩恵にあずかれない」といった不利益を被ってもそれは自己責任だという話を伺いました。私はそのような文化を背負っていない日本でTEACCHは無理だろうなと思ったものです。「選択」がことさら重視されるのは「自己決定」と一体の「自己責任」が重視というより絶対視される文化だからだろうと思います。
ですから10年以上前から「日本で絵カードはまず間違いなく指示のための手段として普及するだろうなぁ」と予想していました。最初のうちは自閉症児もその方が楽ですからね。選ばなくて良いのだから。
> しかし本人が「やりたいこと(選択したこと)を表現できる」「それが実現できる」など、キモのところがわかっていなければどんなに「視覚支援」しているように見えてもそれは支援にはなっていません。
まぁ「視覚指示」ですね。「危険」といろいろ言うより赤くて大きな「×」の方が分かりやすいといった。
> 私が特別支援教育担当教師や支援者に「もっと勉強してね」と言うのは「まちがい」なのでしょうか。「上から目線」なのでしょうか。
「もっと勉強してね」と言うのは「まちがい」でしょうね。なぜなら言葉の意味が大雑把すぎます。本人にとって見れば「すっごく」勉強しているつもりかもしれません。「暴力と威圧でこれだけ効果が上がった」という勉強を「もっと」されても困るかと思います。また、基礎基本や常識、応用力、優先順位などを持ち合わせていないで「もっと勉強」しても、すればするほど間違った方向に行くという教員を何人も見てきました。
選択行動ひとつ取っても、弁別移行学習の知識があるとないとでは実践がよほど変わってきます。
ですから、もし言うのなら「ちゃんと勉強してね。ちなみにちゃんとの内容は○○、△△、□□...」と列挙することでしょうね。
|導入のための初期コストを時間的・マンパワー的・金銭的にまかなうゆとりがないのだろうなぁとは感じます
初期コストをクリアすると、後は継続的に楽になると思うのですけどね。
|「選択」がことさら重視されるのは「自己決定」と一体の「自己責任」が重視というより絶対視される文化だからだろうと思います。
これは日本の場合、軽視されすぎてる部分があるのかもしれません。
|「もっと勉強」しても、すればするほど間違った方向に行く
むむむ・・・そうでないことを願いたいが・・・