で、思ったのが、「重度です」「◯◯ができません」とかいう話をお聞きすることが多いのですが、まあそれはそれで置いておいて、そのままいろいろ質問したり、本人さんの動きを見たりしていたら、
「ああ、□□はできますね」
「△△はわかってはりますね」
と私が言うことが結構多いです。ほんまそこに本人さんがいなくても、親御さんからの話だけでも。で親御さんが
「あれ?ほんまや・・・そこはできてるんや」
と気づかれる、みたいな。
ひょっとしてこれは私の「才能」?「能力」?
でもなあ「私の持って生まれたまま持っている力」ってわけでもない気がする。肢体不自由特別支援学校では、本当に意思がわかりにくい、また随意的な(意図した)動きの少ないお子さんとつきあってきたらか、どこが随意的に動かせるか必死に探さないといけなかったから、「いいところ」を探すクセがついた、というところはあると思う。
またどんな事例があるのか、っていう知識、それはどんなグッズで実現されているのか、っていう知識も必要になる。で、そんな知識が増えれば、より細かいお子さんの動きがわかるようになる。
だから知識・技術で伝えられるもののような気がするなあ。でそれは「訓練」で伸ばすことのできる力。特別支援教育担当教師に対する「訓練」は必要やと思うなあ。
特別支援学級で在籍数は増えるのに人手もお金も増えない場合
ラベル:アセスメント 表現