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 あくまでも、私個人の意見です。

2011年07月16日

トットチャンネル 黒柳徹子著 2



 前回の「トットチャンネル 黒柳徹子著 レディー・ガガの動画も」の続き。

 周囲から「ヘン」「普通に」とか言われ、心がくじけそうに(?)なっていた黒柳徹子さん。「ヤン坊・ニン坊・トン坊」のオーデションを受けます。自信などなかったけれど通ってしまう。その時の原作者、飯沢匡さんとのやりとり。

「このかたが、作者の飯沢匡先生ですよ」
 と、トットに紹介してくれたとき、トットは、おじぎをするなり、必死で、いった。
「私、日本語が、ヘンですから、直します。歌も下手ですから、勉強します。しゃべりかたも、ちゃんと、しますから」
 そのとき、飯沢先生が、いって下さったことを、トットは、そのあと、何度も、何度も、思い出した。だって、そんなこと、NHKで、誰一人、いってくれたことが、なかったから。飯沢先生は、にこにこ、しながら、こういったのだった。
「直しちゃ、いけません。あなたの、その、しゃべりかたが、いいんですから。ヘンじゃありません。いいですか? 直すんじゃありませんよ。そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それが、僕たちに、必要なんですから。大丈夫!心配しないで!」
 ……それまで、トットの"個性"というものは、みんなの邪魔だった。
「君の、その個性、なんとか、なりませんか。ひっこめて、もらえないかねえ」と、いわれ続けてきた。「ひっこめて」と言われても、どうしたらいいのか、トットには、わからなかった。でも、とにかく、
(ふつうの人のように、どうしたら、なれるかしら?)と、つとめて来た。それなのに、飯沢先生は、
「そのままで、いて下さい」と、いって下さった。トットは、急には信じられなかった。でも、胸の底から、うれしさが、こみあげて来た。たった一人でもいい、トットの個性を、必要とする人に、逢えたんだもの。


 まあ当時、失敗ばかりしている本当に自信がない黒柳さんですけど、周囲の人からは「輝いて」見えていたということです。案外そんなものかもしれません。

 ところで、ここからは枝葉末節。

 当時の撮影では俳優の立つ位置はたいていチョークで足型なりバッテンが描かれた。(視覚支援)

 昭和28年だか29年のアメリカで放送を勉強してきた永山弘のNHKでの講義の中でたくさんの英語(?)が伝えられた。
稽古「リハーサル」
演出家「ディレクター」
お化粧「メーキャップ」
稽古や本番の日程とか、時間割「スケジュール」

 で、ここでスケジュールという言葉が使い始められたとか。

posted by kingstone at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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