遅延性のエコラリアはたくさんあるけれど機能的な音声言語(場に合い、要求など具体的に役に立つ表現)の少ないA君に機能的な表現コミュニケーションを身につけてもらおうと、「大好きなプリント」学習の場面でVOCA(音声表出意思伝達補助装置)を使って「もっとやりたい」を表現してもらったもの
なお、A君が耳を押さえているのは、校内放送で彼にとって不快な音楽が流れているからです。まあ「年齢相応」でもない曲やなあ、と思いますね。この曲で苦しんでいるのは彼だけでは無かったと思います。当時、私はそこまで気づいていませんでしたが。
この時の授業は少なくとも1対3でやっていますね。そして手持ちカメラで撮影しています。
これ以前、機能的な音声言語(?)としては「トイレ」と言ったことがある、程度。それもいつも言ってたわけではありません。
しかし、A君は五味太郎さんの本などを読んで、何かその場に合った絶妙の遅延性エコラリアを言ったりもしていましたし、こんなこともありました。(どこかで書いたと思っていたのだけど、検索で探し出せないので改めて書きます)
たぶん1997年。みんな体育館にいました。A君は体育館の壁にもたれ「学校なんていらなあい。◯◯養護なんていらなあい」と少し苦しめの顔で言い続けていました。私はそれを聞いてショックを受け、この先生はわかってくれるだろうとある先生(威嚇と暴力は大嫌いで、特別支援教育にも造詣の深い先生)に告げたところ、もちろん私を励まそうとしてのことだとは思いますが「自閉症の子はわけのわからないことを言うことがあるからね」とおっしゃいました。
ああ、そういうふうに考えはるのだなあ、と思いました。まあ、その学校で最高に素晴らしい先生でもそうなのですから、ほんと周囲の先生にはまともには「相談」できないなあ、と思いました。
その頃はA君は教師からイジメと言っても良い「指導」を多々受けていたと思います。
このビデオの頃の記録があるので、こちらに転載します。
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97年7月
今日、A君とVOCA(Voice Output Comunication Aid)を使ってみました。
今回はメッセージメイト40/20を使いました。これはスイッチを1,2,5,20個のいずれかに設定できるのがいいですね。スピークイージーだと12個固定ですから。
スイッチを5個に設定し、左から「かんたん」「もっとやりたい」「もうやめたいよ」「わかりません」「むつかしい」と言葉と絵を入れておきました。
A君はトイレに行きたい時は「トイレ」と言ってくれますが、他の時は自らの要求や、感想なんかは言葉を発声してはほとんど答えてくれません。
さて、教室に持って入るとA君はいきなりメッセージメイトに興味を持ちました。そこで机の上に置いてあげると、ニコニコしながらスイッチを押しまくります。ひとつひとつの言葉の説明というか条件づけというか、そーゆーことは今まで一切していないわけですから「こりゃあかんのじゃないか」と不安がよぎりました。
いつものように、パズルをします。できたあとメッセージメイトを出すとやはり全部スイッチを押して行きます・・・・むむむむ
トランプ並べ。その後メッセージメイト・・・やっぱり全部押します。
さてプリント。これは彼が簡単にできてるやつです。でこちらが大きな○を書いて「よくできました」などと言ってると次のプリントの方を見て「やりたそう」に見てるんですね。1枚目ができて○をつけた後、メッセージメイトを出すとA君は迷わず「もっとやりたい」を押しました!他のスイッチを押そうともしません。
で、プリントを5枚ほどやったんですが、ずっと同じやりとりが続きました。
私もすごく嬉しかったし彼もニコニコしていました。 もっといろんなこと
に利用できるかもしれません。いろいろそ考えないと・・・
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98年3月
いろいろ考えないと、と言いながら、なかなか新しいアイデアが出ませんでした。彼がプリントをやっているのを見ていて「いつもはできたらこっちが「できたね」とか言いながら丸をつけているけれど、彼に「できたよ」と言ってもらえたらどうだろうか」と思いつきました。
そこで急遽一番左はしに「できたよ」という声を入れて字も書きました。で一度だけ彼に「ここに「できたよ」というのを入れたよ」と言いながらメッセージメイトを見せておきました。(できたらここを押すんだよ、と言ったかなあ・・・忘れた)
彼がプリントができた時に私は横で知らん顔をして別の作業をしていました。そしたら「できたよ」を押します。で私の丸つけが終わるのを見て「もっとやりたい」を押します。
嬉しいな。もっといろいろ形や場面を変えて使えたらって思います。
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98年5月
メッセージメイトのバッテリーが上がっていました。そこでメッセージメイトが無いままにプリントの場面に来てしまいました。で、彼がやりたそうに見ているのに、ちょっと知らん顔をしていると「もっとやりたい」と声に出していいました。で、プリントができても知らん顔をしていると「できたよ」と言いました。
でも、こうなってくると「もっとやりたい」という言葉は不適切やなあ。
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ちなみに、VOCAを使ってみたのはまったくの思いつきです。先の見通しなど全然ないままに使ってみただけです。
もちろん、その背後にはオタク的な知識の集積と、オタク的なグッズ収集癖があったわけですが。しかし、例えば特別支援学校の教師全員がそんな知識やコレクションを持つ必要は全然ありません。ただ一人くらいは欲しいところです。で、他の先生は「こんな授業をしたい」「こんな表現ができるようになったらいいな」と問題を出してくれれば「じゃあ、これとこれを使ってこんな授業をしたらいいんだよ」と答えてあげられればいい。それだけのことです。
ここで使っているメッセージメイトも、肢体不自由特別支援学校時代、肢体不自由児の表現コミュニケーションを1スイッチでできるようにするために、11〜12万円の物を自腹で購入して持っていたものです。
自閉症の人へのVOCAの利用については1995年に香川県高松市で行われたAACセミナーにて坂井聡先生が自閉症の生徒に使わせてみたところ、それで表現できるようになっただけでなく音声言語でも言えるようになった、という事例発表を聞いたのが最初です。(この時、私は「肢体不自由養護学校でのVOCAの利用」で発表した)
この時は会場から「音声言語が使えるようになったのはたまたまであり、VOCAを使えば音声言語が出るようになる、と主張しているように取られては危険である」というご意見が出ました。当然ですね。また坂井先生もそう主張しはったわけではありません。
しかし、A君も結局は同じ道を通って機能的な音声言語の獲得(?)に至りました。私は別にそれは全然ねらってないことでしたが。そしてまた、もう今2011年ではそんな例は山ほどあると思います。「自閉症児と絵カードでコミュニケーション PECSとAAC アンディ・ボンディ他著」の中でも
「これらをまとめると、AACの適用によって話す能力の発達に悪影響があったり抑制されるといった証拠はなく、よい影響を示す研究結果が増えていると言えます。」
例に出ているのは Layton & Watson,1995。
と書かれています。
それからA君の音声言語獲得もVOCA以外にも「書いて伝えること」「カードやコミュニケーションブックをこころ覚え(リマインダー)として使い、音声言語で表現する」など、いろいろなことをやりました。だからこそ、飛躍的に伸びたのです。
ただし、ここで確認しておきたいのは、あくまでも音声言語はおまけであるということ。人によっては音声言語は出ないことはあるし、それで全然構わないわけです。音声言語以外の代替のコミュニケーション手段で周囲とコミュニケーションできればいいだけですから。
まあ、いずれの方法を取るにせよ、「(自発的表現を)待つ」というのはいずれにしても必要です。私はこの「待つ」というのは、まずカウンセリングから学びました。相手が自発表現をするまで結構、待ちます。積極的傾聴・共感的理解なのですから。もちろん、様々な形でつっつくことはしますが。
で、その後学んだインリアルだって同じだと思います。基本的態度であるSOUL
Silence(静かに見守ること)
Observation(よく観察すること)
Understanding(深く理解すること)
Listening(耳を傾けること)
カウンセリングと同じじゃん。
AACはそもそも「本人からの自発的なコミュニケーションをできる方法でやろう」だから待つもクソもなく、もうそのもの。
応用行動分析だって「ディレイをかける」て言うし、TEACCHでも同じ。
そして、そもそも「本人の選択」を大事にしようとするはず。私にとっては全然別のものに思えないし、互いへの批判的な議論って、そこがわからずに非常にレベルの低いところで行われていることが多いような気がします。だからあほらしいのでそういう議論には参加しません。(めっちゃ上から目線やなあ・・・)
まあ、「カウンセリングで何でも治る(自閉症も!!)」とか「応用行動分析でどんな行動も身につけさせることができる」とか「TEACCHは無敵」とかあほなことを言う馬鹿がいたのは事実だから、そこらへんはちゃんと見ておかないといけませんが。
まあ話があっちゃこっちゃしましたが、A君の機能的な音声言語は飛躍的に伸びたわけです。
しかし、1999年4月に異動してきたベテランさんが担任になりました。この先生は決して威嚇や暴力は使わない先生でした。優しく声かけし、スキンシップが大好きで、子どもたちを振り回して遊ぶのが大好きな先生。もちろん子どもたちも大好きです。(「子どもを一本背負いできなくなったら教師を辞める」とおっしゃっていました。)
「見てわかるもの」で伝えたり、音声言語以外の代替手段で表現させようとは一切してはりませんでした。そういうあれこれを使う私にひどく反発を感じておられたそうです。
最初は反発していたけど・・・
だから、私が引き継いだあれこれはまったくやって下さらなくなって、機能的な音声言語はどんどん無くなり、またそれ以前におさまっていた(おさめていた)「問題行動」が頻発します。それに対して、私は丁寧ににいろいろな文書を出して何とかしていこうとしていたのですが。例えばこういうふうに。
何かがおかしい?(A君の音声言語表現について)
大昔の話です。
知的障害養護学校4年目の5月下旬のニュースレターまで見て頂きましたが、この頃、私は前年と比べて何かがおかしいと感じ始めてい
ます。
まあ実のところ、私のうつ傾向ゆえか例年5月病になっていたので、それかな、とも思いました。しかし、やはりおかしい。
周囲はみなさんベテランで、子どもたちにも優しく声かけをし、うまくいっているはずなのに・・・何か子どもたちも落ち着かないし・
・・
そうこうしているうちにある日お会いしたA君のお母さんが私に、「最近、言葉の増えていたAがしゃべらなくなってきて・・・」と
何気なくおっしゃいました。A君は3年目2学期からの取り組みで、ずいぶん自発的な音声の表現コミュニケーションが増えて来たお子
さんでした。得心できるものがありました。
全体に、優しい声かけで指示はするけれど、本人が自立的にわかってできる支援ができていなかったのだなと。その時、作って配布した
のが以下のものです。
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A君の音声言語表現について
kingstone
A君は、特に受容的コミュニケーション(指示を受け取る)の場合、音声言語をかなり道具として使うことができます。太田のステージで言うとLDTの結果は3−2です。
さてしかし、表現性コミュニケーション(自ら進んで表現し相手に伝えようとする)は弱い部分があります。
まず人に対して表現の開始がしにくい、というところがあります。その結果、人に言うよりは自分でやっちゃえ、という直接行動になり
がちです。
次に、表現しても、指さしか「ツツ」という言葉が多く適切な言葉になりにくいということがあります。
昨年度は、表現性のコミュニケーションを増やすためにこんな取り組みをしました。
1.【状況】Hand Writing の時にペンの必要な状況で、ペンを直接取ろうとする。
【対応】取ろうとしても取らせて上げない。取れない状況を作る。
カードに「ペン下さい」と書いておいて、あらかじめ見せておいた。
【結果】(カードを見ないで)「ペン下さい」と言うようになった。
2.【状況】お菓子でコミュニケーションの時間。
最初は欲しいおやつや飲み物を指さし、時により「ツツ」と言っていた。
かなり常同行動的なものがでる時間が多かった。
【対応】机の上に「ポテトチップス」「コアラのマーチ」「おちゃ」「ジュース」と書いた紙を貼った。
【結果】「ポテトチップス下さい」「コアラのマーチ下さい」とすぐに言えるようになった。
「お菓子でコミニュケーション」の時には常同的な動きがほとんど無くなった。
3.【状況】給食後、中島みゆきのCDを聞きたい時、
「なかじまみゆきください」とB先生に要求する場合。
【対応】先生の顔写真に名前を書いたものをカードにして持たせる。
B先生は「誰に言うとん?」と言って自分の鼻を指す。
【結果】するとA君は「し・・・(たぶん、Aせんせ、と言おうとした)」
と言いかけてカードの写真を確認し
「Bせんせ、なかじまみゆきください」と言う。
これは2回目からカードを見なくていいようになった。
4.【状況】欠席した友達の名前を言う(これはつい先日です)
出席調べの時先生が「おやすみは誰ですか?」と尋ねる。
音声言語では答えられない。
【対応】手帳の中の友達みんなの写真を示す。
写真の横には「○○君」と名字だけ書いてある。
【結果】「○○△△君」とフルネームで答える。
次の時は写真なしで言えた。
それぞれ視覚的な支援を使っています。まあいろんな状況で適切な視覚支援を考えるのはなかなかたいへんかもしれませんが、一度作ればずっと使えるものも多いです。
また1番目と3番目の心覚えとしてのカードの使い方のように、一度わかってしまうともう使わなくていい、ということもあります。(でも持っていた方が心強かったりすると思う)
こちらも、いろんな場面を考えて日常的に取り組んでいると他の場面でも音声言語を使うことが増えるようです。逆についそういう状況を作らないでおくと、他の場面での音声言語の使用も減るようです。
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この資料は残念ながら意味は理解して頂けなかったようです。
というふうにして、A君の機能的な音声言語は無くなっていきました。
なお、異動してきたベテランの先生が「見てわかるものの大切さ」を本当にお腹の底から理解されたのは
卒業式の練習5
卒業式練習でのA君への対応への質問と回答
そして私が異動した後、担当していた先生(「自閉症の子はわけのわからないことを言うことがあるからね」とおっしゃった先生)から「最近A君は(私たちの作った教育環境によって)ことば(機能的な音声言語)が増えたよ」と教えてもらったので、私は「へえ、そんなこともあるもんなんだ」と思って、他の方にもそう紹介してきました。しかし、先日10年ぶりにA君に会ってみてよくわかりました。
基本的に遅延性のエコラリアであって、それがたまたま場に合っていただけ(と言っても、それもすごく大切なことだし、たくさんのことを教えてくれるのですが)で、少しも機能的な音声言語が増えたわけじゃないんだ、というのがよくわかりました。それは遅くとも小学部の4年生ではできていたこと。別にその先生がおっしゃった当時に「獲得できた」ことじゃないこと。
まあ・・・機能的な音声言語が獲得できることがいいことか悪いことかもよくわかりません。機能的な音声言語を獲得することによって「この人は音声言語がわかるんだ」と誤解され、「見てわかるもの」を外され、「わかっているのにやらない」と叱責され・・・ということを助長するだけなら、そんなものできなくてもいい。しかし・・・できなくったって同じような誤解や叱責を受けるなら、どっちにしても一緒か・・・
なお、私はA君が「音声言語が理解できない」と考えていたわけではありません。例えば
自閉症のお子さんとの自立課題学習と1対1の学習1999年1月長編
の1対1の学習の中では「アンパンマンカルタ」を一緒にやっています。その時、私は、字を一切見せず、音声言語のみで「たびをつづけるおふたりさん」と読み上げ、A君は絵札を見、そこに書かれた一字を最初に出てきた音声から判断して取っています。この程度のことはA君は楽しんでできるし、カルタを楽しめたら(これは「普通」のカルタのやり方です)と思って、こんなことをやっていたわけです。