2009年12月発行。著者は脳性マヒ当事者。東大医学部を出て小児科医。歩行は不可能みたい。こんな方です。
めっちゃ面白かったです。特別支援教育に携わる方は必読やと思います。特に肢体不自由特別支援学校に勤務する人には読むことが義務ですらあるのじゃないかな。
1977年生まれ。生まれた時からの脳性マヒで小さな頃から「訓練」づけの日々を過ごします。で、その受けてこられた「訓練」の名前は書いていないけれどいやはやなんとなく動作法やな。トレーナーとトレーニーと呼ぶとか、トレーナーからの声かけで身体をさわり姿勢をとらせながら「ちがう!」とか言うってとこも・・・他にも「ダメ!」とか言うトレーナー多かった。私はそれ言えなくて「そうよ、そうよ」「上手」「できたね」「がんばったね」とかしか使えなかったけどね。(私は「がんばれ」は使えなかった。あくまで「がんばったね」)これは私の感覚が鈍かったのかもしれない。つまり「ちがう」とか「だめ」とか言う筋肉の緊張や動きを私は感じ取る能力が無かった、という言い方もできると思います。それから、はなから「うまくできるところだけ見ていこう」という態度であったのかもしれません。無自覚的でしたが。
でね、1977年という熊谷さんの生まれ年で気づくことがあります。彼は毎年九州まで「訓練キャンプ」に行ってたみたい。ひょっとして私、同じ場にいたかもしれない・・・担当のお子さんは違いましたが。相手のお子さんの名前は忘れましたが顔は覚えているので。「私と動作法4」の時のことです。
熊谷さんは「訓練」の経過を「1回のセッションの流れ」としてか「1週間キャンプの流れ」としてか3段階に分けています。
A.ほどきつつ拾い合う関係
B.まなざし/まなざされる関係
C.加害/被害関係
これね、もちろんその時その時で違うだろうけど、A.で例えばストレッチとかで強い緊張を圧倒的な強いしかし優しく包みこむような力で伸ばしてくれる。そして最後にふっと力が抜け弛緩して伸びる。でこの時は気持ちいいというか楽なんだよね。
ところがその後B.になる。「この子は障害児だ」「健常な動きはこうだ」というまなざしでトレーナーが見、トレーニーが見られる関係。しかしトレーナーの望んだ動きはできない。そのギャップにつらくなる。
そしてC.端的に「痛く」「うまくもできない」加害と被害の関係。
いやあA.がなくてB.C.だけとかC.だけという人もいるもんなあ・・・
またA.を目指しているのに失敗することもある。って私ですが。
私と動作法3で書いたように、A.をねらってて子どもの足を骨折させてしまったことがあります。
A→B→Cと進んでいくのは「そりゃそのトレーナーが下手くそやから」と言うご意見もあるかもしれませんが、現在は知りませんが当時のシステムで育てられた多くのスーパーバイザーやトレーナーはそうなってしまってたと思います。そうやなあ、私の見た中でS先生だけは違ってたけどな。「私と動作法1」
またキャンプに参加する「偽善的な女子大生」や著者がキャンプ中に母と一緒に女風呂に入った時にいた「若いピチピチとした、しかしものすごく嫌な(たぶん著者の性器を笑ったのじゃないか)女性二人」とかの思い出についても書かれています。
この本の中の熊谷さんの実感を言葉にした部分がめちゃ面白く参考になるのですが、脳性まひリハビリテーションんに関しての戦後史をまとめてくれてはるので少し。
第1期 黎明期
手術VS理学療法 なんでも手術でなおそうというそれこそ「神様」と呼ばれるような外科医(和田博夫)が手術派。で理学療法士の田中豊が「整形外科手術には限界がある。理学療法としての全身の調整以外に治療法は無い」を主張。著者は和田の手術を受けた者の中にも、障害がかえって重くなったという告発が少なからずあることに注意喚起。
1957年に光明養護学校の卒業生から「青い芝の会」が生まれる。自立生活運動を展開していった。
アメリカの障害受容論について
特に中途障害者についての研究やね。事故などで急に障害を持つようになったとき
「怒り」→「悲しみ」→「受容」→「前向きに生きる(適応)」みたいなことやと思うのだけど。で著者は「必ずしも適応に至らない人がいる」ことに注意喚起。
第2期 根治への熱狂 1970年初期からの神経発達学的なアプローチ。具体的にはボイター・ボバース。(ついでにドーマンも入るんじゃないか?一緒にすると怒る人いるかもだけど)で、たぶん動作法もここに入ってくるのじゃないかな。ボバースについては「最新の知見をもとに、理論と治療テクニックを常に更新し続けた」とあって、しかしそれは一貫性の欠如ともなっている、とのことです。
で、この時代のマスコミは「治る」と煽り、それに翻弄された親子がいる、と。
しかし「科学的根拠」の医学の時代になり(エビデンス・ベースド・メディシン EBM ですね)治療効果を見た時に十分な科学的根拠が無いことがあきらかになった、と。
現在、根拠がほぼ確立されている介入法としては、「痙性を増加させることなく、筋力を増強する漸増的抵抗筋カトレーニング」「バランス能力の向上、骨密度の増加、筋緊張の減少をもたらす姿勢バランストレーニング」「関節可動域を改善させ、痙性を減少させうる持続的ストレッテング」などに限られる。
第3期 身体から社会へ
1980年代になってから上田らによって障害受容論が取り入れられた。
しかし「障害受容」という概念の現場での運用のされ方には問題も多かった。
作業療法士の田島明子は「障害受容」という言葉が、日本のリハビリの現場でどのように使用されているかについて指摘している。田島によれば、クライエントが「機能回復に対する固執」を見せたときと、「(復職支援などの際に)自分の能力や適性に対する認識が(セラピスト側から見て)適切ではなく、過剰な期待を表明されるようなとき」の二つに、セラピストはそのクライエントのことを「障害受容ができていない」と表現するという。
その背後には、リハビリの初期には正常な身体を目指す「回復アプローテ」がなされ、やがて回復に行き詰まりが見られるようになると、身体の正常化はあきらめて自立的な生活が目指される「代償アプローチ」へと路線変更される現場の都合があるという。その路線変更に適応してもらうために、障害受容という課題がクライエントに与えられることになる。言わば、セラピスト中心の手続きにクライエントを過剰適応させ、御しやすくするための方便として「障害受容」という言葉が使われるのである。
ああ、ここ、まあむつかしいとこやけどようわかるな。しかし、そうやなあ、これsyunさんがいつも言ってる「中途障害者」の場合やな。もともとの障害のある人ってはなから「機能回復に対する固執」は持ってないことが多いしね。で、これが親の場合は「子どもをなんとか機能回復(?!)させたい」という固執になることもある。それをして専門家が「あの親は障害受容ができていない」という場合があんねんけど、いやそうかもしれんけど、じゃあその専門家は障害受容ができているのか?っつう問題があるわな。つまりなんつーか「より健常に近づくモデル」みたいなのが頭にあって、そこに近づけようとしてないか。
ふ〜〜む、はっきり言うて受容なんて言葉、難しいし、私ゃどっちゃでもええやん、って思うほうではある。で、とにかく何か問題があれば解決していこう、と。で、その手立てとしては環境を整えよう、ということやけどね。でもってそうやってるとお子さん(大人でもやけど)落ち着いて暮らせたり、場合によっては自分のやりたいことをやったりして「能力が伸びたように見える」こともあるけど、それは別段本人さんが変わったわけではない。う〜〜ん、私だって「適応」を目指していることには違いは無いのだけど。
で、たぶん私は「療育」という言葉と同じく「受容」という言葉もこちらからは使わなくなっています。ずいぶん前にTogetterで「障害と受容(よく言われる受容についてのあれこれ)」ってのをまとめてますが、これも相手の方が「受容」という言葉をお使いになったからでね。(私は相手の方が使いはった場合は、私が使わない言葉でも使うことがあります)
で、「受容」なんて誰かが誰か他人に「しろ」って言えるもんじゃないと思うし。
でも私も「受容の強要」なんてことしてないか、って言われるとそんなことは無いかもしれない。先日来、何組かの親御さんと電話で話をしたのだけど「おたくのお子さん、大きくなっても自由自在に音声言語で理解したり伝えたりはできないよ」ってどの方にも言ったもんな。
「診断名」は別。私は医師ではないし、電話で話をしただけでわかるわけないもん。こちらから「診断名」を出すことはしない。それはお医者様の仕事。私は手持ちの情報の中で、少なくとも私の体験してきたことを伝え、で「じゃあどうしたらいいかな」を伝えるだけ。親御さんが診断名を知っておろうが知るまいが「ここ困ってるでしょ。じゃあこうしたらいいかな」を伝えるだけ。あと「こんなふうに学校や施設や制度を使ったらいいかもしれない」とか。
でもっていろんな人から「そんな学校無い」「そんな施設ない」「そんな先生おらへん」「そんなシステム無い」とか言われるわけやけど、そんなら作ったらええやん、と思うだけ。もちろんお手伝いをする気は十分ある。(私がセラピストになってその子の力を伸ばします、なんて言わないし、できるわけないじゃんですけどね)
もちろん電話だけでは伝えられないから(視覚支援が音声言語で伝えられるわけがない)本当に具体的なことは会わないことには何とも伝えられない場合が多いけど。
そういう意味では「受容」なのかどうなのかわからないけど、周囲の教師とか見ていて「あきらめる所」と「あきらめちゃいけない所」が全然一致してなくてよく困りました。
少なくとも「受容できなきゃ訓練(療育)進みませんよ」なんて脅すためにある言葉じゃない。
国際障害者年によるアメリカ型自立生活運動の輸入
全国自立生活センター協議会(JIL)が発足したのは1991年。
当事者運動とリハビリテーションの合流
1989年 自立生活問題研究全国集会(のちに自立生活研究全国集会)
2001年WHOで採択された「国際生活機能分類(ICF)」syunさんがセミナーなんかで説明するやつね。
でやね、
ダイナミックシステム理論の提唱
そのような背景の中で、リハビリの介入ポイントも、機能と構造 functoion and structure レベルから、徐々に活動 activities レベル、そして参加 participation レベルについて焦点が移っていった。最近は、子どもとその家族が、彼ら自身のゴールも自ら設定し、家族のニーズに基づいてそのプログラムを指揮する「家族中心機能訓練 family-centered functional therapy」「機能的治療プログラムfunctional therapy program」「生態学的アプローチecological approach」などと呼ばれるアプローチが注目されつつある。
これらのアプローチが準拠する理論は、ダイナミックシステム理論と呼ばれるものである。これは近年、神経成熟理論に替わって発達のプロセスを説明するものとして提唱されているもので、意欲や脳、体重、関節可動域、筋力などの内部条件、重力などさまざまな外部条件、課題の特性などの多くの「サブシステム」の相互作用によって、課題や状況に応じた行動が形成されるとする理論である。各々のサブシステムを変更することで、最も効率的な運動行動を達成する可能性があると考えられており、正常運動パターンを引き出すという従来の訓練法と違い、本人にかかわる条件や外部条件を変容させることや現実の行動の文脈での繰り返しの実践が重要視される。まだ十分な科学的根拠が確立しているとは言い難いが、「ボバース法、ボイタ法を行った場合とを比較し、有意に有効な結果を得た」との報告もある。
この文章を一読しての印象。なんかめちゃめちゃ怪しい代替療法の説明とか、マルチ商法の新しいやり方の説明みたい。
でも簡単に言やあ、そりゃ本人のできることと周りの環境設定でうまいことやっていきましょ、ってことなんか?それやったら納得やけど。この中で私は「生態学的アプローチecological approach」だけは耳で聞いたことがあり、それは「いやあ調べつくそう思てもそんなんでけへん。わかったるあれとこれ、まわりの環境、いろいろ調べるだけは調べてまあうまいことやっていきましょ」というもんやと聞いていたのだけど、ちょっと違うのかな?
で、熊谷さんは
第4期 熱狂再燃の気配
ってことで
またそれ以上に心配なのは、脳性まひという身体を「克服すべきもの」として捉え、それを克服することに情熱を燃やすという同化的な考え方である。
と危惧されています。また
脳科学の進歩をいかに実践へと展開するかというときに欠くことができないのは、自らの技法の効果を吟味しようという科学的態度と、身体と動きについての多様性を認める寛容で柔軟な態度の二つだといえよう。
と書かれています。これ肢体不自由だけちゃうわな。知的障害もやな。脳科学が進んだとしても未だ脳を「変える」ことには成功していないし、別に「変えんでええ」わけやし。多様な脳のあり方でええんやしね。正しい脳があるわけじゃない。
いかん、いかん。「熊谷さんの実感が面白い」と言いながら、ついつい「理屈」を紹介してしまってるな。
規範・緊張・官能 って言葉も使ってはりますね。
この場合は「健常児の動き」が規範でそれを脳内でイメージとして浮かべ、それに近づこうとして緊張して余計にできなくなり、そこで敗北してでそこにえもいわれぬ官能が生まれることがある、ってまとめちゃっていいと思うのですが。で、それが他者に拾われる必要がある、ってことなんですが。
で、熊谷さんが大学進学を期に、一人暮らしをはじめたところからがめちゃくちゃ面白い。
両親は1人暮らしを始める前に、一年間休学をして関東近辺のリハビリ施設で訓練をしたらどうかと提案した。しかし私はその提案に乗れなかった。もうすでに、何年間もリハビリをやってきたではないか。あともう一年それを続けることに、どれほどの意味があるというのだろう。
「いつか他の人と同じように社会の中で暮らすために、今は社会から離れて普通の人に近づく訓練をしよう」
こういう発想は、社会に出る時期を先延ばしにする。そして、先延ばしによって隔離期間が長くなれぱなるほど、「普通の人」「厳しい社会」というイメージが妄想的に膨れ上がり、ハードルは高くなっていく。子どもを社会に出したい反面、今の状態で出すのは恐ろしいという親心の葛藤が密室内でどんどん高められて、リハビリへの熱情へ転化し、身動きがとれなくなっていくのだ。
そやねえ。
でね、その時に熊谷さんがえらいのは今まで親御さんとかトレーナーから「かくあるべし」を押し付けられて挫折してきたわけだけど、じゃあ「自立生活」を選んでも実はそれは自立生活を既に行ってきた先輩たちの「かくあるべし」という規範にからみとられていくだけじゃないか、という警戒心ももってはった、というとこ。で「私自身の固有のくらし」を一から作りあげていこうとした、ということ。
そやね。結局ひとりひとりの「本人」を大切にするところからしか始まらへんねんやろな。
で、いきなりトイレから困りはる。もう最初は失敗して失禁。で、そうしながら自分で動きをイメージし、大工さんに「ここにこんなものをつけて」と頼み、改造していくのだけど、それができた時に、トイレを見た瞬間「新しくなったトイレに私の体がチューニングしているような感じ」を味わいはります。またトイレの方から手を差し伸べて来てくれるような感覚。
で成功するわけですが、それは官能と言っていいものだったと。そしてその動きの中から「等身大の内部モデル」ができていった、と。
他のところでは電動車イス体験も語ってはります。熊谷さんの子どもの頃は「あんなもの乗ったら歩けなくなる」と言って乗るのを禁止された時代。しかし乗った瞬間「楽しい!」と感じはります。やはりこれも官能(楽しいこと)やね。
そして自立生活を始めてからは電動車イスでの「散歩」が趣味になったとか。解放感・風・流れる風景。そこの感覚は私なんかだとオートバイに乗った時の感じに近いのかな。
で、熊谷さんは電動車イスが「体の一部」になったような感覚を味わいはります。
あと、どっかに「物は説教しない」みたいな言葉もあったんだけどな。どこかわからなくなった。
でね、そういった「物」「自助具」万歳かっ、っていうとそうでもない体験をしはります。
採血で、研修医1年目。たぶん大学病院で全然うまくできなかった。で、100円ショップでいろんな物を買って来ては工夫し、自分ひとりで努力してできるように奮闘しますがうまくいかない。2年目、めっちゃ忙しいことで有名な病院に行き、こりゃあかんと思ったけど、逆に「ひとりではできない」けど周囲の人たちが「チーム」として動いてくれ「採血する」という目標に向かって動いてくれたので、(つまり状況や熊谷さんの動き、表現を見て手助けしてくれた)「採血」できたし、熊谷さん自身1年目みたいな特別なグッズを使わなくても採血できる方法を考え出し、できちゃった。(ただし、それは写真もありますが採血器を口で吸って採血する方法なので「評判が悪く」てだんだんやらなくなったそうですが(笑))
つまり大学病院は熊谷さんも「一人前にならなきゃ」「採血ぐらいひとりでできなきゃ」というプレッシャーの中にいたし、周囲も「こいつを一人前にしなきゃ」という「教育者としてのまなざし」があって手伝いもあまりしなかっただろうし、採血そのものもできなかった。
しかし2つ目の病院は忙しくてそれどころじゃなく「採血」という使命に向かってみんなが「どうしたら実現できるだろう」「私はどうしたらみんなから助けてもらえるだろう」「私はどうすれば他の人を助けられるだろう」と考えていたのでできた、という話なんです。で、1年目に工夫していたグッズはいらなくなったと。
これもなあ「目標設定」を何にするか、という話でもあるなあ。チームの目標設定を何にするか、って話。
でもって「じゃあ他人が手助けしてくれればいいのか」って言うとそんな単純な話ではないこともちゃんと述べられています。
そうよな。
まあ、たぶんそこんとこで自閉症の人のためには現時点であまりにも「使える物」を使えてもらっていない、というのがあるのは間違いないところ。
で、熊谷さんは音声言語ばりばりだけど、介助者にうまくやり方を伝えられなくて痛い目にあったりすることもあることも書いてはります。じゃあ自閉症の人だったら余計ですよね。
また脳性マヒ当事者の人の二次障害についてアビューズとネグレクトの2つの場合がある、と述べてはります。この言葉虐待の話でよく聞いてて、アビューズって言ったら叩いたり傷つけたりで、ネグレクトって言ったら放置と思っていたけど、アビューズは「誤使用」で、「頑張る」ことを習慣化されてしまい、がんばりすぎの基準がわからなくなる(つまり自分の体を誤使用してしまう)ってことで、ネグレクトは「無視」で「問題は多数派の身体を前提にしている社会の側にあるのに、自己身体を問題化してたまるか」という発想で医療に関わることを避けてしまうために起こるとか。これも自分の身体の声を聞きそこねるために起こるわけで。
これって、知的障害の人にも言えるよなあ。
で、そんなこんなで熊谷さんは「できる動き」「できること」がどんどん増えていくわけですが、先輩の自立生活の先輩がこう言います。
「熊谷、無理すんなよ。うちらは三十過ぎるとなあ、がたんとくるからな」
そして三十を過ぎた熊谷さんはいろいろと実感しはります。しかし、そういう衰えも含めての暮らし・人生なんでしょうね。
熊谷さんとパートナーの綾屋紗月さんの本。
2010年12月発行。
私の読書メモ。
2009年8月発行。
私の読書メモ。
この本に書いてあることが、経験や肌感覚で分かるような気がしました。
ただ、「敗北の官能」というのは、よく分かりませんでした。著者特有のもののような気がしました。
私の友人ですから、私並に口が悪いのですが一言。「お前らの誰か一人でも、子どもを歩けるようにしてから偉そうなこと言えや」。痛快な至言です。そう、教員なんて「子どもを変えた実績」で評価すべき業種です。
はるたさん、初めまして。
|経験や肌感覚で分かるような気がしました
はい。
|ただ、「敗北の官能」というのは、よく分かりませんでした。著者特有のもののような気がしました。
これは、それこそ私の経験や肌感覚なのですが、ものすごくよくわかる気がしました。
もちろん「官能」がなく、痛いだけ、厭なだけ、ということもよくあります。
また、この「敗北の官能」がつながりを生むみたいなことを書いておられるところがあったのはまったくわかりませんでした。
|「お前らの誰か一人でも、子どもを歩けるようにしてから偉そうなこと言えや」
そうやないって。
それ言ったら同じ地平に引きずり落とされるやん。
「歩けんでもええ」
そっから始めな。
>それ言ったら同じ地平に引きずり落とされるやん。
>「歩けんでもええ」
>そっから始めな。
いやいや。彼等はAACを「そんなものは本当の教育ではない」とかシーティングを「そういうモノで何とかするのはいかがなものか」と言うわけですから、彼等の流儀をまっとうしてくれよと言うことです。いやいや。高飛車だし、助言は聞かないしねぇ。ひどいものでした。こっちが適切なスイッチとポジショニングと補助具でミシン操作(直線のみですが)できるようにしたら、それを「訓練」として使いたいとか言いやがる(要するに少しずつスイッチを遠くに離して手を伸ばせるようにしたいらしい)輩ですから。
ってか、実は頭の中でどなたがどうか一致してないんですが(^_^;)
|医者のいうことは聞くな
どひゃああ・・・そこまで言われはりましたか。まあ・・・実際に過去において「困ったなあ」ということをおっしゃるお医者様が多かったのは肢体不自由にしろ知的障害にしろ間違いないところですね。ただし、今は違う、と期待したいのですが。
|身体が硬くなるのを予防する動作法
どの範囲で、どのねらいでやるのがいいのかに自覚的である必要がありますね。私の現在の意見は
「私と動作法8」
http://kingstone3.seesaa.net/article/182530838.html
みたいなところで、また「触れるのもおそろしい」と素人が考えてしまうお子さん(これは肢体不自由特別支援学校に勤務された人だとよくわかって下さると思います。そうでない人にはすごく差別的な表現に思えるかな?)に触れにいくことができるようになる、というあたりでは大きな意味があると思います。
また
私と動作法7
http://kingstone3.seesaa.net/article/182530837.html
で書いたような例とか他のケースでも、「私は動作法は捨てた」と公言してからのほうが動作法関係者からの私への動作法の面からの評価は高くなりました。面白いものです。