16年前の阪神・淡路大震災の最初の3週間を思い出す。方々からファクスで「情報送れ」「情報送れ」の洪水であった。私の当時のノートにはまず「情報は時遅れ」だと強調してある。次に「時々刻々変わるものである」とあり「情報は権力である」とある。「俺は聞いとらん」と、大物ほどごねそうである。
この点について「災害が本当に襲った時」(「1995年1月神戸」所収)にはこう書かれています。
初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にいあわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。1つの問題を解決すれば、次の問題が見えてきた。「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば、半分解決されたようなものである。
また清陰星雨に戻って
時遅れであるから、先取りを本質とする想像力によって捕われなければならない。そうしなければ、縦社会日本では情報の流れは下から上へか、上から下へである。前者を「ボトムアップ」、後者を「トップダウン」という。別に日本特殊ではない。もとは軍隊の情報の流れではなかろうか。
このトップダウン・ボトムアップは特別支援教育で言われるものとは違いますが、情報の流れだけを見た時のことですね。
まあそもそも情報を受取る気があるのかどうかも問題ではある。また情報を出す気があるのかどうかも問題ではある。
東日本大震災に比べれば些細なことに思えてくるが、阪神・淡路大震災の時、私は神戸大学病院精神科の主任であった。私たちはコーディネーション・ネットワークを平時から持っていた。私の責務は第一にスタッフを使い潰さないことであった。第二にネットワークのひげ根が吸い上げてくる情報を整理して中央に伝えることであった。
向かっていく方向の大方針がないまま使い潰されていく人って多いのかもしれない。
その窓口に私は私の師(故人)を選んだ。そのうち、私の電話回線は通話が保証された。師との交信の中で事態と改善点が浮き彫りにされ、師はどこかにそれを伝えた。その手応えは確実にあった。師との対話は今後の事態を先取りした想像力が情報とないまぜになっていた。
想像力を持って必要なところに必要なことを伝えてくれはった人がいたんやな。
一般論としてトップダウンの指示はシンプルで現場に自由感を与え、想像力と創意工夫の余地が大きいものがよい。現場を統制しようとする力と現場の創意力とは両立する程度であるのが望ましい。不安になった中央は現場の困惑のもとである。
ボトムアップも、トップダウンも、想像力が加わって初めて生きて働くものである。そうなれば、懐に飛び込んでくる情報はすぐに生命を吹き込まれるのである。
本当に「威嚇と暴力」が使われている場合、また「一見優しげに見え」て実は虐待してるのと同じことやで、みたいなこと、少ない情報から想像して判断しなきゃいけないこと多いわなあ・・・
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