16歳虐待死、清原容疑者逮捕から1週間
3月1日未明、全裸で手足を縛られ、風呂場に監禁されて亡くなった麗さんは、その約1カ月前の2月4日から、通学していた県立岡山瀬戸高等支援学校の教諭らに繰り返し虐待を訴えた。学校は、岡山市の児童相談所「こども総合相談所」に逐一報告したが、児相が学校と協議したのは2月22日。児相の職員でもある学校医が麗さんに面談したのは24日だった。
2011年2月4日ってことは、麗さんは高1だったわけだよね。2010年4月からそこの高校生だった。そして
岡山少女監禁致死事件について
に書いたように、1999年(麗さんが4歳?)から岡山県中央児童相談所に相談していた。ということは当然その後の園や学校との連携もあったはずだよね。無かったのかな??
母親の陽子容疑者(37)逮捕から1週間たった30日、朝日新聞の取材に応じた岡本啓校長は「今となっては、児童相談所以外の機関に通報すべきだったかもしれない」と話し、警察に連絡するべきだったとの後悔の念をにじませた。
もう緊急となったら警察に、というのもある。そして親から離して養護施設へとか、あるいは主として自閉症の人の入所施設(療護施設という名前になるのか??)へ、とか。しかし12年間あったんだよな・・・ほんま「できることを伝える」「こうやったら楽しいってことを伝える」「こんな制度がある」「サポートしてくれる人がこれだけいる」を伝えられなかったのか。
岡本校長によると、麗さんの高校入学前から陽子容疑者による虐待があるとの情報を得ており、「指導は学校に任せて欲しい」と、母親に遠回しに注意してきたという。
う〜〜ん、まあ報道でしかないのだけど、何か言葉が違うなあ・・・学校が何でもできるわけじゃないもん。まあここでいう「指導は・・・」ってのは「折檻しないでね」という意味だということは了解できるけど。
学校は2月4日以降にも母親に接触したが、暴力をやめるよう強く注意することはなかったという。理由について岡本校長は「注意したら、対応(虐待)がエスカレートすることを恐れた」と釈明。その一方で「児相に相談するだけで良かったのか。別の対応をしていれば別の結果になっていたかもしれない」と繰り返した
そら「暴力をやめるように」って言ったらそうなる危険は大きい。違う言葉やろなあ。でもって、繰り返しになるけど1999年からの話やなあ。もう2011年の時点では「物理的に離す」しか無かったかもしれない。
岡山市幹部にも、「対応が遅れたことは反省している」と、児相の対応の遅さを認める声がある。別の市幹部も「(2009年4月に)政令指定市になって、県から児相の業務を引き継いでおり、不慣れなところもあった。対応が十分だったというつもりはない」と話している。
県にしろ、学校にしろ、やなあ。今となってはご冥福をお祈りするしかないのだけど。
ラベル:虐待 特別支援教育
「伝える」というのは相手が「受け入れる。受け止める」という場合のみ成立します。「そんな情報は要らない」と言う人には意味がありません。
私は、モンペの対応に苦慮している後輩に「できることを示せば多少は変わるよ」と助言して、今までできなかったことができるようになったのを保護者会で伝えたら「そうですか。で、文字は書けるように指導していただいてますか?」と言われましたというのを聞いて、反省しました。
聞く気のない親がいる以上、こういう事件は今後も起き続けます。解決策は米国のように親権を限定することが容易にできるようにすることのみです。「親だからといって(客観的な意味で)子どもが可愛いと信じるな」という冷徹さを徹底し、初期段階からバンバン親権剥奪すればこの手の事件はなくなります。その代わり取ってもギスギスした世の中が来ること請け合いですが。
でも仕方ないですよ。どっちも追うなんて「無理」ですから。
後輩へのアドバイス、さすがもずらいとさん、だと思います。
それしか言えないっすよね。
その後の展開も目に浮かびます。私自身も経験したことですから。で、それでもなおそれしかないな、と。
そして専門家たちも幻想を与えないように、かつみんなを励ます方向でやって頂けたら、と思っています。
江戸時代なんかでもバカ親はそうとういたそうなのです。
ただ、今より子どもを育てるセフティネットが機能してたみたい。
店子がバカなら大家が面倒をみて、隣に住んでいる店子のおばちゃんが面倒みたり、とか。
寺子屋(手習い)に行くのが子ども達だいすきだったそうだけど、
そこでバカやって放校されそうになったら、代わりに頭をさげてくれる回りの大人の順序まで決まってたんだと。
丁稚奉公制度なんて、私は今むしろ魅力。
だって実の親が子どもに手伝いの大切さを教えるのってかえって難しいんですよ。どうしても甘えがたって。
昔は兄弟や奉公先で背負う年少者がいたから、
子どもたちも命の大切さや、
自分が長じての子育てのしかたを学んでいたと思うのですね。
そういう尊い労働から年長児をひっぺがして義務教育につけるために
保育園という制度はできたそうなのですが、
ひょっとしたらまちがってるのかもしれない。
今の日本の体制のすべてを疑ってかかってます。
様々な現在の虐待に関わる事件を見ていると、「孤立した家族」の問題はありそうですね。
まあ、ただ統計が無いので、「今」が「江戸時代」より虐待が増えているのかどうかはわかりませんが。
私の想像ではきっとものすごく今のほうが減っているかもしれない、という気はします。
猟奇的な事件も今は報道されるけど、昔は報道されない分がたくさんあったと考えられますし。
第四の発達障害ー虐待、の本を読んだことがあります。
昔よりも虐待の範囲が広くなって、例えば心の虐待・モラルハラスメントまで入りましたので、昔より確実に減ってるようです。
報道合戦のせいで増えた印象を持たせているようです。
「孤立した家庭」。うん、
お母さん一人にかかってくる責任が増えたわ。
儒教は男系を重視しますが、江戸時代の日本にその発想はありませんでした。天皇家くらいでしょう。
何しろ幼児期の死亡率の高かった時代ですから、子どもは財産みたいなもので親がいなくなったら地域が育てる決まりがありました。そのため、エタ非人と呼ばれる階層の中には、わざと子どもを町中に捨てると言うこともありました。捨て子は街で育てなければいけない決まりになっていますし、何せ世継ぎなんてバンバン死ぬ時代ですから、必ず養子先はありました。
幼児期の死亡率がピンと来ない人は徳川歴代将軍の履歴を調べることをおすすめします。「次期将軍増産」のために「大奥」なんて制度まで作っておきながら、たくさんの将軍の世継ぎが元服を待たずに早世しています。
なるほど。
|「日本人は子どもをしからない」と驚嘆
このエピソードは目にしたことがあります。
「捨て子」は最近まで風習としてあったみたいですね。わざわざ「捨て子」として道端に置いておいてそれを拾って来て育てるという。
JIN-仁−は見てはるのですね。初回に結構見るに耐えないみたいなことを書いてはったので見られていないのかと思ってました。私はもちろん毎回涙しつつ見ています。
kingstone さんやマイミクさんで見ている人が多いので「ツッコミ」を入れるために見ています。内容は「見るに耐えない」ですよ。タイムスリップした平成の人間が医者やったって良いし、帝王切開の手術しようが盲腸の手術しようがかまわないんです。
ただ江戸時代の人の「常識」というのが全く現代感覚。坂本龍馬のみは本物もあんな感じだったのだろうと思います。現代人に通じる感覚があったから、「未来」に向けて動き回れたのでしょう。普通の江戸時代の人にはない感覚の持ち主だったようですから。新撰組隊士でありながら粛正された伊東甲子太郎も同様だったようですが。