(kingstone・めっちゃネタバレになりますが・・・)
ちょっと日記はお休みするつもりでしたが、6月23日の中村賢龍先生の講義が素敵だったので、ちょっと書いてみます。文責はKING STONEにあります。
−重複障害児の指導とコンピュータ−
香川大学助教授
中邑賢龍先生
(まず中村先生が質問しはりました)
「ここに小学校1年生で肢体の不自由な子がいます。この子にワープロを使わせますか?電動車イスを使わせますか」
(私は使わせない方に手を上げました。中村先生は答えは出さず)
「あなたが寝たきりになりオムツをしなければならなくなりました。人に代えても らいますか?ゴリラに代えてもらいますか?ロボットに代えてもらいますか?」
(人間とロボットが2対1くらいの数でした。私はロボットの方ね。大学でもこの質問をしはるそうです。でたいていは「人」と答える。そこで女子学生なんかに「じゃあ俺が代えてやろう」と言うと「いやーーん」なるほどなあ)
まず non electoric aid を活用することも考えよう。透明アクリル板で対面して使うコミュニケーションボードだとか文字盤とか。
能動的に動くことが認知発達に重要。障害児の多くは失敗の体験を積み、行動することがいやになっている場合が多い。それを助けるために(能動的に動けるために)
simple technology の利用。例えば簡単なスイッチで使えるおもちゃ。
動くぬいぐるみ。
ピッチングマシン。子どもが投手になれる!
(で、これがパソコンへのリテラシーにもなる)
パソコンの利用。障害に応じた様々な入力形態。またその入力を利用して楽しめるゲームなどもたくさん揃っている。米で見ると車イスに乗り構音障害などでコミュニケーションできない人のほとんどは、車イスにコミュニケーションエイド(トーキングエイドの類)をつけている。
さてそのスイッチなどをどうするか。私(中村)も2年程前まではスイッチやバッテリーインタセプター(私なんかが電池アダプターと呼んでる、電池と接点の間に遮蔽物をはさんでそこからワンスイッチで動かせるようにするもの)を作る講習会を開いてきた。しかしどれだけ広まったか。
米でびっくりしたのは肢体に不自由をもっている子のほとんどがそのような自分にあったスイッチやバッテリーインタセプタを使っているということ。市販品がちゃんと安くある。バッテリーインタセプタで900円くらい。ワンスイッチ入力で一定時間電気が流れたり、一回入力すると電気が流れ、次に入力すると切れる、そんなボックスが6000円ほどで売られていて家でも学校でも使われている。
(KING STONE・・・ははは、私が一生懸命失敗しながら作ってるやつね)
で、OTやPTや教師が商品知識(パソコンや電気の知識では無い!!)を持ってフィッティングしていく。日本もこうなるようにしていかないといけないのではないか。教師が作っている場合ではないのではないか。
さて最初の質問についての私(中村)の考えかた。
字を書く練習も大事かもしれない。しかし便利な機械を使ってどんどん自分を表現していくことができるなら、それも大事ではないか。
歩く練習も大事。しかし電動車イスを使ってどんどん自分の行きたい所へ行く、というのも大事ではないか。
それが生きる力となっていくのではないか。
この間電動車イスの方と散歩に行った。その方は大人だが、今までほとんど外へ出たことがなかった。さあ食堂で「食べましょう」と言うと「どうしたらいいかわかりません」何か怒りのようなものすら感じてしまった。
知的障害者にはパソコンは使えないか?
一語文しか出せない子が、パソコンの画面の絵をタッチすることで相手に指示を与える、というソフトを使い二語文を相手に伝えることができるようになっている。3語文までも出そうである。そのようなコミュニケーションをする手段として使えるかもしれない。
パソコンを利用して「楽」に生きることができるなら、そして自分の内面を出すことができ、心豊かに生きることができるなら、自己決定ができるなら、パソコンを利用してもいいのではないか。
最後に「教師が作っている場合では無いのでは」と言ったけれども、まだまだ日本では教師が作らないといけないかもしれないですね。
(KING STONE・・・うーーん、いかん、あの感動を伝えることができないですね・・・・)
後、MACのデモを見せてもらいました。肢体不自由児に対するアクセシビリィティでは現時点ではKEENEXなどのあるMACに一日の長があるのではないか、ということでした。もちろん先のことはわかりませんが。
久里浜日記6月27日
今日は寝過ごして朝ごはんが食べられませんでした。大森さんにパンをわけてもらいました。
おかげで出だしが遅くなってしまった。
まず、今までどうもうまく動かなかった、「一定時間スイッチが入る回路」を基盤をエッチングして作ってみました。はんだづけそのものは、あっけない程早く終わります。動かしてみると、安定して動きみます。そこで100Vをつなぐと・・・うーんやっぱりだめ。リレーが切れようとするのを無理やり切らせない力が働くみたい。100Vをつなぐことはすっぱりあきらめました。3Vくらいのおもちゃだったら安定して動
きそうです。
その後、TADさんに頂いてまだ完動させていないMSX用タッチパネルの外科手術に挑戦しました。コネクタの2番か4番(とにかく上の端から2つ目)のピン(というか受けの部分)が始めから無かったので、完全なコネクタと付け替えればいいだろうと思いケーブルを切ってみたら・・・なんとはじめから線が8本しかない。そうかもともと使っていなかったところなんですね。
ということはうまく動かない(具体的にはY軸を認識しない)のは別のところに理由があることになる。困った・・・・。
後、MSXのソフトでMENUの無いものにMENUを作っていきました。
久里浜日記7月1日
今日は府中養護におじゃましました。まず言語訓練の時間を見せていただきました。担当の先生はKINTAさんではありません。落ち着いた女性の先生でした。生徒さんは笑顔のすてきな男の子でした。
今日はKINTAさんが昨日作ったという文章を提示しそれに合った絵を選ぶというソフトをやる予定でした。でも今日はギャラリー(特総研から7人行きました)が多かったのでちょっと緊張した様子。先生は「じゃあ得意なのからやろうか」とYAS.さんの作られた「音いくつ」から始めました。(「音いくつ」はFEDHANのDLにありますのでまた興味のある方は見て下さいね)(kingstone・ええっと、今PCで使える移植版をどなたかが作ってはって私もついこないだ見たのですが・・・urlが検索で見つけ出せない・・・)
2点スイッチを使って(2点スイッチが使えるようにKINTAさんがスクリプトをつけ加えてはるんですね)解いていきます。
次にKINTAさんのソフトをやります。
もちろん昨日作ったソフトですからいろいろと改良する点も出てくるでしょうが、2点スイッチを使ってその子が「ある動作をする」ということがわかっているかどうかを判断し、かつその子の理解を確実にしていくいいソフトだな、と思いました。
また指導してはるのがKINTAさんや江田さんでなく、機械なんか得意じゃない(失礼)とお見受けする先生だ、ってのがいいなあ、と思いました。
実は後の質疑応答(ちゃんとこんな時間も作って下さってたんですね)の時にうかがうと2年前はKINTAさんとその先生がその子の言語指導を担当していてKINTAさんの時はパソコンを使った指導をしていて、その先生の時はいっさい使わないで指導していたそうです。
で、昨年は担当が違い、今年はその先生だけがそのお子さんの指導にあたっているんだそうです。で、時限の前半はパソコンを使い後半は使わない指導をしているとのことでした。
そこで「なぜ先生はパソコンをお使いになろうと考えはったのですか?」とお尋ねすると「受け手側の感性によらなくても表現できる手段を身につけさせるためにパソコンもあっていいんじゃないかと思ったから」とのお答えでした。そう考えて使って下さる先生も素敵ならその先生をフォローして使い易い環境を作ってはるKINTAさん、江田さん、M先生(もうすぐここへも出てきてくれはるかな〔ニコ〕)たちの努力に頭が下がりました。
また私は個人的にはそのお子さんが「KOIKE1」を好んでくれてる、という話を聞き嬉しくなってしまいました。で「あれ私が作ってん」と言うとその子が「ニコッ」としてくれて、いやーーこの喜びって独特ですねえ。(もちろん使いやすいようにKINTAさんが改良して下さってます)
>PEACHさん
そのお子さん、けいちゃんにかなり似てました。
その後他の学校の先生方も集まってやってる研究会に参加(乱入?)させていただきました。そこで大森さんは「神様のごとく尊敬」してるM先生に出会って感激。で本当は我々二人はおとなしくしてる予定だったですが、まず大森さんが続いて私もいろいろ大きな声でしゃべってしいました。反省。ほんま関西人は声はでかいは話は長いは・・・
またそこで出会ったO先生も素敵な先生でした。ソフト云々を語る前に「そのお子さんはどんな子なのかな。もう少し詳しく教えてもらえますか」とできるだけ子供のことに則して考えはろうとする姿勢が、ついつい「おもろいソフトやからええやん」になりがちな私に反省させるものがありました。
そうそう、ある。ちょっとうんざりして言語化しがたいほどある。
パソコン通信にはまったのもそのせいでしょう。(遠い目)
この設問とてもよくわかる。
>この間電動車イスの方と散歩に行った。その方は大人だが、今までほとんど外へ出たことがなかった。さあ食堂で「食べましょう」と言うと「どうしたらいいかわかりません」何か怒りのようなものすら感じてしまった。
これもよくわかる。
私はCPのマイミクさんが多いんだけど、オフ会をしようとすると道に迷って遅れてくるとか、他のメンバーのヘルパーさんに助けてもらっても気にしない人とかと同じCP者の間で揉めるんです。
そこでお互い切磋琢磨して、「CP者であっても社会性は身につけよう」とがんばってるところがとても応援したいのすけど。
ところで、技術ボランティアの箱根病院ことぶきさんが一昨年の暮れ亡くなられました。その話をちょっとしてもいいですか?
なんつーか・・・社会性ってのは社会に参加することによって初めて身につくものだと思うのですよね。で、また当然身につくことが(またはわかることが)身についていない、ということには私もよく怒りを感じました。もちろん相手の方に、ではなく「長い時間教育という名のものをしていた学校」に、です。
|その話をちょっとしてもいいですか?
もちろん。
お名前は存じ上げませんが(忘れてるだけか・・・)。
一時は一般就労もしてその後二次障害が進んで車椅子からヘルパーさんを利用して暮らしている主婦の方が言ってました。
「つい主語のない指示を出してしまう」って。
それはなんというか、それだけ大切に意図を汲もうとがんばってくれていた家族に恵まれていたということなんですけど。
この話を聞いていて、肢体不自由にはマンツーマンで教員がついているという特別支援校に猛烈な不安が兆しました。
ヘルパーさんは障害のプロではないです。いろんな事情があって身体だけが資本という人がやってる仕事です。他人です。
だから
具体的に
かつ礼儀正しく
気配りのこもった
指示が出せることが「ヘルパーさんを利用しての社会性」ということになると思います。
そのためには世の中のことはもっと知らなければいけないし、相手の方の事情を思いやれる人格の方が大事です。それは身体が不自由でもできることですよね。
私もちょっと違いますが、出かける先々でちょっと書いてもらったり、空書きをしてもらったり、指の数を出して貰ったり、ケータイをエディタ代わりにしてもらったりして、コミュニケーションを成立させているので、特にそう思います。
障害者フォーラムの技術ボランティアは覚えていますか?
TAKEさんの名前なら思い出せるのでは。彼はもういませんが、その後釜のPTの天の川さんと、箱根病院でyossy隊長と周さんとJYAさん他がずっと続けていたんですよ。
その中心になった人徳がことぶきさんだったと思います。
重度筋ジストロフィーでした。
一昨年、私娘と一緒に会いにいって。
やっと本厚木時代の心の支えだったのはあなただった、と言うことができました。
どうしてかというとことぶきさんは何でも前向きで明るい方だったのですが、一度だけ「家に帰ると下にも置かない重病人扱いされる」と嘆いていたのです。その悲しみが私も痛いほどよくわかって。
私も故郷を失った、という気持ちを当時持っていたからです。
一度も私の悩みを打ち明けたことはなかったのですが、嵐の日に会いにいったこともあります。
逢いにいけてよかった。
私は本当に大阪に越して以来不義理をしていましたが、
yossyさんはずいぶん大きくなった娘さんを二人もつれていましたし、(娘あそんでもらいました)周さんも息子さんをつれてきていて、なんというか箱根病院のディケア棟がことぶきさんを中心とした一族の井戸端会議みたいだったのです。
ことぶきさん、その後ボランティアさんと一緒に呑んでいる最中に微笑むようにこときれていたそうです。泣きました。
集中医療室入りして生還するたびに、「僕はMacを買ったばかりだから死なないよ!」と言っていたけれど、
それは孤独なままでは死ねない、ということだったのではないでしょうか。
重い鬱から生還された今のking stoneさんにだからこそ、お伝えしたいと思うのです。
何かができるようになることが、障害児教育の達成目標だとしたらそれはとても浅いことです。目標は社会のだれかと繋がることだと思うのです。
この人に会えたからよかった、と。
もう心おきなく死ねる、と。
そういう出会いのために障害児教育があるというのなら私は応援します。
そうはなってないんじゃないかな、と思えることも多くあるので、あえて強く書いてしまいます。
ごめんなさい。
ことぶきさんの葬儀には私から僭越ですが障害者フォーラム一同の名前で花を贈りました。
mixiのマイミクという形で今でも私の中に残っています。
きっとみていてくれてると私は思っています。
|肢体不自由にはマンツーマンで教員がついているという特別支援校
えっ、そうなんですか?私が勤務していたころにはまったく無理な体制ですけど。わかってる人がついているなら別にいいことですけどね。(たぶんそうするとその教員はさぼっているように見えると思いますが)しかしお金があるんやろか??
|TAKEさんの名前なら思い出せるのでは。彼はもういませんが、その後釜のPTの天の川さんと、箱根病院でyossy隊長と周さんとJYAさん他がずっと続けていたんですよ。
TAKEさんの顔は思い出せます。箱根病院にうかがった時、パソコンの壁紙が水着写真で、当時そんなきれい(精細)な画像を見たことが無かったという記憶とともに。yossyさんは久里浜に来て下さった時の雰囲気を覚えています。
ことぶきさんはお顔は思い出せないのですが、今、病室の光景が記憶の底から上がってきました。
|「僕はMacを買ったばかりだから死なないよ!」
これもひとつの現世とのつながりですよね。もちろんその向こうには人がいる。
|目標は社会のだれかと繋がること
ひょっとしてひょっとしたらつながりを拒否される人もおられるかもしれない。しかしそういう方をも気にかけていたい、と思います。
|そういう出会いのために障害児教育がある
はい。そうあって欲しいと思います。
電動車いすで移動の自由が広がっても、集団行動など日本でのルールを守れないとダメですしね。とある出張で大阪に行ったとき、頭脳明晰な電動車いすの青年が一緒でした。しかし、この人自分勝手で、初めて来た新大阪駅を気の向くままに散策し、帰り道が分からなくなったのです。当然我々からは「行方不明」です。普通だったら館内放送をするとかでしょう。ところが、大阪の、それはそれは気の優しいいたって真面目な友人が、プチッとキレました。行方不明の車いすの青年に携帯メールを送ったのです。「殺すぞ、ボケッ!」と。あわてて戻ってきました。全知全霊を使ったのでしょうね(笑)。
選択肢は必要です。で、それであえて苦難の道を選ぶのならそれも自己決定です。私の授業は苦難の道が多数用意されています。知的障害養護の課程を一部取り入れた教育課程の国語では漢詩を(現代中国語ではありますが)書き下し文などではなく、中国語の素読でやりました。「先生、何言ってるか分かりません!」「先生難しすぎます」という全員に「馬鹿者、『勉強』という字はどちらも『無理矢理やらせる』という意味だ。今までの君たちの勉強が間違っているんだ。これが本当の勉強だ。ついてこい」と言い返しました。で、杜甫の「絶句」ならそれなりに素読できるようになりました(笑)。でも、そうやって頭を鍛えることなしに自己決定も選択もありはしないのですよ。
|彼と一緒だと食堂まで小一時間かかってしまう
私だったら、先に行って食べ、で後も何も言わないですね。
新大阪のエピソード、今の私なら、私はほっといて自分のやりたいことをしに行くかな。
過去の私ならキレた可能性大です。昔、仲間と遊びに行って勝手なことをする人に周囲は「相手にしない」という道を選んだのに私一人キレて「意見」をしましたから。しかし彼とはその後親友(?)になりました。(他の人はつきあいをやめてしまった)
|それであえて苦難の道を選ぶのならそれも自己決定です
まったく同意します。
漢詩の授業のエピソードは大笑いしながら読ませて頂きました。(^^)