「釜石を灯す」
岩手県立釜石高校のフッカー タツロウ君のエピソード。
また釜石シーウェイブスのフランカー(あれ?写真にはロックとある。今、釜石シーウェイブスのホームページで調べたらフランカーですね)小原一志選手のこと。
小原選手は岩手県立釜石祥雲支援学校の教師。釜石祥雲支援学校は調べてみると病弱・肢体不自由・知的障害の併合校ですね。
記事中、やはり下校時刻だったため、保護者が来られず帰れない児童・生徒が続出したとあります。
「一番に考えたのは生徒の精神的なケアです。余震も続く中で、大人の会話を聞いて不安になったりしないように、言葉遣いにも注意しました。僕は高校3年生の副担任で、大柄な生徒の世話もあったし、男の先生は少ないから力仕事も多い。地震から2〜3日はまったく寝れなかった」
またシーウェイブスの高崎善幸ゼネラルマネージャーが震災直後の日本ラグビー協会と連絡が取れた時、「一人を除いて無事を確認した」と報告したその「安否確認の取れない一人」だったために知人が心配したとか。
記事の写真にも大きく小原選手の写真が載っていますが、紙オムツを抱えて写っています。
釜石シーウェイブスの外人選手がほとんど現地に残り、支援活動をした話は既報ですが、4月に入ってプロ選手は釜石を離れたそうです。これは高崎マネージャーの方針で、「シーズンを考えて、プロ選手には自分のコンデションを作ってもらうことにした」ため。
本当に、今シーズン、頑張って欲しいと思います。
ラベル:ラグビー 東日本大震災