歌(賛美歌?)アメイジング・グレイスのできた話にまつわる話。
この映画、昨日まで一切知りませんでした。妻が友達から「いい映画だった。でもガラガラだった」と聞いて来て、じゃあ行ってみようということになりました。
行ってみたら、ガラガラどころか、席に座れるかどうかくらいのいっぱいでした。
英国で「奴隷貿易廃止」を訴えたウィリアム・ウィルバーフォース(1759〜1833)の物語。
いやあ、こんな人がいたなんて知らなかった。「奴隷解放」関連だったら米国のリンカーンを知ってるくらいだもんなあ。
で、ウィルバーフォースはいろいろ頑張るのだけど法案は通らない。で、この人って田中正造さんみたいにまあ悲劇で終わるのかなあ、と思ってたら目的は達成し、功成り名とげるところまでいったらしい。ある意味ハッピーエンドです。
「政治」劇「恋愛」劇でもあって、私はめちゃ大笑いしながら観たので妻は「笑い過ぎや。恥ずかしいわ」と言ってましたが、私とまったく同じツボで複数の人が同じくらいの声で笑っていたので、同じような感覚の人もいるんだ、と安心しました。
「奴隷貿易廃止」を訴え、証拠を集め、非人道的であることを訴えても、「奴隷貿易」で栄えている町の議員・投資で儲けている人たちが多数だからほとんど無視されたり、激しく攻撃されたりする。ウィルバーフォース自身も「政治の道」か「神の道」かに迷い「神の道」に行きたいと望んだりもする。
う〜ん、ほんまね。私も「神の道」と言うか「仏の道」というか、そっちに行きたい。
で、時は米国独立から植民地独立の時代、またフランス革命の時代、ウィルバーフォースの(数少ない)仲間も保守派から「フランスの力を借りて『革命』を起こそう」という人までいろいろ。後者の人にはウィルバーフォースは「私の前で二度と『革命』という言葉を使うな」と怒鳴ったりもする。で、そういう仲間たちと進んでいくわけです。しかし戦争などの状況によっては「暴動を扇動する者」とみなされたり、「反愛国主義者」とみなされたりしながら。
いやあ、全然違うものかもしれないけど、私と自閉症の子どもたちとのあれこれを思い出してしまう。
まあウィルバーフォースは最終的に「勝った」のだけど、私は校長から「喧嘩は勝つようにやれ」と言われるくらい「無謀な突撃」ばかり繰り返していたわけですが。
映画には出てこなかったと思うけど、パンフレットにウィルバーフォースのこんな言葉が載っています。
「見解の違いは仕方ない。だが知らなかったとは絶対に言わせない」
そうやなあ
大学教授の講演会
戦いと癒し(2)分科会にて
に出てくるA教授、「知らなかった」んやろなあ。自閉症の子が私の行っていた特別支援学校でどんな目にあっていたのか。あるいは他の支援学級でどんな目にあっていたのか。私も確かに言わなかった。内地留学生はたくさん行ってたんですけどね。証拠を見せてちゃんとお教えしないといけなかったんやろな。
指導主事からの評価
この「神様みたいな主事」さんも知らなかったんやろなあ。基本知的障害畑の方じゃないし・・・
で、
指導主事に相談をかけてみたが
みたいに特別支援学校で少なくとも「威嚇」を使っていた人が主事になってたし・・・(暴力はわかりません)
また知的障害畑で1年間内地留学に行ってた先生が子どもを蹴ったり
TEACCHにこだわらない
知的障害畑で1年間内地留学に行ってた先生が音声言語の指示に従わない生徒の手足をみんなで持ち上げてプールに放り込んだり
ある生徒のプール事件について
いや〜〜、みんな「知らない」というか「自覚」がなかったんやろな。
私は「若い人」たちは怒鳴りつけたり、教えようとしたりしたけど、教授や指導主事や校長には言わなかったもんなあ。言っちゃいけないことだと思ってたし。思い切って話し始めた主事さんにはすぐに話を打ち切られたし。(少なくとも校長はうすうす感じていたし、情報を欲しがってはいらっしゃいました)
私がうつで休職する前やネタキリになっていた頃、誰かが私を学校関係の訴訟に巻き込んでくれないかなあ、と思っていました。上のようなことは「墓場まで持って行く」ことだと思っていて、訴訟に巻き込まれたら仕方無しにしゃべるかあ、みたいな。(でも日時までは特定できないので証拠能力は皆無だと思う)
今はそれほど深刻には考えていません。教授や主事さんや暴力をふるっていた先生にあったら糾弾口調ではなく笑いながら「いや〜〜、かくかくしかじかなんてご存知なかったんですよねえ」とか「愛と情熱を持って暴力と思わずやってはったんやねえ」としゃべれるかな、と思っています。こっちも知らせなかったのは悪かったしね。で、まあ上記の人たち、みんなえらくなってるんやろなあ。
そんなことを思いながら観てました。
映画の中でウィルバーフォースが奴隷の実態のひどさの悪夢にうなされるシーンがあります。私も「暴力を頻繁に使う先生」の夢でよくうなされ、叫び、飛び起きました。妻もそのことを思い出した、と言ってました。
歌はこっちがいいかな。
歌詞。
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.
Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.
Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.
The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.
When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.
アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか
これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった
主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り
そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの命を手に入れるのだ
やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ
何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう