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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年04月22日

特別支援学校の授業で教師がひっつき回っていること

 こんな話を聞きました。

「特別支援学校高等部では中学部では人手が中学部よりもある。それである生徒に1対1対応をしている。教師と話す時間が欲しいと言ったら『そんな余裕は無い』と断られた」

 私はすぐに反応しました。もう様子が目に浮かんでしまったから。

 私は1996年に知的障害特別支援学校に着任しました。障害はいろいろなお子さんがいました。軽い(?)人、重い(?)人。一応学校全体を平均すると1対2対応。これは「担任」と保護者に言う場合。(帳簿上は1対3であったり1対6(?確か最大6だったと思います。9ってことは無かった)であったりします)

 そして実際の授業の運用は「手のかかる」お子さんには1対1。「手のかからない」お子さんの場合、1対2かものすごく珍しい時に3。でした。

 で、様々な授業をやるわけですが、どう見ても「手とり足とり」だったり「ずっと音声原語と指差しで指示し、時には怒鳴りつつ」「やらせている」

 何か変だ、と思いつつも私にも代案は無く・・・で1997年から必死に勉強を初めます。(1年間何しててん、とツッコまれると・・・私、パソコン利用について期待されていていきなりそちらの実践のチーフにさされたりして、「自閉症」とかについて学ぶ時間が無かったんです・・・もちろん公的研修でちゃんとしたことを教えてくれるところ無かったしね)

 でもなかなかよくわからない。だいたい私の目の前の子たち、卒業後、行くところがないぞ。私が見学した周囲の施設は軽い(?)子ばかりで重い(?)子が行けるとは思えない。

 1997年にsyunさんの働いている通所更生施設に見学に行きました。初めて「ここやったら私の担任している子たちも来れる」と思いました。ただし、その施設全体がそうできていたかどうかはわかりません。syunさんが関わっていた空間だけのことかもしれません。その時の様子や関連発言はこちら。

syunさんのこと

ある施設の職員と利用者の数と特別支援学校の教師と生徒の数

自閉症の人が多い成人施設で一人一人自分持ちのスケジュールを持つ(1997年段階)

 でね、ほんとここに来られてる方って、特別支援学校では「1対1が必要です。でないと『何をするかわかりません』」なんて言われてた人が複数含まれてるんですよ。

 1998年夏にやっとTEACCHの5日間セミナーに参加し「あっ、そうかあ。ひとりひとりのできることから出発したらええんや」ということを理解するに至るわけです。ここで理解というのは「知識としてわかる」ということではありません。それまでの特別支援学校だって通常校だって「ひとりひとりを大切に」なんてことは学校目標とかでよく掲げられている言葉でした。みんなそんな「言葉」が大事、というのは教師みんな知っていたのですね。(しかし、知的障害特別支援学校では例えば「10人との一斉授業」をした時その中の1人だけに個別の支援の配慮とか支援グッズとかがあるのに反対する人は多くいました。肢体不自由特別支援学校だったら個別の車イスや呼吸器があったりするのは当たり前ですが)そう、私の場合、お腹の底からわかる、という感じ。

 また近所の施設からこられた指導員(支援者)さんが私の学校を見学しに来られた時の話。

成人施設から研修に来た指導員さんの感想(高度なことをやっておられますね)

 もうこれで私は確信することができました。

 で、それを実現する授業を始めます。「見てわかる」「ひとりでできる」「自ら表現する」「休憩できる」などを目指していくことになります。

 授業で言えば、感覚遊びにもスケジュールとかワークシステムを取り入れたし、その中でコミュニケーションも入れていきました。どんなことをやったかはいちいち書きません。私の「過去の記事」シリーズや「大昔の話」にいっぱい出ていることですから。また自立課題学習や1対1の課題学習にも取り組みました。ここ「1対1」と言っても「ひっつき回っている」わけではありません。自立課題学習をやっている途中に子どもが、自ら私のところにやってきて1対1で勉強し、終わったらまた自立課題学習に戻っていくのです。もちろん同時に複数の子どもがぶつからないように、スケジュール(ワークシステム)の調整は私のほうでします。そうやってこのシステムで1対5までやったし、最大1対7までやったと思うのですが。(1対7の時なんかは「初めて」やる子も含まれます。でも初めての子でもできちゃうんですね。ただし、その時は1対1はしませんでした)

 で、私は「今できることを組み合わせて」とよく書いています。すると「何でもそれでできたのか?」と思われる人もいるかもしれません。もちろんそうできるようには努力しました。しかし「あはは、これはできひんわ」と判断したらすっぱりあきらめることもよくやりました。授業で言えば機織り。

 「作業学習」の時間に機織りがありました。機織りは当時の学校では「さをり織り」の機を使っていました。杼(「ひ」糸を巻いた流線型の木)を右手に持ち目の前の上下に別れた縦糸の間に右から左へ横糸を通します。そして右足のペダルを押して糸の上下を反転させる。それから前にある縦糸を挟んであるシャッターみたいな物をガシャンと手前に引き寄せて、戻す。次に左手で杼を持ち、左から右へ糸の間に横糸を通し、左ペダルを踏む。またガシャン。この繰り返しです。

 なかなか楽しいです。でも、これは無理やあ、という人もいます。もちろんそういう子でも教師が手の上に手をのせ杼を握らせ、動かせばやっているようには見えます。それに「はい、ここで通して」なんて音声言語も大きな声でくっつけたり。(その子には全然意味がわかってなかったりします)なんか外から見たら教師が一生懸命仕事をしているように見えるでしょう。(教師自身も主観的には「一生懸命」「熱心に」仕事をしているつもりになっている)

 で、学期末に「こんな作品ができました」と言って、織った中のできのいいのを保護者にあげるわけです。ほとんど先生が織ったものなのだけど・・・・

 私が担当したのは1年だけ。前期2人、後期2人の4人。そのうちの2人については1時間目にあれこれやってみて「そら無理や」と判断し、保護者の許可を得て機織りの部屋に児童・生徒用の机を持ち込んで自立課題学習をしました。まず机を運びこむところからしないといけません。そしてひとりでできる教材を探す。場を設定するetc.

 しかし授業中は前記の「一生懸命」で「熱心」な先生に比べて「ぼ〜〜っとしてる」だけに見えたことでしょう。っていうか、ほんとうに「ぼ〜〜っと」していたんですけど。

 で、「ぼ〜〜っと」できるくらいだからビデオも撮れます。それを編集して学期末にさし上げると「うちの子、こんなことができるんですか!」と喜んでくれはりました。

 「機織り」の時間でしたが1回目を除いて「機織り」はいっさいやってません。授業の「名前」に囚われる必要は無いのです。

 で、私だって担当する子が少ない方が楽でいいけど、他の先生(例えば暴力を頻繁に使う先生)が「あいつはわしには合わん」(結局威嚇と暴力で押さえられなくなっていた)というお子さんを「はい喜んで」とお引き受けしたりしてました。

 学校の教師が目指すべきことは、形としての授業が成立することではなくて、その授業の中で「見てわかる」「ひとりでできる」「自ら表現する」「休憩できる」などなわけですね。

 で、そのためには「ひっつき回る」必要はさらさらありません。

 つけたし。

 そうやって「ひとりでできる」を追求していると、実践の様子をビデオに撮って同じ学校の他の先生に見せると「kingstoneさんの担当してる子は軽いから。私の担当してる子は重度だからこんな高度なことはできません」と言われちゃうんですよね。嘘つけ。もちろん私の担当した子は軽重いろいろですけど、そこに写っている子の中で、あんたとこより重い子いっぱいいるやん。どこをどう見てんねん、と思ってましたけど。

この記事へのコメント
 まず最初に

>特別支援学校高等部では中学部では人手が中学部よりもある

この文章おかしいです。

 確かに特別支援学校の教員が手をかけすぎているきらいはあります。肢体不自由系は特にそうです。
 し・か・し。こちらは手をかけるつもりでなくとも「保護者の要望」とやらでマンツーマン対応をしないと、県会議員は連れてくる、弁護士は連れてくる、人権団体は連れてくるなんてケースが激増しました。たとえば、教室まで自由分一人で行ける子なのに、たまたまどこかでつまずいて転んだら「見ていない教師が悪い」と議員さんとかつれて怒鳴り込んできてくださいます。当然翌日からマンツーマンです。他害のあるお子さんの場合、教師が限定的に「今は大丈夫だから」とある程度距離を置いていても、他の保護者から「○○くんに教師がぴったりついていないとはどういうことなんです!」と怒鳴り込んでくださいます。
 「ある生徒に1対1対応をしている」というのはそのような場合でないかと思います。

 というと「毅然と説明するのが大事」というでしょうが、それこそ「学校はサービス業」だと世間は思っているのですからそれは無理です。私は間接的に生徒の死亡事故で民事訴訟にかかわりましたが、あんなのに巻き込まれたら、私くらいふてぶてしくないとみんな退職か休職してしまいます。実際、そのとき組んでいた先生は翌年早期退職されて、学校には二度と来ませんでした。
Posted by もずらいと at 2011年04月22日 19:45
もずらいとさん、どうもです。

私の言いたいこと全部書いてるじゃん(笑)

エピソードは全部目に浮かびます。
Posted by kingstone at 2011年04月22日 20:27
 もう十数年前の話ですが、文字の読み書きもでき、カラオケでは満点をたたき出すような生徒なのに、保護者は「うちの子は最重度なのだからマンツーマン対応をしろ」と強硬に主張し、どういう手段を使ったのか療育手帳の診断を最重度にしてきたという例がありました。この手の保護者にとって「教員が手をかけないというのは自立しているので喜ばしいこと」とは間違っても思わず「サービスをフルタイムで受けられないのは損」という感覚のようです。
 十数年前と現在の違いは、十数年前はその手の保護者は珍しかったのですが、現在はどこの学校にも何名もいる「ありふれた」状況になっていると言うことでしょう。
Posted by もずらいと at 2011年04月22日 20:40
うん

だからこそ「どういう暮らしを目指すといいのかなあ」というのは

みなさん(保護者にも教師にも)にお伝えしないといけないなあ、と思うわけです。
Posted by kingstone at 2011年04月22日 21:09
障害のあるお子さんについて興味、関心あります。
勉強になりました。ブックマークさせてください。
そっけないコメントで申し訳無いです。
ありがとうございました。
Posted by いわおてんと at 2014年04月20日 12:14
いわおてんとさん、初めまして。

またよろしくお願いします(^^)
Posted by kingstone at 2014年04月20日 14:24
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