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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年04月20日

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海著



 200万部売れた・・・すごい。

 これ、書店で立ち読みしたんですが、気合入れて読んだら、いろいろなことが頭をめぐり、また最後1/3の試合の始まりから涙でまくりでした。こんな本やったか・・・

「人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理作図、昇進制度、報奨副使を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。230P(ここからページ数の出てくるところはたぶんドラッカーの『マネジメント』エッセンシャル版からの引用)」

「最近は、愛想よくすること、人を助けること、人づきあいをよくすることが、マネジャーの資質として重視されている。そのようなことで十分なはずがない。
 事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。
 このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネジャーとしても、紳士としても失格である。
 マネジャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。(130p)」

 これはよくわかります。もうドラッカーさんと2人で話していたのなら1も2もなく賛成します。しかし、出版された本となると・・・

 最後の「真摯さ」・・・原語は何だろう。まあ、いずれにしても言いたいことはわかります。でも、これは外に出すなら「違う」と思います。

 だって、大昔の知的障害特別支援学校の先生、私の知ってる先生、「愛情持って」「熱心に」「勉強して」「真摯に」「威嚇と暴力」を使っていました。「真摯さ」に重きを置いてはいかんような気がする。ほんと言いたいことはわかるのですが。またそういう方は基本的に「愛想よく」「人づきあいが良かった」ですけど。

 う〜〜ん、むつかしいとこやなあ。でもって「真摯さ」もいいマネージャーは下(?)にいるスタッフに学んでもらえるものだと思います。で、そうなればまたその人たちにマネージャーになってもらえるし。

「企業の目的と使命を定義するとき、出発点はIつしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。(23p)」

「したがって「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。(23〜24p)」

「やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。しかるに、この問いに対する答えによって、企架か自らをどう定義するかがほぼ決まってくる。(24p)」

 で、本書では程久保高校野球部の顧客とは「お金を出してくれるかどうかは別にして見に来てくれる人」「親」「先生」「学校」「東京都」「東京都民」「高校野球連盟」「高校野球ファン」そして忘れてはいけない(一番大事な)「野球部員」

 特別支援学級・特別支援学校・おめめどうだとどうなるのだろう。

 特別支援学級 児童・生徒・保護者・特別支援学級担任・学校の他の先生たち・地域の人たち・教育委員会(?)・専門家
        マネージャーは誰だ?担任?校長?やっぱり担任やな。

 特別支援学校 児童・生徒・保護者・・・以下同じ
        マネージャーは校長?ちょっとちゃうなあ。学部長あたり?あと研修部長とか?
        もちろんクラス(学年)主担も。

 おめめどう 自閉症や発達障害の人本人・また最近は他障害の方にも目を向けている。保護者・支援者(特別支援教育担当教師含む)・       専門家(エンドユーザーを大事にしていこうとはしているけど、中間ユーザーを抜きには語れない)
       マネージャーは・・・やっぱりハルヤンネさんだよなあ。組織としてはその下はフラットやし。

「1930年代の大恐慌のころ、修理工からスタートしてキヤデラック事業部の経営を任されるにいたったドイツ生まれのニコラス・ドレイシュタットは、「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ」と言った。この答えが破産寸前のキヤデラックを款った。わずか二、三年のうちに、あの大恐慌時にもかかわらず、キヤデラックは成長事業へと変身した。(25p)」

「「それが分かったのは、ニコラス・ドレイシュタットが『顧客は誰か』ということを考えたからなんだ。そして彼は、『ダイヤモンドやミンクのコートを買うお客さん』という答えを導き出した。だから『ステータス』という定義づけをすることができたんだ。
 これと同じように、野球部の場合も、まず『顧客は誰か』というのを見極めることから始める。そうすれば、野球部が何で、何をすればいいかというのも分かってくるんじゃないかな」」

 ここで主人公のみなみは「野球部の顧客」の求めるものは「感動」である、と気づくシーンになります。で野球部のするべきことは、『顧客に感動を与えること』と。そして目標が決まる。「甲子園へ行く」

 う〜〜ん、特別支援学級・特別支援学校・おめめどうでも「感動」はあります。ただ「感動」と言っちゃうと、例えば運動会でパニックになっている子の両腕を抑えつけ、頭をがんがん地面に打ちつけているのをそのままにし、で終わって「よく頑張った。感動した」なんてえのがあるから気をつけないといけません。また、そうじゃなくてもっと普通の感動話も、さまざまな不都合な取り組みでもあり得ます。あるよくわかったお母さん(ハルヤンネさんじゃないよ)が言った言葉。「どこにでも感動の1つや2つは転がっている」そうなんすよね。それに「だまされ」ちゃあいかんのです。(言葉は悪いけど)

 私はおめめどうにしろTEACCHにしろ「感動が束になってやってくる」と言いますが。

 おめめどうは「いごこちのよい暮らし」と言い、最近の言葉だと「なかまはずれにしない」があるわけですね。

(この「なかまはずれにしない」も上の運動会の例のように「この行事になかまはずれにしないよ」と言って、不適切な状況で放りこんじゃいかんわけですが。)

 この「いごこちのいい暮らし」私の友人が肢体不自由特別支援学校に勤務している時「こたつでみかんを食べる」という授業をやったこともありました。そういうのってまず「実践報告」とかには上がってきませんが、ごっつい大事な視点やと思う。

 本書に出てくる監督の加地は野球が好きで指導者になりたいと思っていた人。しかし、尊敬する前監督が「暴力行為」で追い出され、その後釜になったことに自責の念を抱き、どう生徒たちに接していいかわからなくなった人として描かれています。本書中にも

「「そんなの、暴力を振るわなければいいだけのことじゃん!」と、みなみはうんざりした顔つきで言った」

とありますが、ほんまそうなんですよね。以前書いた伏見工業高校の山口良治元監督、確かに山口さんも生徒をしばいていたみたいですけど、たぶんしばかなくてもできただろうし、他の山口監督を目指す人もしばかなくてもできると思う。でも、加地さんみたいに「どうしていいかわからなく」なる人はいると思います。特別支援教育でも。

 で監督が「生徒を怖がっている」と。

 ここらへん目標を「いごこちのいい暮らし」に設定すりゃ、いろんなことが解決してくるような気はするな。

「企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。(16p)

 これまでマーケティングは、販売に関係する全職能の遂行を意味するにすぎなかった。それではまだ販売である。われわれの製品からスタートしている。われわれの市場を探している。これに対し真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」と言う。(17p)」

 えーとね。お客様は神様です、と言うけれど、誰が顧客かを見極め、新たな顧客の創造をしなきゃいけないわけ。で、ニーズを調査する(マーケティング)わけだけれど、今までの特別支援教育だと主流は「専門家の観点」から出発していた。あるいは「社会からのニーズ(と思われていたもの)」。最近はようやく「保護者のニーズ」に目が向けられつつあるけれど、それでも不十分じゃないか、ということね。「本人のニーズ」を掘り起こそうと。そして、実はそれが「保護者のニーズ」「社会のニーズ」とも合致していくんだと。

 それを人々に知ってもらうことがまさにイノベーションであると。

 これは特別支援教育でもおめめどうでも一緒じゃないかなあ。

 でみなみはマーケティング(調査・監督や部員からの聞き取り)を入院中の友達夕紀に頼みます。これは面接して時間をとって聞きます。新のニーズを掘り起こそうというわけですね。

 ここらへん「アフガン農業支援奮闘記」を思い起こさせます。ほんと、いろんな「調査」が文部科学省や教育委員会や大学院生・研究者から送られて来ることがあります。そういうものたいていはピントが外れていて、時間だけとって無意味なことが多いんですよね。真のニーズを掘り起こすにはいろいろ面接したり、やりとりしたりしないといけないことって多いです。

「働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、1.生産的な仕事、2. フィードバック情報、3.継続学習が不可欠である。(74p)」

 そう。ただし特別支援教育で、「生産的」とは何を意味するのかをメンバー(従業員)にきちんと伝えられないといけないわけね。「フィードバック」と言っても、「子どものどの部分を評価すれば良いのか」「子どもの直接フィードバックは何か」を教えてあげないといけないですね。また「継続的学習」は必須でしょう。

「専門家にはマネジヤーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。専門家にとってはコミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。専門家のアウトプットとは知識であり情報である。彼ら専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。

 専門家は専門用語を使いがちである。専門用語なしでは話せない。ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。
 このことを専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネジャーの仕事である。(125p)」

 リハ工カンファレンスに行った時、特殊教育学会に行った時、専門家が無茶苦茶むつかしい言葉を使うので質問しまくり「私にわかるように言ってくれ」と確認し、それを現場に持ち帰るようにしました。少なくともそういう「つなぐ役割」は私、していたな。コンシュマー(エンドユーザー・中間ユーザー)のニーズを専門家とやりとりしながら明確にする作業は続けたと思う。

「言い換えると、専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。マネジャーは専門家のボスではない。道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。
 逆に専門家は、マネジャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。(125p)」

 う〜〜ん、ここはどういう意味だろう。専門家って大学教授みたいな人か。特別支援教育畑にはかなりトンデモな人がうじゃうじゃいたなあ。「上司とならなければならない」ってのが全然わからん。ああいう人たちが上司になったら困るなあ、と思う。「専門家が効果的であるためにはマネジャーの助けを必要とする」の部分はよくわかる気がするのだけど。で、別に上司じゃない、というのも。対等な関係というか。

「私は、監督の現実、欲求、価値というものを、まだ引き出せていないんだ。だから、監督に何かを交渉しても、それがうまく通らない。」

 この感じ方、大事ですね。相手が悪いんじゃない。自分がきちんと「現実、欲求、価値」というものを引き出せていないと考える。

「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行く。(262p)」

 そう。準備しておかなければ。

「人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
 しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。(80p)」

 これね。特別支援教育でも児童・生徒の強みを生かす、という話になるだろうし、学級や学校のマネージャーとしたらメンバー(教員)の強みを生かす、という話になるだろうと思います。「あの教師は使えない」と言う前にちゃんとその人の強みを生かす経営をしているのか、研修やシステムを用意しているのか。マネージャーだったらそこが問われます。

「部員たちが出たくなるような練習メニューを作る」

 これは授業作りでもあり、また教師の研修メニューでもあります。

「消費者運動がこのことを示している。消費者運動が企業に要求しているものこそ、まさにマーケティングである。それは企業に対し、顧客の欲求、現実、価値からスタートせよと要求する。企業の目的は欲求の満足であると定義せよと要求する。収入の基盤を顧客への貢献に置けと要求する。マーケティングが長い間説かれてきたにもかかわらず、消費者運動が強力な大衆運動として出てきたということは、結局のところ、マーケティングが実践されてこなかったということである。消費者運動はマーケティングにとって恥である。(16〜17p)」

 これね。モンスターペアレントと保護者を悪しざまに言う識者や学校関係者に聞かせたい言葉です。もちろん「できないものはできない」とちゃんと説明できる力量がいるわけですが。

「試合の魅力。1.競争。2.結果。3.責任。」

 やっぱり練習ばかりじゃ面白くないですよね。実際にやってこそ。しかし特別支援教育だったら、毎日が実践で試合みたいなもんなんだけど・・・でもどんな「結果」が大事なのか、をマネージャーがちゃんと伝えられないといけないですね。これは児童・生徒にも。

 で、競争なんですが・・・えっと、正直なところ授業で競争を取り入れるのは結構むつかしい。自閉症の子は競争心が少ない場合がよくある。また逆に「何でも1番でないと気が済まない」だったり・・・また通常学級でも「グループ間競争」などを取り入れるばあい、結構ギスギスすることもよくあります。そこらへんのコントロールがむつかしい。ごっつい力になることもあるんですけどね。

 教師間だったら・・・うん、どこが競争の視点か、というのを伝えられないといけないな。実際、実践報告会すりゃ一目瞭然なわけだけど。そこで「◯◯ができました」の「数値」だけを競争しても仕方がない。結局どう「いごこちのいい暮らし」につながっていくか、ってとこなわけだけど。

 わお、返さなきゃ・・・

 ここからは、返してしまったので、記憶で。

 程久保高校の野球部員は、練習に確か「自己管理目標」だったか「自己目標管理」だったかをするようになるわけです。で、苦しい練習も進んでするようになる、と。ここんとこも「何が目標か」というのをマネージャーが伝えられないといけないわけですね。ただし「営業ノルマ何円」みたいなのは特別支援教育にはそぐわないと思いますけど。教師も児童・生徒も。

 またピッチャーは別メニューで練習ということで、ピッチャーのプライドをくすぐり(やっぱりくすぐりだったか)ます。これも重要な点だと思います。「みんな一緒のことをします」がいいわけじゃない。

 あと「人事」のことも出てます。昇給・降給・抜擢・降格適切に使わないといけないという話ですね。

 本書では「レギュラーの力は無いけれど、マネジメントに力を発揮した生徒をキャプテンにする」「それをみんなは納得(というより大歓迎する)」というエピソードが出てきます。これはもともとキャプテンをやってた生徒が実はキャプテンを辞めてもっとプレイに打ち込みたいという希望があってのことですが。つまりここはマネージャーとしての監督が「何が大事か」を生徒に伝えている、という話です。

 また社会貢献の大切さ、の話。最初は「清掃とかかな」と考えたけれど、社会って学校もだ、と思って他のクラブ活動への貢献を考えます。また地域社会へは自分の強みを生かす試みとして「少年野球の指導に行く」で、これが「教えることで何が大切かを再確認し、自分の技量があがった」という話がかかれています。

 これもほんまやなあ。他人に教える、というのはすごくいい。報告するだけでも。

 私は1時間勉強したら、1時間実践し、それを1時間かけてネットに報告するみたいな生活をしていました。それでいろんなところに呼ばれ「実践発表」とか「講義」もするようになった。それで、みんなから「すごい」と呼ばれることもあったのですが、当時は「いやあ、私は2やったら、2全部言ってしまう。たいていの人は100やって、やっと1報告するくらい。だから私のほうが2倍やってるように見えても実は1/50くらいしかやってないんですよ」と言ってたし、信じてました。

 そしたら「自分は知らない。未熟だ」と思っているのに、周囲を見回してみたらその時々で、それこそ「あれ?ひょっとして甲子園レベルまで来ちゃった?」みたいな・・・で、何かみんな「本の中のことは遠い向こうのこと」みたいに思ってるんですよね。でも私はとにかく実際にやってみた。

 もずらいとさんがコメントで書いて下さっているように「校内ポスターセッション会」とかやっるのも本当にいいことだと思います。

 また「私の実践なんてダメです」と言われる方もおられます。ほんまにその通りな場合もあります。しかし、たいていはその人の強みがどこかにあるはず。そこにマネージャーなら光を当てたいな。そして「ダメな実践」である場合、やはりその先生に「何が大切か」の研修や、「どうしたらいいか」の身体を通した研修がされてなくて、何をどうやったらいいかわかってないからのことが多いです。それは研修システムを考える校内の部署とか教育委員会の問題ですね。

 ふ〜〜、あともいっぱいあったけどなあ。

 もずらいとさんのコメントにこちらで答えておきます。

|「保護者は常に上位」

 そこそこ。私が誤解されやすい点はそういう主張をしているかのように思われる点だと思います。もずらいとさんだけじゃなくてね。
 当然対等です。
 「耳を傾ける」と「言いなりになる」は全然別の話です。

 それから福祉関係のお給料が安いのは「お客様の声に耳を傾ける」からそうなったわけじゃないと思うよ。逆に教師(教育公務員)の給料が高いのは「お客様の声に耳を傾けない」価値に支払われているもんじゃないと思うよ。

 でもって、やっぱり私マネージャーよりフェローの方がいい。>ハルヤンネさん
この記事へのコメント
>これね。モンスターペアレントと保護者を悪しざまに言う識者や学校関係者に聞かせたい言葉です。

 保護者を「消費者」とか「顧客」と定義づけないといけないような、教育を「マーケティング」ととらえないといけないような特別支援教育になったら私は迷わず退職を選びますね。kingstoneさんとは、この言葉の定義が決定的に違います。前にここで書いたかな?私の父は自営業ですが、三菱自動車から受注を請け負い、日産のライトバンで納品に行ったら「次からは三菱の車で納品に来てください」と言われました。「おたくと取引したらライトバンが買える以上の利益を確約してくれるのですか?」と尋ねたら「それは確約できません」と言われたので、それ以降取引をやめました。順調にいけば年間百万弱にはなる仕事だったのですが。後に三菱が欠陥車問題で取りざたされたとき「あんな会社だもの」と吐き捨てていました。私の体質はある意味父譲りです。こういう「顧客」のためにライトバン買い替えるのが正しいマーケティングとはとうてい思えません。
 公共サービスは民間サービスと違って当たり前です。昨年だったか某自閉症協会の掲示板で「特別支援教育になったのだから、どの子も難関高校に合格させるくらいに育てるのが当然だ」という発言がありました。「顧客」のニーズを満たすために「それは当然だ」とは言わないし、それ以前に変ですよね。そしてこんな人には「できないものはできない」は伝わらないですよ。

>教師間だったら・・・うん、どこが競争の視点か、というのを伝えられないといけないな。

 前任校で研究を担当したとき、公開研究会で「全員ポスター発表」というのをやりました。これは仕掛けないでも「プライド」をくすぐったようで、こっちの予想をはるかに超えたクオリティになりました。でも...。まぁこの先は公開の空間では言わないでおきましょう。
Posted by もずらいと at 2011年04月20日 20:30
もずらいとさん、どうもです。

|私は迷わず退職を選びますね。

私はもう退職しちまった人間ですが、現役時代から、ここらあたりの考え方の必要性は感じていました。福祉分野は結構こういう考え方になって来てますね。

お父さんのエピソードはチームとして大切にするべき仲間に対する方向性を間違えた例だと思います。

|「プライド」をくすぐった

まあ「くすぐる」という表現は別として「自尊心を大事にする」は児童・生徒でも教師でも大切ですよね。

あああ、返却してしまったので、後半を詳しく書けない・・・
Posted by kingstone at 2011年04月20日 21:17
>福祉分野は結構こういう考え方になって来てますね。

 私は福祉、特に施設などを「清貧病」と言って止まない人間ですので、あの分野は「おかしい」としか思っていません。

>お父さんのエピソードはチームとして大切にするべき仲間に対する方向性を間違えた例だと思います。

そうですか?私の就職前に親父の仕事の手伝いをした幾多の体験からも「資本主義ってこういうこと」だと思いますが。彼等は「仲間」なんてものを必要としないのです。「パートナー」なら必要とするかもしれませんが。後者は共同体ではないただの利害関係ですからね。資本主義のビジネスでは上下関係が前提にあった上での「パートナーシップ」です。学校と保護者の関係がそれでいいのならそれでもかまいませんが。つまり「保護者は常に上位」と。
Posted by もずらいと at 2011年04月20日 21:26
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