それぞれ、県のサーバがダメージを受けたか、通信量が増大して落ちてしまっていたと考えられます。その中で施設関連、回線関連の業者の方の奮闘があったものと想像されます。
1996年12月27日に出版された「震災とインターネット―「神戸からの提言」」 これは当時神戸大学教授だった田中克己氏の編著です。
この中の「地震発生時の通信システム」から引用します。書いておられるのは当時NTT神戸支店通信システム営業部のアカウントマネージャー(AM)をしておられた高橋雅也氏。氏は地震発生直後に神戸大学(当時の神戸のインターネットの基幹を支えていた)に入り奮闘されます。
「通信スピードをわずか1日で8倍に
そうこうしているうちに、NTT神戸支店の災害対策本部より「神戸大学と神戸市外国語大学間のトラフィックがオーバーしている。急速バージョンアとフするので対応せよ」との指令が入り、192Kbpsから1.5Mbpsヘバージョンアツブした。一挙に8倍のスピードである。このようなスピードアップ作業は、通常の手続きを踏むと1〜2カ月はかかる。このときばかりは関連部署すべてが積極的に協力しあい、即日処理できた。当然、連絡は電話のみですませ、書類(オーダーシート)などは一つも存在していない。私は普段、自分の会社を自慢することはほとんどない。また、ネットワーク上の情報に感銘したこともあまりない。しかし、このときばかりはある種の感動を強く受けた。」
本当なら1〜2カ月かかる手続きをすっとばしちゃったわけですね。もちろん平時は「安全」「情報を後で見返すことができる」とか様々な理由で手続きが組まれているのでしょうが、おそらく上司のみなさんも、中井久夫さんの言われる「おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。」を実行しはったのだと思います。
何か紹介したくなりました。
たぶん、現在、被災した各地で、電気・ガス・水・通信などそれぞれの場で奮闘してはる方がたくさんおられると思います。自衛隊にしても原発関係者にしても。こないだも紹介した映像ですが、「「15才の君へ」篇【60秒】(関西電力株式会社)CM」
復興できます。
・・・しかし、当時は大きくして1.5Mだったのですね・・・
ラベル:震災 インターネット