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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年03月14日

勝手に紙オムツプロジェクト10 公平な支援と不公平な支援

 私の「勝手に紙オムツプロジェクト」は意図は良いのですが、非常に計画性に乏しいです。

 また現在、「物資は県へ」「とりあえず物資は送るな」というような指示が出ています。これは収拾がつかなくなるからですね。現時点ではまず「救命」「被害の確定」が一番ということになると思います。ただ、それでもテレビに出ていたどこかの市(たぶん小さな市)の担当者は「送って頂けるのはありがたい」とおっしゃってました。そこには倉庫があり、次々物資が運ばれて来ていました。管理する人がおり、場所があればすごくありがたいのですよね。

 公的な支援(行政とかのもの、中央集権的なもの、公平なもの)とものすごくプライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)について書きたくなりました。

 その前に私の1995年の阪神・淡路大震災時のことを振り返ってみよう、と私のブログの「阪神・淡路大震災」のカテゴリを読みなおしてみました。

 まず、1月17日に被災します。
 そして、その日から3日間ほどかけて教師は電話で児童・生徒・保護者の安否確認をしました。実は保護者は初日の段階で相互にバイクで走って行くなどして安否確認をしておられました。

 その後、教師は全員で家庭訪問をし始めるのですが、これは翌週になったと思います。教師も被災しているのでマンパワーが割けなかったのです。被災した週の週末に教頭が全職員に電話して全員による職員会議を告げた(つまり出勤できていなかった教師がたくさんいた)のですが、たまたま私がその前日に風邪をひき、熱が出ていたので「休ませて下さい」と言ったら激怒されました。たぶん私にかける以前に多くの教師から出勤を渋る返事を聞かされていて頭に来ていたのだと思います。

 しかし、実のところ、周囲の状況を考えると、職員全員集合・全体会議・家庭訪問はもっと早くても良かったと思います。(もちろん出て来れない職員はいたとしても)実際に現場に行き、会ってみないことにはわからないことがいっぱいありますから。

 1月23日に家庭訪問に行き、帰って来た私は「オムツが足りなくなりそうだ」という話を聞き、校長(?教頭のような気もするが・・・)に許可を取った上で教頭の机の上の電話機からモジュラージャックを引きぬき、私のノートパソコンの外付けモデムに挿し込み、現場から「オムツが欲しい」と発信します。ちょうど被災1週間目ですね。

震災 1995年1月23日

 で、1月24日にはえらいことになって(教室1つが満杯になった)中止宣言を出します。たった1日です。それで、私の学校だけでなく、近隣の学校や施設に配布することができました。しかし量のコントロールは難しいと痛感しました。

 家庭訪問をしだして、他の物資も足りないものがいろいろあることがわかります。それで私の学校では私だけでなく他の先生も一緒になって物資の集積場に車で行き、必要な物資を学校に集積し、それを家庭訪問の時に持って行くようにしました。これは保護者だけでなく、保護者から情報を得た近隣で困っている人の所にも持って行ったと思います。

 その主な物品。

 ガスコンロ・ガスボンベ・食料・防寒着・下着・紙おむつ・紙皿・紙コップ・ポリタンク

 本当は、これは「やってはいけない」ことでした。公的な支援が降りて来るのを待つように、というのが公式な県などの見解でした。確かにその通り。

 しかし、実は現場の物資集積所に連絡をしてみると、管理しておられる方は「自分の判断で持って行って下さる方がいるとありがたい」という状況でした。

1995年1月27日の下のほう

 県の(県庁内におられる)担当者さんの状態とか、物資の状況はこんな感じ。

1995年1月31日から2月6日までの物資の流れなど

 担当者さんは流れ込む大量の情報の中で呆然としている、という感じじゃなかったでしょうか。

 1月24日に「紙オムツ」は中止宣言を出したものの、学校で子どもと過ごすために、いろいろな物が必要なのは間違いありません。で、必要な物は時々刻々変化します。そこで「送りたい」というみなさんのお気持ちはお金で頂くのがありがたい、ということを校長などとも相談し、26日にネットで相談、27日に決定発信します。

 同時に近隣の特別支援学校11校にもお金を配布できるシステムをこれは私がお願いして、校長が作ってくれました。(もっとたくさんの学校に声をかけましたが、被害が軽微ということで辞退した学校が出たので)

 1月27日には三洋電機が石油ファンヒータ20台・ホットカーペット10枚を、私の学校に寄付を決定して下さいます。28日に届きました。セントラルヒーティングが壊れていたのでたいへん助かりました。これは私がある三洋電機にお勤めの方とたまたま知り合いだった縁です。そして、そのまま三洋電機の担当者の方とお話して、近隣特別支援学校12校にも同じように寄付して頂くことに話が発展しました。

 これらもある意味「プライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)」を少しずつ広げていったものだと思います。

 学校に物資を集積し、配るのは2月6日に終わります。被災10日後ですね。そろそろ教師がそれをする役割が終わったのかな、ということで、残っていたたくさんの物資を当時、被災者支援ボランティアの拠点となっていた一麦教会(プロテスタント)に引き受けてもらいました。一緒に物資を持って行った先生は「肩の荷がおりた」とおっしゃっていました。

1995年2月6日

 なお、特別支援学校に対する義援金の最終的なお礼は記録に残っているところでは4月2日に出しています。2か月半というところですか。

 これらの記録を読みなおしてみて思うのは、やはり「公的な支援(行政とかのもの、中央集権的なもの、公平なもの)とものすごくプライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)」は、同時に必要なんだろうな、ということです。どっちも大切。

 で、「プライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)」をやるためには、結局はそんなことは無かったのですが、私自身「後で処分は覚悟」みたいなことは考えていました。

 互いが、互いを活かす方向に動かないといけないのだろうな、と思います。

 また、記録の中に「どう動いていいかわからないボランティアさん」が、私とやりとりしてどう動いていいかわかったような部分もあります。

 今、現在、たくさんの人がボランティアに行きたい、と思っているかと思います。まあ、ちょっと待ってた方がいいかな、とは思いますが。なんせ、「ボランティアをしきる人」が必要なのだけど、現時点ではそのマンパワーは無いと思うので。

 また今行こうとしたら、徹底的に自己完結で行かないといけないと思いますし。「やることを自分で見つけて動ける」「食料・水自分で持っている」「宿泊も自分でできる(テントなど)」「オシッコ・ウンコも始末できる」でないといけないと思いますが、最後の条件が無茶苦茶厳しいでしょう。

で、落ち着いて来てからも、やはり「うまくボランティアさんを活かせる」人がいてくれないと、むつかしいところは多々あると思います。1995年当時、私の周囲にいた人たちはそこらへん、できる人は多かったです。でも確かにボランティアさんで「後の人生、大丈夫だったかな」と心配になるような人もおられました。

 う〜む、またまとまりなくなってきた。

 当時は、たぶん「家でも」「学校でも」発信できる人は当地では私くらいしかいなかったろうと思います。でも今は、どこの学校でもいるだろうな。私が「勝手にオムツプロジェクト」をしなくても、各学校で校長先生と担当教師が「やろう」と言ったら、すぐ発信、あるいはメーカーとの交渉もできるような気はする。

 まあ、そのためにも、私は手持ちの情報は公開して行こうと思います。

 で、メーカーさんも「厚生労働省の指示が無いと動けません」ばっかりでなく(それも大事)、個別対応もちょこっと頭のすみに置いておいて頂けたらありがたいかな。なんつーか、「(不公平に見えても)できるところからやっていく」みたいな。「気がついたところからやっていく」みたいなね。

 それと、今の報道を見ていて、阪神・淡路の時より、被害が大きく広いなあ、と感じます。それだけに支援はできるところからやっていかないといけないだろうなあ。

この記事へのコメント
ほんと、阪神淡路よりひどいですよ・・

今回
津波による被害が大きいですよね
海水かぶったらまったく使えませんからね。
物も畑の農作物なんかも

>「(不公平に見えても)できるところからやっていく」みたいな。「気がついたところからやっていく」みたいなね。

そのとおりだと思います。
変?なたとえですけど、主婦の年金問題とかでもそうですし・・
不公平とか考え出すと前にぜんぜん進みません。

たとえば、ワタシはとある介護施設へのわずかな支援をやってますけど
そこのほかのところはどうなるんだとか雑音もあります。
賛否両論ありますが、それでたとえ、何十人かの人でも助かるなら
それでいいんじゃないでしょうか。
Posted by at 2011年03月14日 18:02
狛さん、どうもです。

お世話になっています。

|賛否両論ありますが、それでたとえ、何十人かの人でも助かるなら
|それでいいんじゃないでしょうか。

いつだって、何だって、反対する人はいますね。

私は「一人」でも助かればいいと思っています。(今回のことだけでなく)

「私がやりたいからやってんねん」

いつも私はそう言って、やってきました。
Posted by kingstone at 2011年03月14日 19:23
おむつが欲しい、という希望はTVでも流れていたり
ネットでも書き込まれていますが、
それはどれも「小さい赤ちゃん」のいるお母さんの話が多く、
あとはお年寄り。
身体の不自由な子どもたちの存在はあまりに少数過ぎて
支援する方にも分からないのではないでしょうか。

紙おむつを支援する企業もあると思うので
そういった企業に、肢体不自由の子どもたちの
ニーズをこのプロジェクトで
伝えることはできないでしょうか。
Posted by いしだ at 2011年03月14日 21:27
いしだ様、初めまして。

ある程度ニーズをまとめて伝えられたらと思います。

実のところ普段教師は保護者から渡されたオムツを使用するだけなので、最初は必要性に気づきにくいところもあったりすると思います。何とか、(別に誰がやってもいいから)必要なところに必要なだけ届けられたらと思います。

まあ、プロジェクトったって私が「勝手に」言ってるだけですけど・・・
Posted by kingstone at 2011年03月14日 21:52
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