1995年の記録を見てみると、肢体不自由特別支援学校の児童・生徒では紙おむつの不足が深刻になっています。
特にムー二ーマンで言えばスーパービッグのサイズ。(他のメーカーでは別の名前と思います)
ピンポイントで送り先がわかれば良いのですが。
コメントでもつけて下さればアクションを起こしますが。
それから知的障害特別支援学校は下記のような状態でした。確か、極めて早い段階で、一般的な避難所に居ることのむつかしいお子さんの避難所としても使っていたと思います。それは学校自身にはあまり被害が無かった(児童・生徒の住む地域は被害が大きかった)という事情があってのことですが。以下学校開放と臨時分教室の部分のみ引用。
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学校の再開は、31日(火)からに決まりました。自家用車で何度もスクールバスのコースを走ってみて、ようやく運行のメドが立ちました。混雑する電車で登校する高等部の生徒は心配なので、当面は親御さんの付添いをお願いしたり、臨時にスクールバスを利用してもらったりします。
また、26日(木)から、被害が少なかった地域の子ども達向けに、学校開放と「臨時分教室」を始めました。
午前中の限られた時間だけですが、子どもさんを学校に連れて来てもらって、教員が一緒に遊んだりしています。
「臨時分教室」(もちろん正式な名称ではありません)は、本校の児童・生徒が在籍している収容施設に教員が出向き、その施設の児童・生徒や、施設の近くに住んでいる児童・生徒とともに過ごしています。
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本校の高等部生徒は大半が公共交通機関を利用しての自力通学(駅の改札やホームに保護者が待っておられる例も多数おりますが)です。この地震が30分後に起きていると,あらかた電車に乗ってしまって,その電車は地震によって停止したまま小一時間そのままで,運転再開の見通しが立たず(事実,その路線は今でも再開していません),そこから線路におりて近くの駅まで誘導されるということになったはずです。そうなると教員は補足できず,保護者も様子が分からずというさらに悪い事態になったでしょう。
聾学校なんかは自力通学生が多く,寄宿舎の帰省日でもあり,全県学区なのでかなり遠くから寄宿している生徒もいて,電車も高速道路も使えないので,職員は日付越え覚悟で対応すると言っていました(本当は聾学校に異動した先生も含めて飲み会する予定だったのですが,当然中止です)。
また阪神淡路大震災の頃よりも圧倒的に携帯電話が普及しましたが,通話もメールも全然つながらない(20回に1回つながるかどうか。ただしネットは見れる)状態が夜まで続きました。しかし,普通のインターネットはなんの問題もなく通常の回線接続速度でつながりました。職員の住んでいる地域の震度や列車の運行状況の確認はネットが一番確実でした。
東北太平洋側の方は全面停電なので難しいかもしれませんが。
公共交通機関,道路,携帯電話が役に立たない状態での引き渡しというのは今後考えないといけないですね。もちろん,東北太平洋側は停電も加わりますし,安否確認から始まる必要があるのかもしれませんが。
あと,阪神淡路大震災と違うのは午後に起きた地震なのでどんどん夜になって不安感が増すと言うことですね。勤務校は幸い8時頃までにすべての生徒を引き渡すことができましたが,一夜明かす必要が生じるとなると,広域避難指定校でないと布団や避難食もたいして備蓄していませんし。
午後8時までお疲れさまでした。
昨日はお子さんの所在がわからない状態の続いた保護者も多かったようです。
ネットは今回は強かったですね。でも、有線が切れればダメだし、電話回線電波だとまた規制とかで難しくなるのかな。