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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年02月26日

指示待ちについて

「指示待ち」について、おめめどうの「みとおしメモ帳」や「ToDoメモ帳」と絡めて「kingstone本やドラマや支援グッズを紹介する」のほうにまとめようと思ったのですが、こっちにも書いておいたほうがいいと思うので、こちらは「リンク」を主とし、あちらは原文をベタに載せていく、という形で書いていきたいと思います。

 別に「指示をする」ことが悪いわけではありません。ある場面で「わかる指示」を出すことはたいへん大切です。しかし、ある年のある知的障害特別支援学校の場合、

TEACCHとおめめどう

の中で触れているように、視覚支援、スケジュールはもちろん一切無い(視覚的なものとして強いてあげれば教師の指差しはあった)状態で、かつ子どもからの表現を受け取ることは一切なしで、音声言語による指示だけ(指指し、引っ張る、押すはあった)で1日の学校生活を終えていたのですから。

 スケジュールはある面、指示を伝えるものとも言えます。しかし、スケジュールをした人は経験されていると思いますが、そのスケジュールが自閉症の人本人に理解できるようになってくると、「自分にとって不都合な活動」を入れ替えようとすることはしばしば見られます。これを「スケジュールとコミュニケーションボードを間違っている」と評価される人もありますが、これは自閉症の人が自分の気持ちを表現する手段を持ったことでもあるわけです。

 ここで、その予定通りするのか、本人の変えた活動にするのか、あるいは別の活動にするのか、そこは交渉になります。

「スケジュールはスケジュールであるのだから守らせなければいけない」というのは大間違いです。(断言していいと思います。ひょっとしてノースカロライナのTEACCH部の人が否定する可能性もありますが、それならそれでいい。大本山が言うことは全て正しい、と無批判に考えるのは私の態度ではありません。「仏に会えば仏を殺せ」です。

 以下に「指示待ち」に関連するようなエントリを集めました。スケジュールや、次の予定を写真で示す「受容性コミュニケーション」と、「表現コミュニケーション」が混ぜこぜに出てきますが、実のところ実践は同時にいくつものことをやっているので、どうしてもこうなります。「なんでこれが『指示』の話題なんや?」とわからないものも含まれるかもしれません。

過去の記事7(ロボット化についての話題)
過去の記事8(指示待ち人間についての話題)
過去の記事39(おいしいものから食べてみよう)
過去の記事68(C君の給食1 自己選択・意思表出)
過去の記事70(C君の給食2 指示をしない(へらす)こと)
過去の記事77(C君の給食3 お弁当は早く食べてしまった)
過去の記事99(給食指導など 表現する方法を考えながら)
過去の記事105(BさんとC君の給食指導)
過去の記事110(選択活動? 意思表出)
過去の記事137(給食指導その後)
過去の記事144(給食指導その後2)
過去の記事164(給食指導その後3  大問題発生)
過去の記事201(今日の研究会で C君の給食時の意思表出)
過去の記事204(トイレに行きたい C君の意思表出)
過去の記事232(許可?確認?指示? 指示待ちではないのか?1)
過去の記事233(許可?確認?指示? 指示待ちではないのか?2)
過去の記事237(許可?確認?指示? 文脈で考える)
過去の記事238(C君への給食指導・その後)
過去の記事246(残せてとても嬉しそうな顔 自分で挑戦する)

笑ってる

※これはC君のことです。

あるお子さんの「トイレに行きます」表現の変遷
コミュニケーションを教える時の基本(トイレに行きたいの表現の変遷などから)


遊具を選択して遊ぶ
机の上にリュックを置いてもらいたい時
写真での指示
服をたたむ

 ※たぶんですが、それ以前に学校で「服をたたむ」を教えるのは「こわい表情」「短い命令口調の音声言語」「手をとってたたませる」「指差し」など「だけ」でさせていたと推測できます。(注・「こわい表情」というのは実は、その先生も怖がらせるつもりだったかもしれませんが、笑顔より情報量が少なくてわかりやすかった可能性があります。「短い命令口調の音声言語」というのも「命令口調で従わせる」つもりだったけど、実は「わかりやすかった」という可能性があります。教師の勘違いによって「怖がらせるとわかるんだ」という方向へどんどんずれていく、ってことはありそうです。つまり「怖がらせ」なくったって「わかるように」伝えたからやってくれただけ。でまた「優しい先生」が「優しげな言葉がけ」で、自閉症の人にわかってもらえなかったり、逆に混乱させたり、ということもあります)

うまくいかないこともある
うまくいったりいかなかったり
コミュニケーション形態の進歩 本人が「こうしたらいいんだ」と気づく
卒業式の練習1
卒業式の練習3
今日は卒業式

同僚からの要請で視覚支援物を作る

※この時はもう私の担任というかクラスからは離れています。ただし学年は同じでした。当時、この知的障害特別支援学校では画像印刷とかが一般的では無かったので、私に依頼が来たわけです。しかし翌年通常校に異動したら「職員(教師とは限らない)が誰でもパソコンで画像印刷している」というのにびっくりしました。ある面、特別支援学校は時代から取り残されていても誰も気がつかない、という面があるのだなあ、と思いました。

言ってしまった(その5)

多くの先生が「視覚支援は当たり前」と言い出した。終業式にて

※しかしながら、次の年度、C君の担任(この年と同じ担任)は保護者に「社会に出たら視覚支援は無いのだからやめましょう。」と言って、全ての(スケジュールも表現手段も)取り上げたのですが。この担任の先生は「ダメ」な先生ではありません。人望があり、他の学校の先生でも「あの先生はいい先生」と評価の高い先生でした。

勝手に余暇活動5日目 立ってる女性にもたれかからないようにする

※私はもう学校は変わっていましたが、つきあってたわけです。

※しかし時代の流れでしょう、次の年度C君の担任(また同じ先生)は「視覚支援はするんでしょう?」と言って、何らかの視覚支援は始めたようです。学校全体の流れになってきたのでしょう。しかし

こんな視覚支援では困る

※ここに出てきたのはC君ではありません。同じ知的障害特別支援学校ではありますが。このお子さんの学校生活でのたいへんつらい場面は私は幾度も目撃しています。

動けない人

 C君が「動けなく」なって以後、彼のガイドヘルプをした時があります。その時保護者からお聞きしたのは「とにかく動けなくなってすごく困った、で、お医者さんに行って薬を出してもらい、少しは動けるようになった。」ということでした。

 私のガイドヘルプの基本方針は、その時保護者が作られた計画(スケジュール)は全てできる、ということはしなくていい、ということ。それは保護者に確認を取っておきました。そして「止まっている」あるいは「ゆっくりゆっくり(たぶん進みたい方へ)動く」C君と一緒に私もゆっくり動きました。

 私は、怒りと悲しみと、そしてまた同時に「一緒に今、C君と活動している」という喜びと、いろいろなものを感じながら動いていました。

 C君を担当した特別支援教育担当教師に文句を言ってはいけないのでしょうか。またお医者様は「薬」を出すことも大事だけど、学校に対して細かいことは言えなくても、大方針(視覚的・具体的・肯定的に対応する。表現手段を確保する)を言ってもらうことが先ではないでしょうか。

 まあ、実のところ

「見てわかるスケジュールなどをやめた」
「(たぶん、私が自然に入れていた)選択活動をやめた」
「コミュニケーションブックなどで表現することをやめさせた」
   ↓
「動けない人になった」

という因果関係には何の証拠もありません。いつものことですが、私の語ることはエピソードだけです。しかし「好きでもないこと」「嫌なこと」の指示だけにスケジュールや視覚支援を使っていたらとんでもないことになるよ、というのは言えるのじゃないかな。だってあなただって

「ツベルクリン反応の注射」
    ↓
「マクドナルドで食事」

という1日のスケジュールならガマンできても、いかに「あなたのため」と言われても

「ツベルクリン反応の注射」
    ↓
「歯科で歯を削る」
    ↓
「お腹の手術」
    ↓
「足の手術」

という1日のスケジュールをこなせ、と言われたら、いやで動きたくなくなるでしょう?

「自発性」「表現できる(認められる、あるいは交渉できる)」「選択」そこらへんは「指示」や「スケジュール」とも大いに関係してきます。
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