「デジタル信仰は間違いのもと」より
「私は日米の金融の最先端の業界で業務をしていますので、常日頃からデジタルデータに潜む寞には注意しており、あらぬ事態が起きぬよう敏感に対処しています。
契約書など、その最たるもの。MBAあがりの日本人ビジネスマンが百科事典のような詳細な契約書を結んでこれで大丈夫だ、としたり顔で自慢しているのを見ると、その会社と仕事をするのはリスキーだ、としか感じません。つまり、それはそれだけ細かく契約をしなければ相手を信じられないということ。一緒にビジネスをするのにいちばん大事な信用(極めてアナログ)を軽視している、と言っているのに等しいからです。
重鎮のユダヤ人ビジネスマンからはこう教わりました。「3ページ以上の契約書が必要な相手とは仕事をするな」。そして「書いたものを残さなければいけない相手と仕事をしてはいけない」。
口約束だから平気で破るという相手とのビジネスなら口クなことにならないのは当然です。」
それ「デジタルかどうか」の問題じゃないと思います。でも言わんとされていることはわかります。
これって特別支援教育のIEP(個別支援計画とかいう名前のやつ)についても同じことが言えるかなあ。
もちろん、初めて出会うボランティアさん向けのサポートブックは必要。そしてIEPが書けるかどうかは、学校生活において、また将来の生活において、どんなことが必要かな、ということが明確に頭に浮かんでいるか、ということでもある。
しかしアメリカだと「契約として」という意味が大きいらしい。日本はまだそこまでは行ってないと思いますが。
で、もし「契約」とか「約束ごと」と見るなら、ほんま詳細なものっていらないような気がするんですよね。
「んじゃこの線でお願いね」
「よっしゃわかったよ」
みたいな。そんなことを思いました。
ラベル:特別支援教育 IEP 契約