私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年02月11日

1995年2月8日

1995年2月8日


 この日の記録を読むと、私が以前書いたものとやはり細かい点がいろいろ違います。その時、その時、記録しておくって大事ですね。そういう意味で歴史を振り返ってインタビューしている記事なども、結構記憶違いが多いものなのかもしれません。


○○        阪神大震災の救援活動から(長文注意)
(14) 95/02/08 00:28


 先日4日から5日にかけて、全日本教職員組合障害児学校近畿ブロックの行動要請を受けて、救援活動に参加してきました。南山城養護学校からは大阪港(天保山)の高速艇を利用して3時間余りで神戸港に入ることができました。『モザイク波止場』が近づいてくると、大きく折れ曲がって海中に落ちたクレーンが目につくようになりました。神戸市立盲学校は歩いて10分程度、グランドに張られたテントで受付し、リュックを置く間もなく炊き出しの仕事に入りました。

 大阪府立茨城養護学校分会など大阪の仲間が中心に、大鍋とガスで2・3日前 に出始めた水道で500食近いシチュー作りを手伝い、後片付けを夜8時頃まで続けました。盲学校は避難所に指定されており、子どもの姿もありますが、目についたのは比較的年齢のいった人達(おっちゃん・おばちゃん)が教室・体育館の床にマットレスや寝具を広げて休んでおられる様子でした。この夜も寒気は厳しく、暖房機の全く無い生活、集団生活は本当に大変だろうと感じました。

 その前日に職場の皆さんで切ってっもらった100個の玉ねぎや野菜は、この日の朝食豚汁の材料になりましたが、調理担当の方が『早朝の段取りを考えると本当に助かった』と話していました。物資は一定集まって来ていますが、今後はやはり募金カンパが有り難いとの話でした。

夜、泊まりの行動参加者での交流会がありました。近畿各地の障害児教育諸学校の教職員が予定よりも大幅に多い参加で、母親が教員という女子高校生もいました。受付していた方からは、近畿ブロックを縮めて『近ブロ』と書いていたら住民の方から『近ブロって近くの風呂のことか・・』と聞かれたといった話もありましたが、実際に被災された教員の話に胸が詰まりました。

『17日早朝、大きく家が左右に揺れた後、まるでヘリコプターで家全体が持ち上げられてからドスンと落とされた様な衝撃があり、すぐにガスの臭いがして怖くなった。近所から悲鳴や子どもの呼ぶ声がした。家財道具が部屋の反対まで飛び出し、食器・本など全く足の踏み場がないものの、一階は大きく傾きながらも倒壊を免れ、玄関ドアを体で破って、家族と近くの小学校グランドに避難した。

近所の大人が集まって自動車のジャッキで押し潰された1階部分の柱を持ち上げて知人を救出した場面もあったが、娘さんが助かり父親が下敷きで亡くなった家もあった。近くのローソンの店長が持ち出した煙草の一服、電気が全く消えた神戸の夜空に輝いた月と星の美しさは忘れられない光景だった。いろいろな出来事の中で、災害にも貧富の差があること、みんなすごくおだやかに行動していたこと、文字どおり生死の境が紙一重だったこと、そして問題になっている行政対応は、地震の前も後も変わらないもので、普段から住民のほうを向いているかどうかがそのまんま出て来ている。神戸市教育委員会などはかなり柔軟に対応しているものの、県段階ではボランティアを校長が命ずるなど問題がでている』といった内容でした。

 5日は午前5時半起床。朝食の炊き出し準備を行い、トラックなど4台に材料と道具類を積み込んで長田区に入ることになりました。長田区に入ると一階部分が完全に倒壊し、二階の壁が崩れてベッドや流し台など内部が剥き出し状態の家焼け野原になった中に急ごしらえの墓標と花が供えられている区画など次々に目に飛び込んで来ます。やがて、四番町に到着しました。炊き出し準備をして、午前中いっぱいかかって700〜800食の豚汁とシチューを作り、避難されている方たちに配ることができました。その調理の合間に、近所を歩いてみました。

 周辺の五〜六階建ての神戸市営住宅の一階店舗部分が破壊され、ほんの30センチほどの隙間の向こうに布団が見えて、ここにもお供え物が置かれ犠牲となった方があることを示していたり、土くづと瓦礫の山になっている住宅など破壊力のすさまじさに圧倒されてしまいました。あの一瞬の地震でこんなになってしまうものなのかとの思いでした。

 盲学校の戻った頃に、小雨が降り始めて建築シートを広げて屋根を作ったりする中で、今回最も犠牲のひどかった肢体不自由養護学校の先生から、子どもたちや学校の様子が報告されました。

『1月末にようやく全校90人弱の子どもたちの消息を把握することができ、訪問指導を始めている。2人の子どもが亡くなり、体調不良で入院も7名など重度障害の子どもに対して厳しい状況が続いている。教育委員会の対応は現実ばなれしていて、養護学校へのボランティアお断り、校内で火を使ったり備品使用も時間制限、何より救援活動したい教職員に10時から3時まで勤務だから学校にいなさいと言ったりしている。卒業生含め地域の障害者への支援など長期的にがんばりたい』など耳を疑うような現場状況と一方で教職員が団結して動いていることが分かりました。

 避難所になっている、校舎が危険、交通事情でバス運行できないなど学校再開の見通しが立たない所も少なくない様子です。老人・障害者・子どもなど一般の人達以上に苦しい中に置かれている人達の生活がもとに戻るには、長い長い月日が必要になるだろうと思われました。道路や鉄道の復旧も大切ですが、同時にこうした人達の自立を支える援助が求められています。

 自分や家族の安全は自分で守らんとあかんし、準備もいるとは言え、住んでいる地域行政の災害対策がどうなっているのか、ハードもソフトもお粗末でない様な政治・行政を実現させていくこともとても大切な問題やと強く思いました。
 
 自分の目で災害実態を少しでも確かめておくことも、意味があるとも感じました。最後に被災され、犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。   
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KING STONE 私自身のこと(1)
(14) 95/02/08 18:36

一度まとめて書いておかなければと思っておりました。

あの大地震の直後、とにかくタンスの倒れてしまった部屋から家族を避難させ、しばらく落ちついてから、私はパソコン通信で一報を上げ(この段階では神戸のROAD2は生きていました)、その後何らかの連絡が来るのを待っていました。電気も切れていましたからテレビを見るわけにもいかず、ラジオを聞きましたが、状況がよくわかりません。

連絡網が回ってくるはず、と思っていましたが、来ないので、7時の時点で教頭へ電話。しかしつながらず。校長に電話。これはつながりました。とにかく校長もいろいろ情報収集をしているが、状況が把握できないとのこと。「連絡等私にできることはありませんか」と尋ねると「連絡系統が2重になっても困るのでとにかく待機していてくれ」とのことでした。

少し明るくなって外へ出てみると瓦が見事に落ちていました。落ちかけのものもあり危ないこと。人が集まっているのが見えたのでかけて行って「大丈夫ですか?」と尋ねると「大丈夫です。でもちょっと怖いので家から出ています」とのこと。この時点で家の上にある広場には車の中に避難した人が続々と集まっていました。

9時前の時点で教頭に電話をしたところ「もう学校に向かいました」とのこと。

 奥様(?)は何故か「すみません」を連発してはりました。いやはや別に謝りはることは無いのですが。私もヘルメットを被り、歩いて1時間程の学校へ向かって出発しました。家族からは反対されましたが。

道を歩いていても地面が時折揺れ、鳥たちが一斉に飛び立ちます。空は暗く雪と灰が落ちてきます。ひょっとしたら全て灰だったのかもしれません。近所がいっぱい焼けているのか、と思ったのですが、峠の上に上がっても、海側に、一本細い筋が上がっているだけで周りに火事の様子はありません。今から思えば長田方面から飛んできた灰だったのですね。歩いているうちに付近の電気が一斉につきました。すごく嬉しかったです。

学校へ行くと校長・教頭はじめ数人の先生が来てはりました。どこかの管がやられた、とのことで2階が水浸しで3階と1階にも水が来ています。まだまだどんどん出てきています。私も自分が知っている限りのところからベビーバス・大きなバット・バケツなどを持って来て吹き出しているところに置きました。この段階で右手が使えないことに気がつき、おかしいなあ、と思っていました。

子どもも体調を崩していましたし、気になるので応急の処置が終わった段階でとりあえず帰らしてもらいました。

まだこの段階でも長田あたりの被害の状況は私は把握できてませんでした。たぶん本当にわかり始めたのは夜になってからだと思います。

校長・教頭はじめ何人かの先生方の努力で2日間で散乱した荷物や割れた窓ガラスなどは片づけられました。その間にもとにかく電話で子どもたちや職員の安否を確認しようと努力してはりました。

私自身は2日間、いろいろ動いてはいたのですが、何か上すべりで頓珍漢なことばかりしていたような気がします。私も含め家族一同が茫然としてひとつの部屋に固まったまま何も動くことなく過ごしていました。

うーむ、やっぱり1つの書き込みではまとまらんなあ・・・・

posted by kingstone at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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