私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年02月05日

園の生活発表会でのエピソード

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 皆さま、こんにちは、○○です。

 以前も生活発表会のことを書いたのですが、□□に対して友達が手をひっぱって誘導してくれるように、先生が指導されています。このことは、日常場面でもあるようです。

 それで、連絡帳に「□□ちゃん、△△へ行くよ」と名前と具体的な場所を言って、誘導していただけると、スムーズに行くかもしれません、と書きました。名前を呼ばれることで、本人が言われていることに気づき、具体的な場所を言ってもらえることで心の準備が出来ると思います、と書き添えました。お友達自体も、自分のことで精一杯だとは思いますが、スムーズに行ったほうがお友達にとってもやり甲斐があるので、先生にお願いしました。

 視覚的なことでないと、先生がたもすぐにOKです。まずは、一歩前進。視覚的援助は、おいおいと…。

 同じ園の年長さんに、多動傾向が強い自閉症だと思われるお子さんがおられます。私は、面識はありませんが、生活発表会でそのクラスを見に行ったお母さんに尋ねてみました。

「赤ちゃんの声って叫んで、先生が連れ出してたよ」

と言っていました。私が

「本人が不快なことが、理解してもらって連れ出してくれたんやね。」

と言うと

「動き回るし、大声を出すから連れていかれたんよ。」

と返ってきました。確かに、園長先生も

「小さいお子さんをお連れの方は、あまり騒ぐようなら声が聞こえませんので、連れ出して下さい。」

と言っておられました。また、その子のお母さんは、その子が不快で叫んでいたのではなく、やっと出たことばやから、本人は嬉しくて言っていると思ってはるそうです。本当に、その子のお母さんが思ってはる通りかもしれませんが。それこそ、また聞きとか、推測とかの話しばかりなので。複雑な気持ちですが、園の先生方にも、いろんなことを説明していこうと思いました。
 
 子供が拒否している時は、何かわからなくても、とりあえず不快な状態であることを認めて、拒否を聞いてあげることが大切なんでしょうね。私も、外出前のトイレの習慣をつけたいことにとらわれて、見失っていた様な気がします。必死になっていると、見えないことが一杯です。というより、私たちにとっては、何でもないことでも、この子達にとっては苦痛なことがあるということを理解できてないからですね。快/不快を感じる何かがチョッと違うし、許せる/許せないことが違ってたりするんですよね。

 例えば、『光とともに』で、最初に、抱かれることを嫌がる赤ちゃんとして描かれているけど、何となく過ごして、それが障害の幹なる部分で、今後もそういう問題を抱えつつ成長していくということを、親はいつ自覚したらいいんだろうと思ったりしました。

 脳性麻痺のお子さんは、同じように抱かれることを拒否したりするけど、筋緊張の異常が原因であり、親は、そのコントロールの仕方を学び、それが障害の幹なる部分やと理解するんやけど。

 自閉症の親にも、そういうステップが必要ですよね。わたしなんか、何となく過ご
して来て、今必死になってる感じ…。まだまだ、これからです。

追記
 教師が周囲の子供に自閉症のお子さんの移動を頼み、手をつないで引っ張って、あるいは背中を押して行く、これは私が通常校に異動して一番に止めさせたことですね。長い目で見ればいろんな意味で悪影響しかありません。本人は自立的な移動ができなくなる、周囲は「どんなことをすれば本人にわかってもらえるか」を考えないようになる。

 当時「視覚支援」をお願いしてもしてくれず、「音声言語」「引っ張る」「押す」ならしてくれる教師は多かったのですが、今はどうでしょう。

 拒否を認めていく、そして拒否の表現を癇癪やパニック、あるいはその他の周囲にとって「困る」表現から、「困らない」リーズナブルな表現に変えていく(見つけ出す)ことはすごく大事ですね。

 脳性マヒのお子さんに触れられた部分があります。脳性マヒのお子さんを抱きにくいのは筋の緊張や弛緩の具合の場合が多いとは思いますが、脳性マヒのお子さんでも人によっては抱かれた時の刺激が激しすぎ不快に感じる場合もあるかと思います。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック