いや、もう、まったく私の趣味の世界でして、かつまた知識は司馬遼太郎さんがどこかに書かれていたことの受け売り(しかも不正確な)だと思う。(以下の何年とかはWikipediaから)
804年7月最澄と空海は当時の先進国、唐に留学に行くわけです。当時最澄は官寺で戒も受け、いわば新進気鋭の実践者。空海は経歴もよくわからない怪しい人。
で、最澄はいっぱい勉強したかったけど、とにかく唐で学んだことを日本で広め実践しなきゃ、ということで、もっと勉強したいという思いはありつつも、ありったけの経典とともに、805年5月には日本に帰って来ます。比叡山にはそれ以前から登ってはったみたいですが、まあ比叡山延暦寺を開かれる。
で(当時は庶民には仏教は行き渡らず、貴族に対してですけど)たいへんな人気となる。
空海はできるだけ学び806年10月に帰国し、高野山を開きます。すると、最先端の体系化された密教であり、最澄の天台宗以上に人気が出ます。最澄自身は空海に学んだりする。また最澄自身ということもあるかもしれませんが、周囲の人も、あれこれ探してみたら、比叡山にも密教の経典はいろいろあった。中心でもなく、体系化もされていなかったけど。
で、天台宗も真言宗も切磋琢磨し、それぞれ伸びていくわけですが。
空海・真言宗の高野山のほうがより体系化され、深くある意味実用的であったようです。
ただ高野山からは一宗の祖と世間に知られるような人はあまり出ていない。
それに対して比叡山からは多くの一宗の祖となる人が出ている。
法然(浄土宗の開祖)・栄西(臨済宗の開祖)・道元(曹洞宗の開祖)・親鸞(浄土真宗の開祖
)・日蓮(日蓮宗の開祖)
ここらへんが面白いところですね。比叡山には何でもあった、という感じかな。
しかし、司馬遼太郎さんの「空海の風景」上下2巻ありますが、空海が若くていろいろなことを身につけ、いろんなことをやっていく上巻はワクワクして面白いのですが、組織を作り、その維持に腐心するようになる下巻はあまり面白くないと感じてしまう。ここらへんは坂本龍馬が面白くて、大久保利通になるとあまり面白くない、というあたりと同じかな。
両方大切だとは思うのですが。
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