延安―革命聖地への旅/リービ 英雄

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延安は北京の西南西1000kmくらいの所。
地図。
中国紅軍(共産党軍)が長征を行った際、終着地として到達したのが延安であったことから中国革命の聖地とされる。
で、昔から山腹に洞窟を掘って人々は暮らしており、毛沢東たちもそこに住んだ。なぜかっていうと、谷間は山賊だらけで暮らせなかったから。
この本の記事は2007〜2008年に書かれたもの。
延安は内陸部だけど、中心街は高層ビルが林立しているような場所もあり、校外には10階建てのマンションが並んでいるようなところもある。で、昔ながらの洞窟に住んでいる人もいる。(その人たちが貧しいということではないみたい)内陸部でも発展してるところもあるのですね。
もともとの農民と流入農民はあきらかに違う。流入農民のほうが貧しい。
ビジネスが盛んで都会的な町なみとともに貧しい人たちもいる。
リービさんが歩いていると「外国人!」と声を上げた子どもたちに石を投げられたことも。石を投げられなくても「外国人!」と言って集まってくる。
私も、子どもの頃、近所に白人の子どもが歩いてたりすると「外国人!」って言って、周辺の子どもがみんな集まって来たなあ。石は投げなかったけど。
ある農民(地主)。「国民党軍」が来て全てを略奪していった。そこから立て直したら「日本軍」が来てまたすべてを略奪して行った。革命・解放のあとまあまあ良かったみたいだけど「文化大革命」でまたえらいことになった。もう何度も何度もえらい目にあってるわけですね。
毛沢東がニクソンに会った時に言った言葉?
「サヨクの言うことは当てにならん、ウヨクと話した方がいい」
国民党軍に負けての敗残なのが事実です。当時の大日本帝國陸軍幹部は馬鹿者揃いで、真面目に自国領土の数十倍を制圧しようとして負けました。<br /> 一番賢い方法は国民党軍と共産党軍が戦って戦場になり両軍に収奪され疲弊した地域に「解放軍」として入場し、食べ物をバンバン与えれば良かったのです。日本の敗戦後の進駐軍と同じです。<br /> 当時の国共合作は呉越同舟もいいところで、日本軍相手に向かってた弾が、途中から共産党軍と国民党軍の間の応酬になって、日本軍があっけにとられたという話がいくつもあります。</p>
>もずらいとさん<br /><br />|国民党軍に負けての敗残なのが事実です<br /><br />これはその通りでしょうね。どっかで、延安にたどり着いた時には1/10だかの人数になっていた、とかいうのを読んだことがあります。逃亡した人もいたかもしれませんが、殺された人も多かったのでしょう。<br /></p>
http://ameblo.jp/kingstone/
>逃亡した人もいたかもしれませんが、殺された人も多かったのでしょう。<br /><br /> 殺された人はいたとしてもごく少数でしょう。たいていは逃げた人のはずです。で、逃げて平気で敵側に付くのが支那の伝統でもありました。仲間を殺すというのは両刃の剣でありまして「いつやられるか分からないのならいっそ頭目を殺してしまおう」となるのが支那ではずっと行われてきましたが、古今東西軍隊に通じる常識です。「弾は前からばかりじゃないんだよ」という言葉は世界各国の軍隊にあります。米軍ですら建前重視で兵隊の意欲や戦況を考えない無謀な士官学校卒の少尉は、「交戦中、敵味方のどちらか分からない銃撃」により戦死したものです。<br /></p>
>もずらいとさん<br /><br />|「弾は前からばかりじゃないんだよ」という言葉は世界各国の軍隊にあります<br /><br />なるほど。<br /><br />まあ、ってことは支那の中国共産党軍に限った話でもなさそうですね。<br /><br /></p>
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